日記

理事長日記

"僕がお父さんを棄てることに決めた!"

「おちょやん」という朝ドラで、主人公(浪花千恵子がモデル)が奉公先へ旅立つ時、父が母の写真を持たせた。その時「うちは捨てられたんちゃう、うちがお父ちゃんを棄てたんや!」と涙を浮かべた。どこかで聞いたセリフ...だった。児童相談所で仕事をしたいとこの仕事に就いたが、児童福祉司はたった2年。それでも忘れられないセリフがある。それが"僕がお父さんを棄てることに決めた!"。衝撃的だが、彼は苦しみ、もがき、悶え、身体いっぱいの涙を全部絞り出すようにしながら、か細いが覚悟がみなぎる声で話した。

 6年生、担任から相談だった。盗癖と聞いたがひ弱な少年だった。消え入るような声でぼそぼそ話すので聞き取りにくい。存在感がなく友だちもいない。家庭訪問に条件があった。「車で来るな、玄関先で児童相談所と言うな!」。訪問すると、父は少年をなじるだけで話にならない。母はその場に表れない。とにかく病気だからどこにでも連れて行けという。だが、そう簡単に親子分離は出来ない。少年が少しずつ話し始めると、食べさせてくれないひもじさから盗んだ...。学校の必需品も万引きでそろえていた。そこまで困窮した様子は見えないが、子どもにお金を使わないことが徹底されていた。近所に住む成人した姉に様子を聞くと、継母子で母は全く子どもを見る気はなく、父は母に何も言えない。卒業も近く自宅から通学させたいが、食事もままならないまま安易に在宅を続けられず一時保護。

 保護後、少年は少しずつ快活になった。地元小学校を卒業したいので、父が来ることを願っていた。父を促したが動かず、日に日に少年がいない暮らしになった。父は"近所に子どもは長期入院したと話したので帰ってきたら困る!"の一点張り。子棄てだと思い、にがり切った。帰宅の道筋を探って実姉に話すと結婚するので引き取れない...と。結果、施設入所方向に。あまりに理不尽だと思いつつも、このまま帰宅しても少年の生活改善は見込めず会議に諮り施設入所が決まった。

せめて、卒業式に父が出席できないかと腐心したが、かたくなに拒否。ここまでくると子どもは託せないことが歴然とした。だが、少年に説明のしようがない...。少年から卒業式に出たいとせがまれた。そうしたいが、親が出席しないことをどう...などさまざまなことが交錯した。その頃、実姉から卒業式に出席させたいので同行して欲しい...と相談された。姉だけでは心もとなそうで日帰り帰宅を理由に同行した。当日、少し緊張気味だったが無事終了。そのままでは帰れず、3人で食事をして卒業を祝った。小学校卒業の門出が...と思ったが、少年は外食ではしゃぎ、姉も少しの役割を果した安堵感があった。

 保護所に帰り一番大切な話しをした。経過を少しずつ、少しずつ伝え、子どもに判るように、子どもを傷つけないように...。若造の福祉司がどこまで配慮できたか判らない。彼はその間、ずっと泣いていた。泣いて、泣いて、絞り出すような声で"わかった、僕がお父さんを棄てることに決めた!"...と。入所時、少年は笑顔だった。転勤で担当を離れたが"○○君、猛勉強で県立高校に入学!"と聞いた。当時は公立以外の進学は不可。最下位を争う成績だったが、本気で猛勉強したのだろう。心にほのかなぬくもりを覚えた。覚悟を決めた人間はどこまでも強い!

テレビ桟敷のオリンピック

五輪開催時に緊急事態宣言の地域が拡大された。"五輪をやるから気が緩む"や"庶民だけ自粛なんて"などの発言に苦虫をつぶす。選手たちは、入国時や毎日の検査、そして行動制限で外出もままならない。無断で東京タワー見物をした選手がIDカードをはく奪された。細心の注意を払う環境でがんばる選手を見ていない。それなのに訳の判らない理屈で恥ずかしげもなく許されようとする。そこでテレビ桟敷の五輪だが、チャンネルをひねりさえすれば複数競技を同時観戦でき、寝る頃には緊迫したゲームでぐったり。

 無観客のため歓声は少なかったが、試合中の選手や監督の声が生々しく臨場感が凄い。客席の関係者から歓声があがり臨場感がさらに増した。それでもお国柄があり、国情を反映した姿を見る。聞きなれないROCが活躍した。組織的ドーピング問題で、国として参加出来ず救済措置でロシアオリンピック委員会として出場。選手に過誤はないと納得。だが、国歌が問題でチャイコフスキーに治まった。かつて、有森裕子が連続メダルを獲得した時、金の選手は"国家のため"、銀は"家族のため"、そして有森は"自分で自分をほめてやりたい!"と。金はエチオピアで国威発揚、銀はロシア。ソ連からロシアに変わったばかりのお国事情が表れたと記憶に残る。

 今回は、日本のメダル獲得種目の変化が象徴的に見えた。スケートボードやサーフィンなど若者が活躍する姿に年寄りには五輪か?と思えた。古典的な競技と新たな文化が定着したスポーツが混在し、多くがプロ選手。前回の東京五輪ではプロは参加出来なかった。当時のIOC会長は国歌斉唱の廃止を検討していたと聞いた。見ていると日本名の外国代表や外国名の日本選手、他国でコーチや監督として活躍した人々など、どの国にも多様なルーツを持つ選手がいると判った。また、人種差別等への抗議行動もこれまでと異なり一部認められ表明された。"国"のワクを超えた人たちを見て、国威発揚、国家威信ではなく平和な地球、未来の創造を垣間見て世界の粋を集めた平和の祭典になりつつあると感じた。

 それにしても勝負は非情で、嬉し涙も悔し涙も見た。池江選手の努力は素晴らしく大病の末回復し1年の延期が間に合わせた。だがピークにいた選手は調整が難しかったようだ。スキャンダルが報道された選手の予選落ちに人間性が勝負を分けた...と思ったが、バドミントン女子ダブルスなど世界の頂点と言われながらメダルに届かなかった姿がトップを維持する難しさを表した。新型コロナウイルスによる1年が勝敗を分けた選手は確かにいた

 一方で、競技種目の変遷は国力や国民の興味関心に多大な影響があった。前回の東京五輪は、柔道、レスリングなど格闘技が華やかで、チーム戦は女子バレーが記憶に残るが、今回はバスケやサッカー、野球などのプロ選手の話題が華やか。また、フェンシングやアーチェリー等これまでなじみのない競技、新種目での躍動などが時代の変化とグローバル社会を印象つけた。オリンピックは国力がもの言うようで、ボイコットされたモスクワ五輪など政治に翻弄された歴史を持つ。その中でコロナが世界に蔓延する今の世界をのぞかせた。コロナ禍での五輪を歴史はどう評価するのか?それはしばらくの時間の経過が必要だ。それにしても、悲喜こもごもの五輪だった。

Qちゃんとミヨちゃんの恋

施設では男女別に暮らす。集団生活は一般的に"男子寮""女子寮"があるが、社会では男女が別れて暮らす方が珍しい。男女はお互いを尊重しあい共同生活をする。夫婦生活はその典型で、どちらかが一方的に優位な暮らしは成り立たない。五分五分かどうかは地域の文化や風習で異なり、子どもの頃に体験した暮らしぶりがその後の暮らしに影響するようだ。知的障害児も思春期を過ぎると多くの場合、男性は女性に、女性は男性に魅かれる。当時は成人施設に移行できない過齢児(年齢超過者)がいた。

 その中に20歳を過ぎたダウン症の男性がいた。担当ゆえ彼のこだわりの強さに悩まされた。食卓で一定の儀式を求めるが、先輩職員の真似をしても受け付けない。先輩職員が"いただきます"をした後、親指と人差し指でオーケーサインを出すと、彼も応じ嬉しそうに食事を始めた。だが、同じ動作では応じてくれなかった。そこで近づいてオーケーサインの輪に親指と人差し指を入れてリングを連ねると嬉々として食べ始めた。嬉しさから箸立ての底でポン!さらに喜び、コミュニケーション成立!だが、箸立てでポンと鳴らさないと次に移らなくなった。彼はオバケのQ太郎に似ているので"Qちゃん(当時はニックネームで呼ぶことが許容されていたのでこのまま書かせていただきます。)"と呼ばれていた。

 ある日、女子寮職員から"何とかしてよ!汚いじゃない!"としおれた草を手渡された。調べるとQちゃんが特定の部屋へ花のついた草を抜き取ったまま投げ入れていた。怪訝な想いでいると特定の女性がいる時だけだった。女性はミヨちゃん。少し年上でしっかり者。言語明瞭でコミュニケーション十分。Qちゃんは発語なし、IADL(手段的日常生活動作)は不十分。当初ミヨちゃんは受け入れがたい表情。女子寮職員からはやんやの催促。仕方なく"花をプレゼントするなら、土は取ろうよ!"と諭す。とにかくなんとか伝え、しばらくすれば忘れるだろう...と高をくくっていたが一向に納まらない。さらにQちゃんの一途な思いが伝わったのかミヨちゃんも花(草?)を持って笑顔を見せ、いつの間にか恋人同士のようになり、外で遊ぶ時は手をつなぎ歩いていた。穏やかな表情のQちゃんは、普段の頑固さは影を潜めた。ミヨちゃんは姉さん女房のように世話をやくようになった。

その頃、Qちゃんの母親が来て、成人施設が決まったという。入所施設ではなく通所施設(現:生活介護)で自宅から1人で通わせたいとの話。社会的なルール等に不安が残るため単独通勤は難しそうだが母親の願いに添うようにした。母子の努力の結果、Qちゃんは1人で通えるようになったが、それはミヨちゃんとの別れだった。

ある日の夕方、寮に帰る時間が過ぎたが2人はブランコに乗っていた。遠くからでは何を話していたかまで判らないが、ミヨちゃんがQちゃんに話す姿が見えた。その後、ゆったりと並行して動くブランコに座り続けた。退園の日、お見送りにミヨちゃんは来なかった。どんなに誘われても行こうとしなかったそうだ。そして、じっと座ったまま、さめざめと涙を流していたという。これでもう再び会うことのないさようなら...。人と人の心の通い合い、愛することの素晴らしさ、そして思いどおりにならない社会を見た。

「学ぶ」&「考える」とは...

人々はヒーローが好き!だから、試合後必ずインタビューがある。だが、野球選手もサッカー選手もお相撲さんも決まった言葉が多い。個人的には「感動を与える!」や「勇気を与えたい!」が嫌いだ。感情まで左右できるというおこがましさが気に入らない。だが最近、個性的な発言が増えた。社会的発言がある大阪なおみはインタビューを拒否し罰金を払い、精神的に追い詰められていると吐露した。休養宣言したがオリンピックでは聖火最終ランナーを務め、試合に出場したが敗退した。若い人が多いので自分の言葉で話すのは相当なプレッシャーだろう。ましてや大阪なおみのように社会的影響が大きい人は苦しかろう...、察するに余りある。

 『プロサッカー 監督の仕事(KKカンゼン、森保一著)』を読んだ。副題に"非カリスマ型マネジメントの極意"とあった。当時サンフレッチェ広島の監督の森保一氏は、ご存じ日本代表、オリンピック代表の監督だ。「反省のない切り替えには意味がありません。しっかり反省したうえで、その試合における「成果と課題」を振り返って次に向かう。(P17)」とあった。これが象徴的で、自ら考えられない選手は試合中に役割を果せないと。"非カリスマ型"とは、指示に従ったプレーではなく、状況に応じたパフォーマンスを出せる選手。しかし、最近は"答え"を求めすぎてしまい、自らの"答"を生み出す力が弱った。

 コロナ禍で開始時期がずれ朝ドラ『おかえりモネ』が始まった。気象予報士になる夢を追い勉強中。職場の若い医師から"知識を得たいのか、試験に合格したいのか!"と聞かれ"気象予報士になりたい!"と言うと"気象を知る勉強と、気象予報士になる勉強は違う!"。その前に、勉強し始めたモネが問題集を見ていると"勉強するなら絵本や漫画から始めれば良い"。また、問題集と絵本を前に"間が飛んでいる!"と中学生理科の教科書を手渡した。この一連の話しが今を現す。問題集では根源が判らない。根源を判ったつもりで問題集をやるとプロセスが判らず解答を鵜呑みにする。勉強≒学びとは、根源を理解しプロセスを深めなければ"答"を見出だせない。良い点を取る勉強は正解を求めすぎ意味を理解しないで終る。意味を理解する大切さが判っていない。

 利用者支援は困っていることを支援し満足する。しかし、これでは支援を受ける人は自分で出来るようになれない。だから、ず~っと支援が必要になる。それでは支援が利用者の"自立"を妨げてしまう。ず~っと支援が必要なこともあるが、自分で出来るためには手伝うだけでは届かない。だから、究極の支援は"見えない支援"。"○○してあげる"ではない。だが、どうすれば良いか判らない。人は、多くの場合経験値で判断している。だから生活歴を見れば価値観や好みが判り予測が可能になる。言語化されない利用者の行動パターンが見え出す。これをデータ化したのが"記録"。だから、利用者から学ばなければ"支援"は出来ない。"〇〇してあげる!"は、支援ではなく"おしつけ"だと認識しなければならない。利用者からの学びを重ねて"考え"、自ら答を見出ださなければならない。自分自身がクリエイティブな存在にならなければ学んだことにはならない。(2021.8) 

※「人間のあらゆる尊厳は思考のうちにある(パスカル)」

"マージャン療法?!"

特養勤務はわずかだが深かった。家族会の会長は毎週末訪れる利用者の娘。不便な場所だったが彼女には助っ人=息子(大学生)がいた。だが、彼は姿を見せず母の面会が済むまで車にいた。周到な準備をしている様子だったので聞くと"あの子は、私を苦しめた人と思っているんです。小学生の頃、髪を振り乱して母を追い、妄想に苦しめられた姿をず~と見ていましたから...」。それなら同行したがらないのでは...と尋ねると「判っているんですよ。病気だって。だから母親の手伝いなら許せるんでしょうね...。」「それで良いと思っているんです。」家族それぞれの想いを理解するのは本当に難しい

 ほぼ自立している人がいた。80歳後半で車イス、私物を持ち込み個室暮らし。ただ誰1人来訪者がない。辛酸をなめ、必死に生きた記録を読んだ...天涯孤独。赴任時、職員への苦情がすさまじかった。次第にカメラが趣味と知り施設周辺の草花を撮りに誘った。最初、怖がったがしだいにせがむようになった。施設のお祭りで大きく"○○氏 個展"と書き、模造紙2枚に重ねながら貼れるだけの写真を展示した。確実に苦情が減り私を"息子"と呼び出した。転勤を告げると"息子だから電話しても良いね..."。出られない時もあると伝え了解した。すると最後のお願いと"死んだら検体して欲しい。届も出した!"と書類を見せた。社会参加だと思った。転勤後、奇妙な電話に部下は切ろうとしたが説明して時折受け入れた。社会参加できない彼女を哀れに思うのではなく、彼女の努力のお供だと考えたが、電話は来なくなった。風の便りに亡くなったと聞いた。

 寝たきりか、寝かせきりか良く判らないが、動きにくい高齢者ばかりの場ではそういうものだと思い込んでしまう。それを若手職員が気づかせてくれた。明治生まれの女性は中国で育ちテニスや麻雀を楽しんだ由。麻雀なら出来るだろうとの提案。しかし、今話したことも忘れる方が麻雀...想像すらできない...。それでも引き下がらない若手職員を諦めさせるために雀卓に誘った。所長は無類の麻雀好きで、職場で公認の麻雀に積極的。雀卓の前に座った彼女はすぐにジャラジャラとパイをかきまぜ、並べ、2段にして準備完了。驚いて見る職員に"早く"と促す。始まると"ポン"だの"チー"だの"リーチ"だの、実に手早く、姿勢もシャンとして楽しむこと30分程。帰り道、車イスの横で"すごいですね!独り勝ちでしたね"と声をかけると"あら、そんな失礼なことはしませんよ!"とぴしゃり!接待麻雀は、負けないように勝たないようにし、相手に花を持たすと聞いたことを思い出した。以後、所長命令の「マージャン療法」が定期的に行われた。元気を取り戻し明るい表情を喜んだ。ご主人は月1回程度の面会。"お元気になって良かったですね!""ありがとうございます!...、でも...つらいんです...""どうしてですか?""帰ろうとすると「行かないで...」と言われるんです..."と苦渋の表情。雀卓での彼女の眼の輝きが忘れられない。そして、ご主人の悲しい眼も...。人は、人と触れ合い癒され、人との葛藤に辛酸をなめ、人との交流で生きる力を得る。全てを投げ捨てたら生きるエネルギーを見出だせない。施設の役割を今一度深く、深く考えさせられた。

「ヤングケアラー」

最近"ヤングケアラー"とよく聞く。少し前は"老々介護""遠距離介護"だった。"老々介護"は、高齢者が高齢者を介護する問題。高齢者はそれだけで介護すべき対象と社会が捉えていた頃だ。背景に財政事情をちらつかせつつ、定年延長≒年金支給年齢延長、健康老人の社会的活動がニュースになると聞かなくなった。今は当時より深刻な問題が内在...。"遠距離介護"は、元都知事の『母に襁褓をあてるとき』が売れた頃。ケアは日常の問題なのに遠距離...。ケアを必要とする時のタイミングは計れるの...、など不思議だったが、1日使われなかった電気ポットからメールが届く商品が開発されたニュースを聞き理解した。また転居等で友達を失うなど社会的関係の希薄さが課題視され"遠距離介護"もうなずけた。だが、当時もヤングケアラーはいた。父が病に伏せた時、発作が心配で夜間も誰かが一緒にいた。小6、中1の長期休みは、交代で夜中にトランプなどをして父の気を紛らわすお供だった。もちろん、学校に行けないほど追い詰められていないが、親のケアは当然だった。しかし、今のヤングケアラーは常態化した問題。学校に行けない・・・、授業中眠たい・・・、宿題も出来ない・・・など。

 『ヤングケアラー わたしの語り(生活書院、渋谷智子編)』が昨年出版された。7人の体験談だ。難病の母を看た女性は「自主的に母と向き合うという選択をしている。その選択をした今の貴方を、未来のあなたは誇りに思っている。<P41>」と。彼女は大学進学を断念した。精神疾患の母に翻弄された男性。両親が視覚障害者ゆえ幼児期から通訳を担ったコーダ(※)。障害のある妹がいる女性は、すべてが妹の様子で決まる日常で自分を見失いそうになりながら母の頑張りに応じ努力した日々を綴る。また、認知症になった祖母の介護を母から迫られた女性は「"家族は協力!おうちのお手伝いをして偉いね"とまわりの人たちから美談にされ、SOSを出せずにいるのではないでしょうか<P164>」と。編者の成蹊大学文学部教授の澁谷智子氏は、ヤングケアラーを 「家族にケアを要する人がいる場合に、大人が担うようなケア責任を引き受け、家事や家族の世話、介護、感情面のサポートなどを行っている、18歳未満の子ども」と定義。

 学生時代、講座「社会問題」で非行少年の傾向を聞き驚愕した。今は不快用語だが‟欠損家庭(現:ひとり親家庭)に多い"。中1で父が他界したので"俺だ!"と思った。単なる傾向だが、「社会の理解」や「公共政策と福祉」の講座を担当する時、気になった。それらをひっくるめて新たな社会福祉領域だと考えついたのは"当事者"は多様だということ。サービスを必要とする本人だけでなく周辺で暮らす家族等の問題を見るようになった。50年前、社会福祉は入所施設だけ。しかし、現代は地域で暮らすためのサービスが増加し、周辺のニーズが認められた。しかもそれを求める人の多くが"もの言えぬ人"。障害者基本法では障害とは"症状固定"が前提条件。つまり恒常的にサービスを必要とする人。その周辺の人たちが社会の課題として発見されるまでにボディブローのようにじわじわと効く""がある。日々の支援でこの"苦"を感じているか、どう"応じて"いるか・・・。(2021.7)

   ※コーダ:聴覚障害者を親に持つ健聴の子どもを意味する。