青い鳥を探して(21) (事務局・増田 達也)

恩師Y先生は、その人望ゆえ多くの方と親交があり、ご多忙にも関わらず、私のメールに対していつも速攻の返信があり、恐縮しています。また23年来、車いす生活をされていて、ご苦労やご不便がおありのことと思いますが、活動範囲は広く、その前向きなバイタリティーの源は何だろう?と感服しています。

          

失礼に聞こえたらお許しいただきたいのですが、今まで多くの障がい者の方と接してきて感じることは、「障がいがあるから不幸だ、なんてことは絶対ない!」ということです。むしろ、「障がい者は不幸だ」という価値観、蔑視、上からの同情目線こそが、人と共生出来ない、自分の人生を自由に豊かに生きられない、不幸なことだと思います。

障がい、病、貧困・・・は、私たちを苦しめます。でも、そんな苦しみの中にあっても、たくましく前向きに生きておられる方の共通点は、「些細なことにも感動できる感性」「発想を転換できる自由な心」だと思います。

 

施設に初めて訪問される方の感想は、同情、感動、蔑視のいずれかに見受けられます。

蔑視については、具体的に口にされる方は稀ですが、30数年前、ある施設で、見学者が帰り際に、「うちの子は馬鹿だけど、ここの馬鹿な子達より、ずっとましで安心したよ」と言われたことがあったそうです。聞いていた施設長は、殴りたいほどの怒りを堪えたそうですが、この見学者の方は、その後も何度か施設を訪問し、のちには施設に対する一番のよき協力者になられたそうです。一歩間違えば、「障がい者は馬鹿だし、職員は乱暴者だ」というレッテルを貼られ、二度と訪問してこなかったでしょう。「拳を上げなくて本当に良かったよ」と、格闘技の有段者でもある施設長がしみじみと語っておられました。

初対面でお互いに分かり合うことは難しいですから、一度きりの出会いで、「同情して終わり」「感動して終わり」「蔑視して終わり」にしないで、一面だけでなくいろんな側面を知っていきたいと思っています。

 

学生時代、学長から聞いた話しです。

学長が、目のご不自由なクリスチャンのご婦人の集会に招かれた時のことです。讃美歌を歌っている最中に停電してしまい、ご婦人たちは歌い続けておられたのに、学長は歌えなくなってしまったのです。そして、歌い終わった時、あるご婦人が言われた言葉が、学長をとらえました。

 「目の見える方は不自由ですね・・・」

 

学長は、この見事な「発想を転換できる自由な心」にかなり感動されたようで、この話しは学長から違う場でも何度か聞きました。私も感動しましたが、「感動して終わり」ではなく、その感動を自分の人生にどう反映して生きていくか、が問われ続けているのだと思っています。

 

▼私は立ち会っていませんが、

次女の旦那さんの実家のメルちゃん(トイプードル)と、我が家のパピ(ミニウサギ)の対面です。

別れ際、メルちゃんは、名残り惜しそうにヒンヒン鳴いて、パピを追いかけていたそうです。

初対面で、お互いの存在を認め合えるって、いいな~と思いました。

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