日記
卒業論文と言う登竜門
大学教員時代、卒論指導は大変だが一番面白かった。大卒の"証"は卒業証書で資格取得以外は楽しく過ごすのが今どきの学生。そこで「自分で大学を卒業した"証"を創ろう!」とゼミ希望学生に投げかけた。それでたじろぐ学生は希望しないだろう・・・と。ゼミは10人以内だが複数教員に面談する規則があり倍以上の学生が来た。それ故、卒論必須とした。
卒論発表会を見ると多くのゼミには統一感があったが、個性豊かなテーマが並ぶゼミだった。それぞれ興味ある課題を探す。3年終了前にテーマを決め春休みに構想を練り4年の初日に発表。このテーマで書けるかと心配なものもあったが、出来るだけ自由にした。行き詰る学生もいたが、GW明けに取組み始め、書きだすのが梅雨の頃。毎日、相談に来る人も全く音沙汰なしの人もいたが、皆どう書いて良いか判らないのが常。正直、"コピペ"も"丸写し"もあったが、出典だけは明示させた。書くことになじむと調べる姿が板についた。何を学んだ時よりも自分の中から出てくるものを書く作業は、学生をぐぅ~ん!と成長させた。卒論提出最終日は、教室にパソコンを数台用意した。自前の学生が多いが、用意したものを交互に利用していた。助け合い締め切りギリギリまで取組み、終了と同時に凄い解放感に浸りしばらく動けなくなるほどの充実感。そして成し遂げた自信がみなぎっていた。学生たちの努力に報いるために、簡易製本機で卒論を製本して手渡した。この中で何事にも真摯に取組むことや最後までやり抜く姿勢を持つ大切さを味わっていた。
だが、苦労は尋常ではない。"てにおは"から直された人がどんどん力をつけて、終了時は他学生と変わらなかった。いつまでも書き始めない学生が、難しすぎたと諦め顔で面談に来た翌日"分かった!これです!"と嬉しそうに1冊の本を持参した時の顔は輝いていた。参考図書が少ない学生はインタビュー調査で補った。それは「なぜ左利きは矯正されるか」。また「アンパンマンとバイキンマンの人間関係」から、家族的なアンパンマンと、会社組織的なバイキンマンの環境の違いで幼児の生活環境を論じた。自分史と幼児教育のあり方を書く学生は毎年いた。往々にして教科書との対比で親の育て方を批評した。それゆえ母との確執も見たが、ありがたいことに大人になった我が子の考えを受け入れてくれた。そして「胎児虐待」の学生は、新たな考え方を丁寧に調べ、卒業と同時に念願の乳児院に就職。稚拙な文章は否めない。不十分な調査も仕方がない。ルール違反でなければ探した文章を使うこともあったが、しっかりと"学び"をつかみ取っていた。
ゼミのテーマは"支援とは..."。対人援助職として一貫して"支援"について考える時間。内容は問わずに毎回、誰かが"支援"について考える素材を発表した。"韓流スターのおっかけ体験"や"ディズニーランドのアルバイト"もあった。つまり人のいるところ必ず"支援"があると示していた。支援する側と支援される側の上下関係を想定しがちだが、支援は本来平衡の関係。"教育は1本の丸太棒と2人の人間から始まる"が好きだ。どちらかが上ではなく上がったり下がったりするシーソーの関係。教師然とするのではなく、相互性がある支援が卒論指導だった。真摯な姿勢は相手の真摯な心を刺激し、真摯な心と心がさまざまな模様を織りなすと学んだ。