日記

理事長日記

コロナ禍とヒャッキン

 夕方、ニュースを見るとやっぱり...と思わせる陽性者数だ。9月4日には横浜の障害者施設でクラスターが発生した。誰もが予測しながら、慣れか油断か判らないが"新たな生活様式"など、どこ吹く風で以前の暮らに戻りつつある。さらに"Go to キャンペーン"では"不安"と言いつつ、理由を作って"ウイズコロナ"を忘れたような様子も見える。

 それでも社会活動が始まると呼応するように業務量が増え、緊急事態宣言開けの電車では通勤時間以外、隣に座る人はいなかったが最近は増えた。ダメだとは言えないので混雑時は座らずに立っているが、場所によってはおしゃべりが過ぎる高校生たちの飛沫が浮遊する場になる。だが、混雑時の移動は困難ゆえ横や下を向き我慢。人の込み具合や場所によってマスクを外す必要があるのは熱中症予防を含め承知しているが...。

 休日にヒャッキンに行った。2~3の文房具が欲しかったのだが外から眺め退散した。レジに長蛇の列で手間暇だけでなく"三密"を避けた。早めに帰れた平日に再び行くと休日とほぼ同じ行列。仕方ないと思い並ぶと立ち位置が示してあっても守らない人が多く、床の表示が混乱のもととなるありさま。マスクをしない人が増えた。店舗入り口には消毒液が用意されてあるが使う人は少ない。これはどこも同じ印象があるのは否めない。

 コロナ禍でもう一つの変化は商品の流れ。メイドインチャイナを中心に輸入製品の品薄が続く。大量にあった半透明の付箋がしばらく品薄、今は園芸用品。棚に全くない商品もある。それでもヒャッキンの行列は止まるところを知らない。

 ヒャッキンではコロナ禍より少し前から食料品売り場が増えた。少人数家族が増えソースや醤油など量が多いと持て余す。使い切れずに賞味期限が来るので少量販売のヒャッキンが合理的。その頃から子ども時代に見た商品が少量パックで並び始めた。これも調味料と同様の理由だろうと思っていたが、連れ合いは小売店舗が激減する中で販路を確保するためだという。それもあるな...。その頃からメイドインチャイナ等ではなく、メイドインジャパンの食品が目立ってきた。

 コロナ禍で極端に収入が減った人々がいる。日常生活に事欠くような人も...。かつて当事者の発言を聞く機会に、一般就労中の知的障害者が"僕は頑張って働いているのに、ヒャッキンでしか買ったことが無い!""お金がない!"と訴えていた。進化したヒャッキンは安いだけではなく、ヒャッキンのほうが便利なものもあるが...。

 暮らし向きはそれぞれに違うので一概には言えないが、ヒャッキンが世間に定着し、家族構成員が減少、購買力の低下、外国製品の大量輸入などが複雑に絡んだ現状がコロナ禍でむき出しになったようだ。うつろいゆく社会をコロナ禍が鮮明にした。障害サービスは暮らし向きの支援だから、このような動向も影響をもたらす。少なくともワクチンが普及するまで、慣れすぎた対応のないように心したい。(2020‐9②)

わが身に隠された"内なる差別!"

TVで"大手コーヒーショップが聴覚障害者中心の運営で開店!"と報道された。聴覚障害のある社員提案が実現した。〇〇〇!だ。全店禁煙を先駆けて行った会社だ。

 "音"で判断するエスプレッソが作れずに苦労する聴覚障害者に "振動や泡を見て!"と。すると難なく出来上がり"うれしい!"と満面の笑顔。責任者(健聴者)は"私たちが守りすぎて彼らの力を発揮する場を奪っていた!"と。

 開店と同時に大勢の客が入る店舗は順調に営業。手話で会話する人同士なのでコミュニケーションがスムーズで、出来にくいことも共有できアドバイスもピンポイントの的確さ。だから、聴覚障害者たちが不安なく力を発揮できる。

 口の動きが判るように店員はシールドで顔を覆っていた。カードや絵文字などがあり全く不自由はないそうだ。それ、飛沫が飛びにくくて良いな!と思って見た。

 かつてテレビドラマで聴覚障害者と健聴者のカップルのドラマが流行った。『星の金貨』『愛していると言ってくれ』等。最近では漫画から映画になった京アニの『聲の形』がある。ドラマのシーンで、けんかした2人がお互いのホームから手話で話した。"怒って、ごめん""いや、僕の方こそ"とたわいない会話だが、線路を挟んだホームのこちらと向こうなのに2人だけの世界。遠く離れても内緒話が出来る...!手話がなんとも便利に思えた。

 聴覚障害者には聴覚障害者の文化がある。もちろん視覚障害者も同様だ。それぞれの特徴、個性がある。だから知的障害者は、どのような文化や特性があるのか...と気がかり。

 最近、特にステレオタイプの"障害者は守らなければならない""してあげなければいけない"が横行しすぎている。"守る存在"と"守られる存在"に分けた中で、社会で暮していると言えるか...。それは「インクルージョン藤沢」か...。

 若い頃、自らの支援に疑問を感じた。だが、長くなるとそれが当たり前になった。社会とは関係なく、支援=してあげること...になり、支援をする側の論理、文化に従わせる。それが「"お"しつけ」だと考えた

 支援と言いながら、どうしたら出来るかではなく、出来ないことを前提にしていないか...。箸でなくても、スプーンで、嫌、手づかみでも自分で食べる...と考えるのが支援ではないか。障害ゆえに出来ないことを前提にするのは差別ではないか。人は、制止され続けると抑圧的になり精神的に萎える。社会生活可能の判断基準は従順が必要だとしてないか。

 「インクルージョン藤沢」は出来る限り社会適応すること。"障害者だから許せ!"は、障害者の権利ではない。人は権利を主張すると同時に出来る範囲の社会的義務を負う

だから"共に生きる!"。だが、それは職員の負担が増える。障害ゆえに社会的基準値に合わせにくいことがあるため最初から"出来ない!"とする。出来ない理由を探す。障害者を下位に置き、自らを優位にする。それはわが身に隠された"内なる差別"。支援職員は"内なる差別"を承知した支援が必要!(2020.9)

マスク

緊急事態宣言の中、人込みを避け運動量確保の散歩に出かけると誰もがマスクをしていた。三密を避けるなどの感染予防は、飛沫感染が分っていたからマスクが効果的だと知っていた。その時よりはるかに感染者数が増えた今、街を歩くとマスクをしていない人がいる。なぜかわからないが電車の中も同じ。

 先日、必要に迫られてバスに乗り、優先席に座ると飛び乗った女性が前に立った。空席はあったがソーシャルディスタンスを意識してか、その場所に留まった。見上げるとマスクをしてない。息が切れ、咳をし始めた。さすがに気になったがどうにもならない。(相手への迷惑は考えていないかな...。)

 アベノマスクを見ることはまれだがマスクは実に多様になった。黒マスクの人を見ると香港の民主化運動に賛同しているのかな...と思う。休日に黒マスクをしてみたが、顔を覆う様子が歴然とするので気恥ずかしくやめた。しかし、最近のマスクは色だけでなく模様や形が様々で、手作り感があるものなどファッションアイテムになったようだ。

 暑さも伴いマスクをしない人が増えたが、国立感染症センター忽那医師がハムスターの実験で①感染したハムスターもしていないハムスターもマスクをしないと667%の感染率、②感染していないハムスターだけマスクをすると333%、③感染したハムスターだけだと167%まで下がった由。だからマスクは感染予防の必須アイテムだ。

 それぞれに事情があるだろうが、ほとんどマスク姿の利用者を見ない。なぜ...と不思議に思った。なかには重症化する可能性がある疾病の人もいる...。入所施設は家庭機能に近いのでマスクをしない。だが、買い物のときなどは...。生活介護や就労支援の場では...。利用者には必要ないとは言えない...と思うと一層理解しにくい。もちろん、熱中症対策や必要のない場ではつけないが、職員がマスク姿の場で利用者はしないのはどうして...

 だから、障害特性で"マスクが出来ない人がいる"と考えた。無理強いしてパニックになっても仕方ないので、感染の可能性を極力避け徹底した予防対策をした場で過ごすのが賢明。だが「出来ない人」の判断は何処で誰がしたの?その根拠は説明できるの...

 この答えはマスクをするかしないかではないと気が付いた。それは私たちの中に"やっても出来ない..."が充満していること。家族に"グループホームで暮らしませんか..."と投げかける時、家族は出来ないのではないか...と不安になる。やってみないと分からない...などと話す私たちも同様に"出来ない"を前提にした支援をしていないか。障害者が"私たちに危険を冒す自由を下さい!"と宣言したことを思い出した。言語化できにくい利用者は、このような発信はしないだろう。しかし、たとえ言語化出来にくくても、利用者の"心(考え方、意思)"を理解して向き合うのが本当の支援ではないか。出来ないことを前提にした支援は、"お世話"の域を超えておらず、プロの支援(ケア)と言うには随分とさみしい...。(2020‐8②)

"齢"の重ね方

 音楽が好き、いや"音"が好きで波の音や小鳥のさえずる音をかけ椅子に身体をゆだねるのが至福の時。歩く時も、読書の時も、書く時もかけ続けるので、クラシック、ポピュラー...なんでも聞く。最近、歩く時の音源を変えた。発売の頃からずっとアイポットだったが、とうとう充電機能が悪くなり使いにくくなった。

それでも移動時の音源が欲しくてスマホにした。音源が変ると音楽が変り、これまで聞かなかったものも聞く。フォーク世代なので音域や音質が似ている小椋佳が好きだった。詩が評価されているそうだが、穏やかなメロディが好みだ。今も口ずさむが、最近さだまさしを良く聞くようになった。

 さだまさしは"精霊流し"で一世風靡し、"北の国から"や"秋桜"などのヒットを飛ばしたシンガーソングライター。なによりフォークソングにバイオリンを持ち込んだ人は他にいないだろう。ヒット曲以降は知らなかったが、その後も作り続けているようだ。

"償い"は死亡事故を起こした青年の贖罪、"風に立つライオン"はアフリカ医療に従事した医師の苦労や感情を描く。社会問題にも向き合い"僕たちは、戦争に負けた国に生まれたことを忘れてはいけない..."の歌詞も。さらに高齢故かパスワードが判らなくなってしまう"パスワードシンドローム"や、健康に気を使う姿を表す"豆腐が街にやってくる"など。関白宣言のパロディー"関白失脚"では"右に定期券、左に生ごみ..."。さらに"親父の一番長い日"では、娘を嫁に出す父親の心情を...。今年5月にアフガニスタンで凶弾に倒れた中村哲さんの歌"存在理由"を最近リリースした。

同世代ゆえ、どれもそうだな...と。だから"ありがたくて、ありがたくて...("償い"の青年が被害者の奥さんから手紙を頂いた時の言葉)"。家族、社会、国家のこと。若い頃の恋愛もの、大人になって考えが変化したり、若い頃に夢見たことが現実では...だったり、老いる我が身を見つめるなど、人生そのものを感じる

 若い頃はメロディばかり聞こえたが、最近は歌詞が聞こえてくる自分の変化にも驚くが、歌詞を聞いて若い頃の"歌"も、年を重ねた"歌"も良く思える自分にも驚く。

さだまさしの歌に"無駄に年取ったわけでもないでしょうに..."と短気をいさめる歌詞がある。年を重ね先が短いと無意識に感じるのだろう...、年寄りは怒りっぽい。好々爺なんて言葉もあるが、まだまだその域には到達できず、短時間に結果を出したくなる。だから今しばらく好々爺は封印して現実を見つめ続けたい...。いや、やっぱり穏やかでいたい。

歌詞を時代順に並べると、さだまさしが年を重ねる姿がしっかりと見える。だから、これだけ長く歌を作り続けられるのか...と思う。"継続は力"と言うが、自らが齢を重ねていると自覚できているからこそ"継続"する力を持ち続けられる。そんな年のとり方が"良い年の取り方"だと考える"齢"になったようだ。まだまだ、修行中の身のたわごと。(2020.8)

マニュアルと支援

ファーストフードチェーン店で時折驚くことがある。"いらっしゃいませ、ようこそ○○へ!"。注文が終わると"只今キャンペーン中です。△△はいかがでしょうか!"と早口な高音がまくしたてる。高齢者は高音が聞き取りにくい。いわゆる"感音性難聴"。年を重ね次第に耳が遠くなるのはこれ。年代で言葉の違いがあるためさらに聞き取れない。だが、話し手は疑う様子もなく一層聞き取りにくい。まじめな高齢者が"はぁ~?"。すると嫌そうな顔で繰り返す。"聞き取れなかったんだ~"の感情はない。だから繰り返し"はぁ~"となる。高齢者は困り果てているが、店員はマニュアルを果したとばかりにやり過ごす。誰もが次第に高齢者の仲間入りをする。当事者からすれば分りにくいものは分りにくい

 また店員の声。"ただいまキャンペーン中です。△△はいかがでしょうか!"。相手が見えない。中腰で見ると買い物客は幼児。"えぇ~!幼児に!?"と思うが、店員は当然の顔。親はいないかと辺りを見回すが判らない。困った顔の幼児と店員。どうして相手によって推し測れないの...

 学生を相手にしていると、時々、答えがひとつにならないと極端に不安な人がいる。"答"はひとつでないといけないらしい。なぜ答えはひとつか...と考え、小学校からず~っと答えはひとつだったことに気づいた。偏差値教育という言葉が出始めた頃から、学校では答えはひとつだった。だから、自分の考えや見解を聞かれても、先生が求める正解を考え話す。そう育った人がマニュアル=答えを教えられたら、そこに一直線に向かう。だから、聞こえの悪い高齢者も、意味が判らない幼児も決められた答=マニュアルの言葉を並べる。

 障害福祉の"支援"は"自己決定"を尊重すると学ぶ。また、自己決定が難しい人たちの意思を何とか理解、尊重しようと心がける。それが"自己決定支援"。自己とは"自分自身"。相手の意思を尊重しなければ"自己"を"尊重"した"支援"にはならない。つまり、その人に応じようとする。その人におうじる時は"答え"ではなく"応え""応え"は、その人の意思、考え方、好き嫌いだから、人それぞれ。つまり、自己決定支援とは、"人それぞれ"=支援者の思い通りにはならない...と知ること

一方、マニュアルは多くの人に合わせて作る。個人的感情や個人的趣向は含みにくい。だから、対人援助のマニュアルは最低限度の仕事であってベストではない。マニュアル通りでは"自己決定支援"は望めない。

だから障害福祉サービスでマニュアルを作る意味は、支援の質をこれ以上下げない基準に過ぎない。そこで支援の質を上げるためには"その時、その人"にあった支援を、その人と共に作り出さなければ出来ない。"ヘルパーに資格はいらない。育児経験と常識があればいい..."と聞いたことがある。「育児経験」とは意思表示の弱い赤ん坊を"みる"ことのできる"心=感性"、「常識」とは社会的な平均値で推し測る"心=感性"。だからマニュアルが全てだと思わない方がいい。最低の支援でしかない。(2019‐7②)

"現場..."

刑事ドラマで「現場へ臨場!」と聞く。ドラマ『臨場』もあった。この"現場"は事件現場だが、職場でも"現場"と聞く。こちらは支援の場。支援現場があるとは、支援しない場があるということ。支援しない場は"現場"ではない...?支援は現場、それ以外は現場ではないとすみわけたいのかと職員が"現場が好き"と話す姿を見る。"すみわけ"で違いを明確にする。その言葉の裏に強調したい「何か」があるようだ。そこから"現場"は"大変..."の想いが見え隠れ。さらに自分自身の存在感を強調する様子を感じる。

つまり、支援現場が一番でそれ以外は...。そこまで言わずとも、現場がやらなきゃ仕事は成り立たない...。"現場"という言葉で自分とそれ以外の"すみわけ"が始まる。すみわけると"現場"が生き生きするかと言えばそんなことはない。

"場"が違うだけで多くの人は"現場"で働く。調理職の"現場"は厨房。では、栄養士は"厨房"か、それとも事務を執るデスクか...。両方含めて"現場"だから厨房の横に机を置く。栄養士がカロリー計算し献立表を作る。さらに衛生管理などを行うことで調理師は毎日3食の支度、始末が出来る。つまり、栄養士と調理師は一体的に"現場に臨場"しないと出来ない。それは職種に関わらず"現場"があるということ。

 若い頃、転勤で県内を渡り歩いた。三浦半島だったり小田原だったり。秦野転勤と聞き行くと平塚の隣接地。だが転勤は苦じゃなかった。苦労は時々に"役割"が変ること。最初は児童指導員、次は相談員、児童福祉司。施設勤務なのに管理課事務員。初の事務職は事業計画、入所調整、支援に必要な備品、事務用品の調整等、実に多様だ。初めての予算関係は四苦八苦。単位が判らない、慣れない計算に焦り繰り返し失敗した。そんな時自分はどうしようもない...と、極端に自己肯定感が低くなり自暴自棄に。

皮肉にも逃げたくなる場から"転勤"に救われた。新規一転できた。立場が変わり視点や思考回路が変化すると予算執行と支援が連動し、次の事業展開の質を考え、経済効率から事業の将来を見据えるようになった。

その間決して"現場"をないがしろにしたつもりはない。原点はいつも初仕事=児童指導員の時。そして支援の場を離れた時は書物や多様な資料、当事者の声が"現場"を忘れないようにしてくれた。ある時、精神障害者団体から"着やすい服にしてくださいね"と言われた。これからはパッケージではなくパッチワーク型のサービス、既製服でもバリエーションを持ち選択できると説明した時。直前に中西氏×上野氏の『当事者主権(岩波新書)』を読んでいた。当事者主権と着やすい服が一致した。それは事務職員などそれぞれの職種に現場があるということ。

"現場"とは特別な場ではなく"仕事場"。それぞれの役割、立場があるから自分の存在を特定したいと"現場"を使うようだ。それは職域の壁を作るだけ。必要なのはお互いの"現場"を自由に行き来できる関係性。相互理解はケアの本質。相互性が職域を生かす原点だと思う。(2020.7)