日記
「制度の番人」にならないために
いつも"社会福祉とは何?"...と、疑問、不安、焦りを感じる。役所の窓口で「それは出来ません!」と断られている人を見る。「それは出来ません!」は"制度にありません!"とか、"制度に合いません!"などの意味だろう。つまり"制度に合わせて相談に来なさい。"と言われているようなもの。社会福祉は制度がなければ出来ない。収益を得てそれを財源に行うのではなく、税金等に頼らざるを得ないから、公平・公正を保てなければ瓦解する。だから例外を作るのはすごく難しい。制度は人間が作っているが、人はそれぞれだから個人的課題はもともと制度になじまない。だが制度を重視しなければ成立しない。だから、制度を作る人も、制度を運用する人も、制度を変えたいと思う人も、ジレンマがある。
公務員時代、支援の職場と制度を作り守る職場を行き来した。支援の場ではプライバシーに踏み込まなければ問題の本質が見えない。本質を見誤ると制度が機能するどころか自立を損ねかねない。ケースワークの母・リッチモンドは「ひもじい思いをしている子に食べさせるようにと酒乱の父親にお金を渡して問題が解決するか?」と問う。それでは酒量が増え問題を拡大する恐れさえある。ゆえに"支援"は課題を多角的に読み取らなければいけない。だから情報を積み上げ詳細に分析する仕事が求められる。しかし、諸制度を見直す時は、個々のプライバシー問題まで積み上げると課題が多様に見え過ぎて核心にたどりつきにくい。核心を探るためには、情報を削ぎ落として共通項から見る。結局、制度は個人の事情に応じきれない。しかも、制度は社会情勢や時代の変化が重なり更に複雑になる。それなのに新制度に出会う時、自分基準で最良を願う。期待感も含め自分との乖離が際立つ。その結果、不満が充満する。こうなると制度が永遠などと到底思えない。
制度は人が作るので、人が変われば考え方も変化する。また、税収の増減など社会動態で変化する。すべての人が平等で差別なく生きる権利があると言い始めたのは第二次世界大戦後。時代の変遷で見るのと同様に、世界の動向で見るとすべての国や地域の中で障害者の平等性を認識する国や地域がどれだけあるか...。今の制度は10年もつだろうか...?と思う。障害の概念はどうだろう?IPS細胞で脊髄損傷の人が治療可能になったら変わらざるを得ない?角膜移植手術で"見える人"になれば障害者ではない?でも、身体障害者手帳は更新を必要としていない。平成に障害の仲間入りした肝機能障害や障害者自立支援法施行から一部難病治療者がサービス対象者になった。さらに、生活保護基準など制度改正は毎年行われている。それがサービス利用者の暮らしに影響を与える。もちろん社会的養護の子どもや保育に欠ける子どもなども。だから制度に従順であるべきだと思い疑いもない人たちを見ると不思議でたまらない。社会福祉制度草創期に民間事業者を社会福祉法人として認定した。それまでの事業を確保するためには必要不可欠だったからだろうが、表向きは"民間事業で活性化を図りアイディアを生かす"だった。民間社会福祉事業者としてプライドを持って、次代に見合う先駆的事業展開をしたい。だから、制度を守る姿勢と、制度を改める志向性を失わない事業展開を希求する。ゆえに、制度の番人で終わるのではなく、制度をさまざまな角度から検証したい。