日記

二刀流?三刀流?!

 初めての本庁勤務が2年で終りラッキーと思い転勤先の知的障害者入所施設に向かった。前任地はそれほど辛く何もかも新人職員以下だった。前任者は福祉職の先輩だが、行政事務経験者でもあり同じようには出来ず失敗続き。何とかしようともがき続け青息吐息だった。だから転勤でホッとした。だがそうは問屋が卸さなかった。園長は、長い本庁勤務を経て久しぶりの施設勤務。課題を見つけては考え方を問われ止まらない。"今まで通り!"は禁句。根拠のない話しは聞く耳持たず。説明を求められても簡単に理屈はたたない。ある日、プロジェクトを作って職員全員の意見を聞くシステムを考えろ!と厳命。「運営検討プロジェクト」を企画し提言したがその場で却下。職員全員の意見を聞く場でなければ意味が無い!超勤が職員の負担になると伝えたが揺るがない。仕方なく8プロジェクト構想を提案したら、9プロジェクトになった。最初に提案した「運営検討プロジェクト」を中心に8個のプロジェクト群がそれぞれの課題を検討する。その要綱策定の担当となり、運営ルールと進行マニュアルを創り、始まった。

 思った通り超勤を嫌い出席者が少ない。だが、出欠が明確で夜勤明けでも苦にせず皆勤の人もいる。発言内容を追うと意思が明確な職員のメッセージが伝わった。今は無理でも何とかしたいこと、その気になれば何とかなることが混在した。それを「運営検討プロジェクト」が取りまとめ動き出した。結果が出ると職員のモチベーションが上がる。職員参加がもたらすものを目の当たりにした。仕事への意欲が高まり、職員ひとり一人の意識が向上した。鍵を使わない工夫として施錠しない時間帯を設けた。完全開錠の寮も出来た。自らの意思が反映するため成功率が向上し、行事等も変化し意欲的な業務推進になった。

 2年後、施設内の考え方を変えられると思った矢先に転勤。本庁勤務。しかも、行政計画の策定や運営管理等。園長に最後まで推進役を果たしたいと希望したが受付けられず。頑固で、一徹な性格。一括された後、"誰かがやらなきゃいけない仕事!""選ばれたら最善の努力をして来い!"と。憤懣やるかたないが断れないことは百も承知。不満を口走ったのは甘えだったとすぐ気づいたが"誰かがやらなくてはいけない仕事!"の真意は判らなかった。長~い時間のあと、真意が判ったのは退職間際。"現場≒直接支援の場"だけではなく、"相談≒間接支援の場"、"行政≒環境整備の場"が整わなければ出来ない。しかも、利用者支援では、情報をひとつひとつ丁寧に調べ積み上げなければならないが、行政の場ではそれでは立ちいかない。様々な情報を丁寧に調べる重要性は、直接支援、間接支援と同じだが、集めた情報を切り落とす作業が必要。つまり、ひとり一人の苦労の同質を見出だしながら制度を作る。すべての人にあう制度など不可能だから、共通項を集めて制度に反映させる。これを現場の状態抜きにすると、いわゆる"机上の空論"。だから支援も相談も...の二刀流が求められる。しかし、行政を知らないと制度にはなりにくいので、三刀流...か?誰かがやらなければ...は、現場の状態・課題からどう共通項を探し伝えるか...だ。これが出来ると出来ないとでは、制度の成熟度が決定的に違う。だから福祉職の役割がポイント。その後の仕事の流儀に大いなる変革をもたらした一喝だった。