日記

理事長日記

地域生活移行...とは、何?

 "世の中は矛盾だらけ"。矛盾は、「この矛はどんな盾も貫き通すと言う一方、この盾はどんな矛も通せない」と言う商人の話が語源。人は答えを一つにして心落ちつくことは少なくAやBの考え方を持つ。そのAとBが正反対な考え方だと心がうごめき引き裂かれんばかりになる。津久井事件でこんなこと許されないとした施設で身体拘束があった。しかも禁止項目すべてに該当。ひとつでもダメなのに全て...。犯罪行為ではないが、人としてあるまじき行為。報道の正確性は検証できないが、ここまで書かれるとそう思わざるをえない。しかも園長コメントが"家族の許可を得ていた"。ご家族と話した時"だって子どもが世話になっているから..."と口ごもった。家族は施設が申し出れば"やめてください"とは言えない。言えば"面倒見かねます..."と言われかねない。親の心情を知らなかったら素人。知っていればそれは確信犯

 考えてみると、社会福祉、障害福祉の仕事は、このような"甘え"がふんだんにある。入ってはいけない部屋、してはいけないことがたくさんある。鍵を使う施設の多くが侵入者ではなく外出者対策。「無断外出」という言葉があった。職員に断りもなく出て行く行為を指す。考えてみれば大人がふらっと出かけた時"無断"と言うか...。自己決定支援と言いながら"自己"は無視され、"事故"を起こさないことに腐心する。

日常的支援は人を守ることから始まるから、必死になれば障害当事者は息苦しい。モノ言えぬことを良いことに"あなたを守るために最善のことを..."と。だが、それは自らが非難されず、苦心しないで済む方向にどんどん押し流された結果。つまり、暮らし向きは安きに流れるものと支援のプロは承知しなければいけない。一般的に"仕事"は客観化すべきで、様々な行動がエビデンスに基づく。しかし、日常支援はほど良さが肝要。臨機応変にふさわしい答えに変わる。それは"答え"ではなく"応え"。だから、すべてに"大人"でなければ務まらないが、そのような職員とは限らない。みんなで作る仕事だが、個人の行為が犯罪に近づく。

"全制的施設"という言葉がある。例えば全寮制の学校や軍隊の寄宿舎などだが、それは一時期だけの生活空間。また入院ベッドも該当するが治療優先だから生活施設とは違う。その中に社会福祉施設がある。とりわけ"入所施設"。"あの子たちのお家..."の発言があった。不快な発言だが見過ごされた。何故なら施設が彼らのノーマルな暮らしを奪っていることを見ていない。鍵が閉められている部屋で暮らしたいですか?自分の意思で外出できない場に居たいですか?規則でがんじがらめが好きですか?そんなことはおかしいと言えない場だと知らないでいる。

 障害福祉の旗印は"地域生活移行"と言われるが、制度はほとんど旧態依然。新たなチャレンジを制度が邪魔する。許容範囲で行うと今度は運営資金が激減。それでは"やるな!"と言っているに等しい。急進的な発言かもしれないが地域生活移行が進まないのはこの実態があるから。制度の矛盾が、支援の矛盾を助長している。(2020.3‐②)

「5年ぶり...(対人援助職とは)」

 公務員卒業後、大学教員を勤めた。おかげさまで今も非常勤講師や職員研修の役割をいただく。そんな時に思い出すのがゼミでのやりとり。初日を迎える時、少し緊張気味の学生たちは戸惑いつつ応じていた。議論の様子などみじんも感じないが、半年ほどで個性的な発言が見え"何か"を持ち帰り始めた。ある時、終了後も座り込む学生がいた。体調を気遣い"どうした?"と訊ねると"考えすぎて疲れちゃった..."とぐったり。"答え"ではなく友人の発表に"応え"る時間になったと思った。卒業生からの職員研修講師依頼に応じるとゼミ形式を希望された。教員との関係性や積み重ねがないと難しいと承知の上でやったが、やっぱり思ったほどの成果はなかった。2年間、密度の高い関係性がある卒業生の報告は自分を検証する思いだ。

 最近、ゼミ卒業生からお誘いがあった。若い女性の中におじいちゃんが1人、ちょっと違和感。10人のうち3人が結婚、只今進行中も。ジェンダーの課題なども話すが、働き始めの若者の悩みは職場内人間関係。対人援助職が多く職場内人間関係が重要。どうも"先生"とは"教えたがり"。指導担当などと言われると"教え込まなきゃ"と早く1人前にさせたくて必死。これが善意に基づくから受け手は重苦しい。はたから見れば判っても当事者同士は...。一方で、1年目と5、10年目職員が同じような仕事で判りにくいのが対人援助職。入所施設の夜勤は1年目も10年目も業務内容は同じ。学校教員も教室での業務は同じ。違いは"質"、"役割"が増えるなどでしかない。だから同じ仕事をさせないとお鉢が回る...。よって指導がきつい。悪質なのは自分はそのままでモノ言えぬ新人に仕事を押し付ける場合。出来る、出来ないではなくさせようとする。それは指導でもチャレンジでもない。また、見て見ない振りをし続ける先輩、上司はもっと問題。何故ならそれは職員の質の向上を目指すOJTが崩壊し、組織の先が見込めないから。中に対人援助職以外で働く人がいた。彼女は上司の様子に気遣う話をした。常に同じフロアで指示が徹底するため応じなければ担当業務が終わらない。しかも誰もやってくれない。以前、対人援助の職業的特徴を①自己完結しにくい職場、②情報伝達しにくい職場、③責任回避しやすい職場、④組織を意識しにくい職場と整理したことを思い出した。

 対人援助職場では特に職員の成長がないと組織は崩壊の道をたどる。人が、職員が育つ...ために"考える習慣"が欲しい。会議では発言を聞き考え、発言して考える。歩いて"足"が、読んで"目"が、書けば"手"が考える。不思議だが就寝中に思いつくことがある。オンとオフが大事なのは承知だが、考えなくなれば成長しない。卒業生たちが寝ても覚めても仕事を考えているとは思わないが、それほど重く頭にこびりつく...のは寝ても覚めても...だ。1年、1年の積み重ねがいつのまにか大人にさせている様子に、あの時伝えたことが花開き始める姿が見え感謝!人を支援する仕事の答えは"未来"にある。それが組織の"未来"を創る! (2020.3)

「施設機能の外注化」

 明治、大正、昭和、平成、令和と移ろう中"家族形態"の変化はすさまじい。"家族"と共に社会福祉事業も変化する。例えば、保育園の始まりは野口幽香が貧民街の子どもに幼児教育=保育の必要性を感じ始めた。だから保育園利用は"保育に欠ける子"。長崎では岩永マキが教会の片隅で子どもたちを集め食事をさせ面倒を見た。今は児童養護施設「浦上養育院」。つまり、子どもが育つ環境を家族が創れない状態を補った。しかし、保育園は大きく変わった。授業参観日が設定され、英語や体操教室がある。だから"保育に欠ける子って、何?"と思うが、現代家族が求める幼児教育へのニーズが反映されている。貧しさゆえの両親共の就労ではなく女性の社会進出、母親ではなく1人の人間としての自己実現などが理由となった。それは"子育て"と言う家族内機能が社会的役割となったことを現す。家族の変化で高齢者介護も家族から外部へ移行し、介護保険等様々なサービス提供がある。つまり、社会福祉サービスは家族形態によって変化する。"専業主婦"がもてはやされた戦後の昭和では考えられない家族像と社会福祉サービスがある。家族像が人気漫画の変遷でも見える。『さざえさん』では"ちゃぶ台"が描かれ食事を囲む家族があるが、『ちびまる子ちゃん』では見られない。『クレヨンしんちゃん』に至っては"食卓"を見ない。同様に我が家も、当初は座卓だったが、DK時代にテーブルが必須となり、子どもが巣立った今は食卓を囲むことはまれ。食事場面が多くの家族像を描いたが、今や個別化の時代、同じものを食する食卓は化石のよう。"家族機能の外注(部)化"だ。

 家族機能の外注化が当たり前になった時代とともに、社会福祉施設も同様の現象がある。以前の社会福祉施設はすべて自前の職員だった。支援職員はもちろん、調理師や運転員等も正規職員だった。現在は、多くの施設が外注化をしているのが厨房関係。奥さんが"私作る人、貴方食べる人"と言い、家族内人間関係の希薄さを表している言葉がはやったことがあったが、現在の施設はまさに"厨房作る人、私食べる人"だ。専門性を発揮して分業すると合理性が増すが、暮らし向きは合理性だけでは"情"が薄くなる。相互乗り入れをしようにも厨房に入ることを法律が禁じている。合理性だけで片付けて良いのか...。また、運転業務の外注化では、事故処理等も含まれ、業務委託でリスク管理をしている。これらは家族機能の外注化と同様で「施設機能の外注化」だろう。時代の流れにさおさすつもりはないが、それがどのような変化をもたらすかは確認したい。"支援"の専門性を伸ばすためとの考えもあるが、"専門性"の前に施設には欠かせない"日常"がある。その日常を担保するために"施設機能の外注化"をしっかり検証しないと、何が専門なのか判らなくなる。(2019‐2)

TVの見方が変ると...

 家族団欒は長くTVがお供で、お茶の間はTV中心。家族全員で同じ番組を見るためゴールデンタイムは家族向け番組だった。BSで再放送していた『大草原の小さな家族』は人気番組で理想の家族像を日本にもたらした。また動物が主役の物語も定番。だが、TVは1人1台の時代。またYouTubeなどTV離れが始まり、広告はネットが主流になりつつある。時代は知らないうちに変化(?進化)するようでアナログ派はついていけない。

 少しは進化しないと取り残されると思う時もあるが、知らないうちに進化していることもある。近頃は放送中にTVを見ない。ライブはスポーツとニュースだけ。それでもYouTubeなど見ないのでTVを見る時間は相変わらずで見たい番組は録画する。するとTVに左右されず合理的になった。初期は刑事物。崖の上でストーリーを復習するのが嫌で見なくなった。それに比べて英国の刑事物は面白い。リアルで、センセーショナルで、釘付けになる。他には毎週放送のドラマ。全く判らない若者文化を垣間見る気持だ。なるほどこんな思考回路か...と思う。一方で、凝った内容の刑事物。視聴者の質が高くなったのだろう。結局、観る側の質が上がればTV局は胡坐をかけなくなる。それは社会福祉事業も同じで、本人や家族の質の高い求めがスタッフの力量を高める。

 観る番組は次第に変化し、最近のお気に入りは『駅(空港)ピアノ』『地球タクシー』『ガイロク』。日常を飾らずに垣間見る番組。駅にあるピアノを弾く人を映し少しインタビュー。話したり、テロップで流したり。街の文化を感じ、その人の人生を想う...。毎日弾きに来るホームレスが憩いの時間を過ごす。"ピアノを弾くホームレス?..."と思っていたらこの場で独学したそうだ。双子の子どもが習いたてを披露...。何とも様々。地球タクシーは運転手が主役。ジャマイカ編でボルトの親戚だという運転手が彼の邸宅を案内するというがなかなかたどり着かない。ジャマイカでは多くの人がボルトと親戚のようだ。コミカルな会話がお国柄を表す。ハワイでは"アロハ"の心を大切にする女性ドライバー。暮らし向きが見える。ガイロクは、"街頭録音"。町を歩く人へのインタビュー。ただそれだけ。よくその場で応じるな...と思うが、応じてくれた人だけがTVに出るのだから当然。合間に芸能人が自分の苦労話。苦労を乗り越えたから話せるが、苦労の最中では話しようがない。乗り越えた人には学んだ哲学があり、そこを引き出すのがインタビュアーの腕。考えてみれば平坦な人生など面白くもないが、平坦であることを願って頑張っているのも事実。その中で考えたことを披露すると暮らしが透けて見える。だが、いずれも地味な番組でこれを録画して観る人はあまりいないだろう。かつて娘さんがデンマークで暮らす同僚が彼の国では「ゴールデンタイムは、ニュースかスポーツ中継しかない」と話していた。世間ではセンセーショナルな内容が好まれるようだが、本当は平凡な日常を映し出すと人々の"暮らし"=社会福祉が見える。(2020.02)

住み始めて2年...

 湘南台の街が大きくなる頃、小田急江ノ島線に加え横浜市営地下鉄と相模鉄道が来た。まさか住むとは思わなかったが、運転しない身には新宿、横浜、小田原、三浦半島など実に便利だ。街づくりは鉄道と共にあるようで、新横浜は駅が出来るまでは笹薮で何もなかった。最近では鉄道拠点となった武蔵小杉に高層マンションが林立し人気スポットになった。だから村岡に新駅が出来ると聞き「湘南あおぞら」はどんな影響が...と。

 湘南台に住み始めて2年。暮らしに不便はなく、雑踏もなく、穏やかな街で年寄りにはありがたい。ここが終の住処だろうが少し不満も。手ごろな本屋がない...、大型店舗がない。これは郊外の一戸建てがもてはやされた時代の街づくりでスーパー等は郊外にある。車社会に合わせたと判るが、適当な本屋がないのは判らない。適当なとは、好みに合ったという意味。だから仕方がないが、徒歩圏のT大学、バスに乗ればK大学、B大学、Y大と湘南台駅を利用する学生は多い。若い頃と比べても意味はないが、大学までの道のりは本屋街だった。活字離れに拍車がかかっているがここまでの減少は驚き。古本屋はなく、ブックオフは郊外なので断念。学生街は、本屋街から雀荘・パチンコ店、喫茶店などを経て今はコンビニ。駅周辺にはカラオケ、居酒屋。学生の暮らしが見える。食費を切り詰めて本を買う学生は消え、稼ぎは飲食とファッションに...。

 本を読むかどうかでまじめ度を推し量ろうとしているのではない。だが読めば読まない人より多くを発掘するチャンスがある。かつて米国では首都を知らない大学生がいると聞き、そんなバカな!と思った。新聞にトランプ大統領の岩盤支持層には不十分な知識、理解のまま支持する人がいる...と。ニューヨークではトランプは鼻つまみ者なのに...と。大学で教えるようになり10年たつが、当初の学生との違いを感じる。年を重ね許しがたい気持ちが強く出ることを割り引いても基礎学力が低くなった。言葉を知っていても意味が判らない、使い方を知らない...。今なら日本の首都は何処?と聞くと"首都って何?"って聞き返されそうな気もする。かつて、研修で特別支援学校長が一本の線と三角を重ね、線の上に"知"、下に"情""意"を書いた。そして「人間には知・情・意があります。今の教育は"知"育偏重で"意"を持たない"情"けない教育です。」と。また「日本語では"特殊"教育と言うが、英語では"スペシャル"。そう"スペシャルメニュー"です」とも。勿論、電子媒体などで書物も新聞も変化したのは承知だが、学生の活字離れは子ども時代に楽しく本を読んだ経験がないからでは...と思う。最後まで読まない教科書、知識を詰め込むハウツー物、試験対策本など面白いはずがない。自分で考える要素がないと面白くない。面白い!には"主体性"がある。主体性があると"学び"になる。本屋のない学生街を見て人々の思考が変ったと思う。鉄道と人々の変化が街を変える時、インクルージョンにも変化があるだろうか...。(2020‐②)

「初夢」

 2020年の幕開けです。あけまして おめでとう ございます

 今年は東京オリンピック・パラリンピックの年。地元ではセーリングが予定されている。思ったほど盛り上がらないのは忙しさか、人気に陰りがあるかは判らない。かつてマラソンでエチオピアの選手が金メダル、ロシアの選手が銀メダル、そして日本の有森裕子選手が銅メダルに輝いた時、金メダル選手は"国家のために!"、銀の選手は"家族のために!"、有森選手はかの名言"自分で自分をほめてあげたい!"と"自らのために"と話した。お国事情がオリンピックへの想いを変える様子をまざまざと見せたインタヴューだった。

1964東京オリンピックからパラリンピックが同じ会場で開催と決まったが、その"パラ"は"パラプレジア=麻痺"の意味。その後ソウルオリンピックで"パラレル=平行"となって"もう一つのオリンピック"と言われた。日本では前回を契機に障害者スポーツが普及し、障害者イメージが変わった。また"バリア"が次第に減り変化の兆しを見せた。世界のイベント開催は世界基準を受け入れるチャンス。パラスポーツは、走り幅跳びのように既にオリンピック記録を超える種目が出た。車いすラクビーや車いすバスケの当たりの激しさは、まさにアスリートの世界。鍛え上げなければその場に立てるはずもない。一方で、障害者スポーツとして発展し一般化しつつあるボッチャやゴールボール。しかし、これだけのアスリートの戦いになると、障害者が楽しむものではなくなった。

元々パラリンピックは、英国ストーク・マンデビル病院で始まり、車イス競技"スラローム"などリハビリの一環。その後、障害者の生きる力がよみがえるツールとして様々に発展した。つまり、障害者が障害を克服し人生を謳歌することが障害者スポーツの意義だ。それがパラレルになって障害者からアスリートのものとなり、もう一つのオリンピックとなった。それは考えようによっては、障害者が人として人生を謳歌できる環境がすぐそこまで来ているということ。今年、オリンピックと共に、もう一つのオリンピックが東京で開催される。サッカー日本代表の監督を2度務めた岡田武史氏が新聞に今大会を「日本人が自立できる大会にしよう!」と訴えていた。岡田氏は昨年のラクビーWカップ日本代表は自立しやすかったという。試合が始まると監督=ヘッドコーチはスタンドにいなければいけない。しかも外国出身選手が多かった。だから自立せざるを得ない環境だったという。スポーツ選手はどちらかと言えば自立精神は高いと思っていた。何故なら1球1球間がある野球でもバットを振るかどうかは選手次第。だが、高校野球では"待て"や"振るな"のサインがあるそうだ。つまり、自分の考えではなく指示を待つ。日本社会は指示待ちが多い。マニュアル通りにするように育てられている。うれしくもないが岡田氏の言うことに説得力がある。今年、2つ夢見ている。始めに障害者が人として楽しむ時間、場を作るスタートとすること。次に自らの意思が表現できる自立度の高い暮らしを模索すること。(2020.1)