日記
仕事の流儀
行政の仕事は決まり事が多く、誰でも同じと思っていたが全然違った。始めての管理者は先頭を走る行政マン。翌年、福祉職に変わり驚いた。"あのね!"が始まると福祉論が止まらない。正論だが出来る?...にチャレンジ。出来ることも出来ないこともあった。
再びの行政の場では余裕しゃくしゃくの上司。ある日、行政計画を創ると言い出した。残業続きで行政計画までは...としり込みしたが断れない。ただ、福祉職としては「〇〇福祉計画」を創る仕事は魅力的。何も知らないがスタッフには経験者も、上司と共に計画を創った人もいて動き出した。だが、社会福祉専門職は2人。もう1人は初の行政の仕事で苦労の最中。聞き取りが始まると質の高い質問が矢継ぎ早に飛び出した。姿が見え始めると上司が近寄り分厚い計画書を持ちパラパラと眺める。しばらくすると"この図なんか良いんじゃないか""こっちの方が良いかな"と作図の参考にしろと言われ納得。助言者の大学教授訪問時にデパートに寄る。手土産かと思ったら靴屋。履いていた靴を脱ぎ同じものを買って古いものは店員に処分させた。ダンディーで格好つけたがる人だったがネクタイはいつも同じ。同じスーツ、ネクタイを複数買いそろえ毎日同じ姿で出勤。ある時、訊ねたら"そんなことに気を使うのは面倒!"とそっけない。毎日、麻雀と酒で夜な夜なフル稼働。付き合わされる身にもなって...と思った。退職後すぐに他界した。
次は中学の先輩で同じ担任だった。なかなか判断しない。慎重とも言えるが優柔不断とも...。だが、専門職の考え方をよく聞いてくれた。ある日、課長の意向だからこれで行く!どう考えても納得できず違うと繰り返し説明した。判っているが変えない。苦り切って立った位置から説明書類を机に振り下ろした。すると、書類がす~っと上司の前まで、アッ!"上司に書類を投げた部下は始めてだ!"と。二度と浮かばれない...と思っていたら"飲みに行こう!"と誘われた。おしかり覚悟でついていくとラーメン屋に。ビールと餃子を頼み自分はタンメン。"そうか、飲めないんだ..."。なんで誘ったのかと思っていたが、本人は上機嫌。タンメンをすすりながらビールを勧めた。なめるように飲んでいると"自分も違うと思っているがやって欲しい"。変更できるチャンスを探り続けると説得された。その後助言者の大学教授に話して変更してもらった。若い頃、どうにも休めず歯科治療に行けずに総入れ歯になった。誠実で働き者だったが、退職後一切の関係を断った。
計画作りが佳境に入ると上司が変わった。しかも、福祉職の相棒も変り負担増に。今度は女性、切れ者。ズバッと論理的に指摘し熟慮を重ねて最終章まで作り上げた。中途半端では論破されるから適当なことは出来ない。他業務との並行はきついが最後までやり遂げたかった。だが、やり切れずそのままにしておいたら、出来たかと訊かれ、まだだと応えた。すると"あんたは、好きなことしかしないのね!"と叱責。"だから福祉職なんです!"と言い返した。驚きも見せず"そう!"だけ。さっさと仕事を始めた。またまた"しまった!"。だが、その後も関係は良好で繰り返し話し合った。最後に行政マンらしい方法で解決して事業化に成功。定年後、先に神奈川を発ったご主人のもとに転居。今も年1度だけはがきのやりとり。こんな人たちに教わり仕事の流儀を学んだ。