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理事長日記
「人に寄り添う生成AI」
今朝(1月20日)のNHKニュースで「人に寄り添う生成AI」の特集をしていました。AIに相談すると、いつでもどこでも即座に回答してくれる便利さや、その人の気持ちに寄り添った返答があるので急速に利用する人が増えているとのことです。さらに海外ではAIと結婚した?女性まで紹介されていました。
確かに膨大な情報量の中から最適解を導きだしてくれるのですからこんなに便利なものはありません。辞書を引く手軽さで問いかけてみれば即座に納得のいく回答をだしてくれます。試しに私も使ってみたことがありますが、便利なだけに人がどんどん退化していくような危うさも感じないではありません。
番組の中では生成AIは人に同調してくれるので安易にAIに依存していく度合いが増す危険性を述べていました。それとは違った意味で私が危惧することは、AIに依存することによって「言葉」とそれを発した「人間」との距離がどんどん遊離していくのではないかと言うことでした。それは自分の発した言葉に責任を持つことが希薄になり、発言の根拠を生成AIのせいにすることが多くなるのではないかと思うからです。
将来の社会がどうなるのかを予想することは難しいのですが、「責任」や「誠実」などの言葉が「人」とは結びつかなくなり「人間」と言う言葉が包摂している概念が大きく変わっていくのではないかと思います。
そんな危惧する面もありながら、これからどんな世の中になるのか空恐ろしいと言う悲観的な気持ちより、そうした技術の発展に紆余曲折を経ながらもこれまでも人類は対応して来たし、これからも対応していくだろうという楽観的な気持ちを強く持ちたいと思うこの頃です。
以上
(2026.2.1 理事長 倉重達也)
「体験するという事」
新年あけましておめでとうございます。本年も皆様方にとりまして良き年になりますよう心よりお祈りいたします
さて、「その歳にならないとわからないことがある」あるいは「その人の立場にならないとわからない」ということが言われることがあります。
これは当事者と第三者の関係をあらわしたものに思います。
確かに、歳を取ってみないと体の衰えはなかなか感じることができません。老眼で見え難くなったり、耳が聴こえ難くなったりします。また、足腰も弱くなるので若い時には何でもなかった段差や障害物に躓いたりします。「年寄りの冷や水」「老いの繰り言」など自分が高齢者の仲間入りをしてみると思い当たることばかりです。若い時には想像できませんでした。
「その人の立場になってみる」試みの一つに体験会と言うものがあります。体験することによって第三者から当事者へと入れ替わることができます。目の不自由な人の気持ちがわかるように、目隠しをして白杖を使って歩いてみたり、足が不自由な人の生活のしづらさを体験するために車椅子に乗ってみたりすることがそうでしょう。
それでは我々が日頃支援している知的障がい者の方の生活する上での不自由さを体験するには?支援される側の気持ちは?そんな試みをしたのが、前月の理事長日記の最後に触れた、「藤沢ふれあいフェスタ2025」のイベントでした。どこまで成功したかは立証するすべが今はありませんが、試みとしては素晴らしいものだったと思います。
しかし、ここまで書いて来て、マイナスの面ばかり強調してきたことに気が付きました。高齢者にも「老いの楽しみ」を説く人がいるように、当事者にとってはマイナス面ばかりではないはずです。不自由と見えるのは第三者からの目で、当事者にとってはこんな素晴らしい世界もあるのだ、と言いたい所が多くあると思います。
当事者にとってプラスの面にたくさん光が当てられる、そんな年に今年はしたいと思います。
以上
(2026.1.1 理事長 倉重達也)
「聴覚障がい者」
「東京デフリンピック2025」が先月の15日に開幕をしました。デフリンピックの歴史は長く今年で101年目を迎えるとのことです。大会は各競技とも大変盛り上がっているようで手話で応援をしている様子やサッカー選手は音が聞こえないハンデを補うため首を多く振ることによって視野による情報収集をしていること、陸上のスタートの合図の歴史的変遷など各社で様々な競技について多様な視点で放送されていました。
また、11月1日からは神奈川県警察が、聴覚障がいがある方のための「手話リンク」サービスを全国に先駆けて始めたとの報道がありました。聴覚障がい者等の方が勤務員不在の交番、駐在所等を訪れた際、不在表示板や出入口等に掲示したQRコードをスマートフォン等で読み込むことにより、手話通訳オペレーターを通じて警察署の代表電話につながり、お問合せができるようなります、とのことです。
この「手話リンク」については、藤沢市が9月から、耳の不自由な人や発話が困難な人などがデジタル端末のテレビ電話を使い、手話通訳オペレーターを介して市庁舎の窓口に問い合わせできる仕組みとして導入した、とのニュースもありました。県内の市町村では初めてで、これまで来庁しなければならなかった人が自宅にいながら、各課の担当者とリアルタイムでつながれるとのことです。
近年、聴覚障がい者の社会参加を支える取り組みが広がっています。手話リンクの導入はその代表例です。こうした社会の変化から学び、知的障がい者の方々も地域で安心して暮らし、活躍できるように私たちも取り組みを進めていきたいと思います。
藤沢育成会では今月の6日に行われる「藤沢ふれあいフェスタ2025」で知的障がい者の世界を体験できるイベントを企画しています。大勢の方の参加をお待ちしています。
以上
(2025.12.1 理事長 倉重達也)
「ひとつひとつ」
先月のノーベル賞の発表に日本人の二人が選ばれたことはとても嬉しいニュースでした。
その中でも生理学・医学賞を受賞した坂口志文氏がインタヴューで座右の銘を問われて、「高尚な四文字熟語はないが......」と前置きしながらも「ひとつひとつ」という言葉を自分に言い聞かせて、実験や論文に取り組んできたと振り返っていたことはとても印象的でした。
不遇の時代もあったようですが、それだけにこの「ひとつひとつ」と言う言葉にはとても重みがあり、自分が確信したことを信じ切って実行した人の言葉だと思います。
さらに「自分で興味があることを大切にしていくと、だんだん形がはっきりしていき、気がついたら面白い境地に達している。そういうことが起きれば、どんな分野でも面白い。」と言ったことを、この「どんな分野でも」と言うところにフォーカスしてみると、我々福祉関係者も含めて、すべての地道な努力を続けている人に勇気と希望を与える坂口さんのエールのように聞こえてきます。
藤沢育成会では、障がいがあっても地域で活動し、街の中で暮らすことを目指して「インクルージョンふじさわ」の合言葉の元、さまざまな取り組みをしています。今日現在も先月の10月1日から12月6日までの67日間の長期に渡って「まちのいんくるひろば」と称して市内のあちらこちらでイベントを開催し地域との交流を深める取り組みをしています。
こうした日々の「ひとつひとつ」の積み重ねがやがては大きな花を咲かせるだろうということ信じて一歩一歩進んでいきたいと言う思いを強くしました。
以上
(2025.11.1 理事長 倉重達也)
「災害」
先月、地域の防災講演会に参加をしてきました。幸い私の住む地域では過去に大きな災害はなかったようですが、9月の初めには静岡で国内最大級の竜巻が発生したり、線状降水帯が全国のあちらこちらで発生して甚大な被害をもたらしているニュースを聞いたりすると、今後は想定を超える規模で地震、津波、洪水や富士山の噴火など、何が起こるか分からない世の中になっているのでとても安心してはいられない状況だと感じました。
約100年前に起きた関東大震災の後には「災害は忘れたころにやってくる」などの名言も生まれ、防災に関する意識が高まったようです。そのことと関連するかどうかはわかりませんが、気候や地形などの風土が日本人に及ぼす影響を論じた「風土(和辻哲郎著)」などの書物も出版されました。
その中で、日本の風土の特徴をなす湿気は、自然の恵みであると同時に自然の暴威をも意味し、また日本の風土そのものが熱帯的であると同時に寒帯的であり、さらに日本の気象の変化は、台風によって具体的に示されるように季節的である反面突発的でもあるという日本の風土の非合理性、断続性を論じた部分は、現代においてもう一度見直されても良いと思います。
精神科医の木村敏さんは、これも約50年前になりますが、ここから、「突発的な激変の可能性を含んだ予測不可能な対人関係においては、日本人が自然に対して示すのと同じように、自分を相手との関係の中に投げいれ、そこで相手の気の動きを肌で感じ取って、それに対して臨機応変の出方をしなければならない自分を相手にあずける、相手次第で自分の出方を変えるというのが、最も理にかなった行動様式となる」(新編 人と人との間第三章「風土と人間性」筑摩書房)と日本人の対人関係の合理性について論じています。
テレビの旅番組で、最先端の人型ロボットを開発している若い研究員の一人が背負っていたバッグに神社のお守りが沢山ついているのを見てリポート役の落語家がそのことを揶揄していましたが、最先端な技術と八百万の神が共存することは突発的な災害の多い日本人にとっては合理的なのかも知れません。
以上
(2025.10.1 理事長 倉重達也)
「戦後80年」
今年は第2次世界大戦が終わってから80年に当たる年という事でテレビなどでも特集番組が多数報道されていました。その中でも若い戦争を知らない子ども達にどう語り継いでいくか、今、若い人たちはどうやって次の世代に伝えようとしているかと言うところに視点を置いた報道が目につきました。
自分が経験していないことを語り継ぐと言う事は、「自分事として」受け止める感受性と想像力、そしてそれをまた次の知らない世代に伝えていく創造力など様々な要素が絡み合ってとても大切だけれども大変険しい道だと感じました。
私自身も戦後生まれですが、それでも戦争体験者がまだ多少いましたので、大人同士が悲惨な状況を会話しているのをそれとなく聞く機会がありました。小学生の時には空襲で焼け野原になった写真を見ながら、それを版画にしましょうという授業があった記憶があります。しかし、それを次の世代に伝えようと言うことは、少なくとも積極的にはして来ませんでした。
話が飛躍しますが、「自分事として」考えることが大事なのは、それまで受け身だったものが自発性に繋がっていくからだと思います。最初は他人から教えられたり、規則で嫌々行っていたものでも「自分事として」考えたり行動したりすることで同じことをしてもその意味合いが180度変わってプラスの希望の光に満ちたものになると言うことは少なからず経験するところです。
そんなことを思いながら「戦後80年」の節目の年に若い、それも小中高生達が次に語り継ごうとする姿を見たことは明るい未来を予感させるものでした。
以上
(2025.9.1 理事長 倉重達也)