青い鳥を探して(32) (事務局・増田 達也)

私の長い子育て人生の中で、最も不安・・・、でも最も貴重な経験だったのは、娘2人との3人生活でした。

1987年、娘は5歳と2歳でした。私は、静岡の社会福祉法人に勤めていて、翌1988年5月、女房が神奈川の病院で手術、入院することになり、3ケ月間、どう過ごすか思いあぐねていました。結果、大きな理由は他にありましたが、「毎日お母さんのお見舞いに行きたい」という長女の言葉がきっかけとなり、退職して、神奈川に引越し、専業主夫をすることにしました。

  

女房は手術、入院の大変さもありましたが、いい加減で頼りない私に育児、家事を任せることは、相当不安があり、苦渋の決断だったことと思います。私は、洗濯、皿洗いは苦になりませんが、掃除と料理は大の苦手で、入院が決まってから料理の手ほどきを受けましたが、非常識に加え、学ぼうという謙虚さに欠けていたため、いつも夫婦喧嘩になり、全く上達しませんでした。それでも、何とか最低限の数種類のメニューを覚えましたが、当初、娘は2人で「まずいね」という目くばせをしながら全部食べてくれたものの、2ケ月目からは、「これ、ポロちゃん(女房の実家で飼っていた犬)の御飯?」と言って残すようになり、半分以上は外食にしました。娘に申し訳ないとは思いつつ、気を使い無理して全部食べてくれなくて妙にホッとしましたし、また、もし私が逆に料理に自信があったとしたら、食べ残されるとガッカリしたかもしれないので、いい加減な親の方が子供にプレッシャーを与えなくて済むのかな~と言い訳じみたことを感じました。

 

 振り返ると、子供の一番可愛い時期に、3ケ月間、24時間、半径20m以内で過ごせたことは、他の父親には味わえないありがたい経験で、一生分の親孝行をしてもらったと思います。ただ、次女は天真爛漫でお姉ちゃんがいれば楽しく過ごしていましたが、毎日面会に行けるとはいえ、夜、寂しさでひっそり枕を濡らす長女の姿を見ているのは辛く、まして母親を失くした子供の悲しみは如何に深いか・・・、また私は3ケ月限定でしたが働きながらのシングルマザー、シングルファーザーの方々は如何に労苦が大きいか・・・とつくづく思わされました。

 

とはいえ子どもは授かり物であって親の所有物ではないので、いかなる状況の子育てであっても、やってはいけないことをやった場合は「叱る」にしても、親の思い通りにしなければ「怒る」・・・ということはあってはならないと思います。私は、入院期間中、長女をきつく「怒って」しまったことがあり、大声ではなくシクシク泣く長女を見て、申し訳なさと後悔で一杯になりました。

 

女房は「賢い親ではなかったけれど、愛情はたっぷり注いできたつもりだから、子育てに悔いはないなあ~」と言っていますが、私は悔いが多くて良い父親ではなかったので、言う資格はないですが、全ての子どもたちが、親の「正しい」愛情を受けて幸せに暮らせることを、心から願っています。

 

IMG_00010.jpgのサムネール画像

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▲88年8月8日、退院日です。

入院は88日間、末広がりの「8」並びでした。

(散らかった部屋が私のいい加減さを物語っています)

 

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