日記

「鋏条格差②」

 8月15日の敗戦の日を迎えると戦中派の人から、「教科書が黒塗りだった」とか「戦争中はストライクを『よし』と言わされた」などの話が堰を切ったように出てきます。また、日本国民を一億玉砕するとまで追い詰めた憎きアメリカが敗戦を境に「チューインガムちょうだい」とおねだりをする対象に変わってしまったという話をため息交じりに話すのを聞いたこともあります。40年も前のことですが上司の一人から「あの人は、今は偉そうなことを言っているが戦前は違うことを言っていた。変節漢だ!どうしても許せない!」と言うことを憤りと共に聞かされた時は、私も若かったこともあり、一緒に憤慨したものでした。

 しかし、戦争と言う極限状態に追い込まれた時に、自分が人として正しい道を常に選ぶことができるのかはわかりませんし自信もありません。先月、NHKテレビの特集で若くして特攻隊に志願した人たちの記録を放送していました。本人を含め家族や志願を後押しした校長先生などそれぞれの立場でその行動は違い心の葛藤は大きかったと思います。戦争中と大災害時とでは比較は難しいかも知れませんが、戦争中にも元気になって国民を鼓舞して活躍して目立った人とその場でジッと人目につかないように頭を抱えて過ごした人とでは同じ戦争と言うものがもたらした結果において「ハサミ状」に格差が広がったことは確かでしょう。

 戦後、変節漢と映ったその人たちにとっては生物学的には順当な適応能力だったかも知れません。配給を守って餓死した人は社会的には順当だったとしても生物学的にはどうだったのでしょうか。その人たちの戦後の生活ぶりや健康状態がどういう風に変わっていったのかとても興味があるところです。

精神の病としての予後はどうだったのか。社会的に順当・不順当、生物学的に順当・不順等がその人の人生にどういう意味を持っていたのか、そんな問いを中井久夫さんは今でも発し続けているように思います。

2024.9.1 理事長 倉重 達也