涙 (みらい社・植村  裕)

涙もろくなったのはいつ頃からだろうか。二十代で涙を流したのは父親を亡くした時くらいしか記憶がない。もともと喜怒哀楽を表現するのが得意でないのだが、自分は冷たい人間ではないか、と考えたこともあった。「人前で涙は見せてはいけない」とか「顔で笑って、心で泣いて」と言われた時代に育ったこともあるのかもしれない。高校生の時に「ある愛の詩」という絵に描いたようなお涙頂戴のラブストーリー映画を観て、不覚にも涙が出そうになり、思わずこらえたことがある。そして、フランシス・レイの音楽があまりに甘く切なくて、つい感情移入をし過ぎたためなのだ、と自分に言い訳しながらも、とても恥ずかしく感じたのを覚えている。

 

五十歳を迎える頃からか、しだいに涙もろくなったように思う。若い頃の傲慢さや自意識、自己中心的な考えが、様々な経験や人との出会いによって人生の機微に触れて、変わっていくのだと思う。涙ということで言えば、怒りや悔し涙であったのが、共感(悲しみ)や感謝の涙となっていくのだ。言い換えれば年月を経て、少しは人の悲しみに共感でき、人の情をありがたく感じることができるようになった、と言えるだろう。

 

最近、テレビでスポーツ選手やテレビ出演者が涙を流す姿をよく見かける。公共の場で素直に感情を出せるのはよい時代なのかもしれない。しかし涙と感動の安売りと感じられることも多く、複雑な気持ちである。

小津安二郎監督の映画に出演していた笠智衆は「明治生まれの男が泣くことはめったにない」と自ら泣くシーンは拒否していたそうである。小津監督の「東京物語」では長年連れ添った妻を亡くす老人役で登場し、終始穏やかで感情を露わにすることない明治の男を演じた。妻の死を覚悟し、受け入れていくその姿は私たちの胸を強く打った。涙で表現することが安直なことであると思えるほど、その悲しみや喪失感の静かな表現に心を揺さぶられる。涙以上に悲しみを伝えるものがあることを教えられた。

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