日記
"アニキ!"と呼ぶ少年
児童相談所の一時保護所に居た頃は、ユニークな職員がいてシンナー経験少年に部屋のペンキ塗り替えの課題。幼児もいるので部屋を閉めて始めた。ペンキにはシンナーがつきもので、作業場はシンナーの臭いが充満した。少年たちのつらそうな顔が印象的だった。
一時保護所はご存じのとおり今後を決めるために子どもの様子を観察する場。また、被虐待児を一時的に保護する場。さらに、施設適応が難しい子どもの方向を決めるまでの待機場所でもある。2歳の幼児から18歳未満の子どもたちがそれぞれの理由によって保護所を利用する。3食食べられることで充足する子がいる。ピアノが無いと嘆く子もいるが、机に向かったことがない子もいる。それらの子どものほとんどが養育者の問題によってこの状態に追いこまれ将来の不安を抱える。だから、日常は何とも統一性がない。また、出来ることもできないこともあり不満が充満する。
夜9時頃、警察から電話。緊急に幼児2人を保護した。警察官が子どもを連れてくると職員は事情聴取、子どもたちの面倒をみた。まずは風呂を沸かし垢だらけの身体を洗い着替えさせた。厨房職員がいないのでインスタントラーメンを食べさせる。おいしそうに食べた子どもはそのまま寝入った。観光地のそばにある洞くつで保護されたという。
別の夜、あと数か月で18歳になる少女が保護された。中卒まで児童養護施設で育ち、旅館で働いていた。しかし、父親に住処がバレ、貯金全てを持ち去られ自殺を繰り返した。紐や刃物などはしまったが、女子部屋に入ると様子が判らない。気になるが、18歳の少女の部屋を覗くのは男子学生に出来ることじゃない。幼児の面倒を見ることなどで心を癒され職場復帰した。その後音沙汰がなかったが、元旦の勤務明けに来た。初詣に行きたいが、誰も一緒に行ってくれる人がいない...。用事もなかったので付き合うと帰りに告白された。既に結婚を決めていたので、気遣いながら断るとそのまま1人で帰った...。
幼児が多い時に小学6年生の男の子が来た。乱暴者で言葉が汚い。それまでの暮らしが想像できる振る舞いに苦り切っていたが、周囲に迷惑が掛からないうちは黙っていた。慣れると幼児たちをいじめ、泣かせることが増えた。抑えきれずうっぷん晴らしをしているのは判るが、幼児たちも親から切り離され、ようやく心を保っているから安易に放っておくことは出来なかった。そこで強く叱ると向かってきたので取り押さえて諫めた。泣きだし、うめき声!"おめぇなんか...、おめぇなんか...大学まで行きやがって!俺は中学卒業したら土方だよ!土方!"うずくまって泣いていた。当事、親元を離れた子どもが高校に行く術はほとんどなかった。将来を悲観した少年の声が響いた。そばで落ち着くまで待ち自分の話をした。中1で父が他界し、アルバイトで学費を稼ぎ大学に行っていることなど...。技術も知識もない学生にはそれしか出来なかった。翌朝、玄関に靴が並べてあった。す~っと出てきた少年が"どうぞ!兄貴!""ボク、兄貴って呼ぶことにしたんだ!いいよね"と笑顔。どうしていいか判らなかった...。しばらくして児童養護施設が決まった。その後を承知してはいないが、高度経済成長の一角を担う働き手になっただろう...。こんな子どもたちに導かれて社会福祉の道に入った。(2021.12)