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理事長日記
兆し...
世の中、悪いことばかり続かない...と承知しているつもりだが、不安な時が長くなると滅入るものだ。新型コロナウイルスが猛威を振るい中国・武漢で都市封鎖された時は対岸の火事でしかなかったが、イタリア、スペイン、フランス、米国と広がり、世界から感染者が出ていない地域がなくなってからも長くなった。
そろそろ、この間のさまざまな努力が実を結んでも良いではないかと期待するが、ひとたび事業所内で感染が広がれば、想像を超えるリスクをかかえなければならないと千葉県の障害者施設が教えてくれているだけに慎重にならざるを得ない。
ドイツ民話に『ハーメルンの笛吹き男』がある。諸説あるが町中のネズミを駆除した男の話しから、子どもがいなくなった理由を疫病と恐れられたペストが原因と説明したものもある。人間は解明されていない病との戦いに打ち勝って今日があるようだ。
新聞に世界的政治学者が"大勢の人が仕事を失いますが、しわ寄せは特に労働者層や中間層に重くのしかかり経済格差につながる"。そして"既得権益層への反発が盛り上がるでしょう"とあった。見出しには"一気に第4次産業革命に"と。
このような世界的な危機に陥った後に社会変革が起きるのは、歴史が証明しているようだ。既存の殻を脱し世界的な危機を乗り越えなければならない時は、これまで通りでは乗り越えられない。だから専門家会議が言う"新しい生活様式"が必要となるのだろう。
第1次は蒸気機関による機械化、第二次は電力使用で大量生産、第3次はいわゆるIT革命、そして今回が第四次。だが、ニュースを見ているとファミレスチェーンが宅配専門店を出店、居酒屋からラーメン店に移行、PCを使って身近な人とつながるなど実に多様。
社会が変化する時は、今のままではなく危機を乗り越える"知恵"が必要。対人援助の仕事は人と人の相関関係だが、誰もが時代の波を乗り越える社会の一員だから、ふさわしく波に乗る必要があるのなら、障害者も"新たな生活様式"を求めなければならない。
9月始業・入学問題を題材にした天声人語(朝日新聞)の冒頭に夏目漱石の『三四郎』を引用してあった。東大入学で上京した主人公はイチョウ並木を歩く。その頃は西洋に習って9月入学だったようだが、徴兵制度に合わせ桜=4月始業・入学となったという。
少し前、留学等の問題から東大が9月入学の意向を示したことを思い出した。出来ないと思っていたことが、窮地に追い込まれ再検討されるのは良くわかる話だ。
こう考えると危機的状況を乗り越えるための窮余の策が社会の姿を変えるアイディアになることは、特別珍しくないような気がしてきた。入所施設の指導員だった頃、感染症対策で保健衛生を見直した。施設内消毒をさらに徹底、その後も習慣化したことを思い出す。
今はどうしても自重した動きだが、乗り越えるためのアイディアが新たな"サービスの種"になる兆しを感じる。社会体制や産業構造が変わるかどうかはわからないが、今を乗り切ると同時に未来を見据えた"兆し"を見つけ出すチャンスと意識したい。(2020.6)
仕事の流儀
全国に「緊急事態宣言」が発出された中、街を歩いた。運動不足がたたって体重が増え、持病のコントロールが気がかりで、少しでも動きたい...と思った。細心の注意を払い、マスク着用だけではなく"3密(密接、密集、密着)"を避け、買い物はせずにひたすら歩く。北部は感染者が出た情報を得ていたので中部方面に向かった。当然だが、公共交通機関は使わず、駅にも近寄らないコースを選び1時間半。
歩き出して早々にいつもよりすれ違う人が少ないと気づく。遠くに見える駅(ホーム)に人影がない。法規制ではなくとも出歩かないことが一番だと徹底されている印象だ。
営業中の店舗は、入り口に"店舗内は5人以内とさせていただきます"や"営業時間は○○時まで"などさまざま。休業中の店舗は"5月6日まで臨時休業"が多いが"4月28日まで"と言うのもある。業務内容、サービス提供手法によって異なるのは当然だが、店主の事情や社会的役割の違いが反映されていることも印象的。
昨日、スーパーで買い物した時のレジでもソーシャル・ディスタンスが採用され、誰もが従っていた。レジカウンターの女性はマスクの上にフェイスシールド、レジの前には透明なビニールがあった。それでも、人間は食わなきゃ生きていけないんだよな...。
他にもさまざまに乗り切るための工夫をニュースで見る。終息後のレストラン予約は前払いで少しでも当月の売り上げを伸ばそうとしていた。軽食を子どもに100円で配る学校給食。ネット販売を始めた店舗等、今出来る工夫で努力する姿に"頑張れ!"と思う。
藤沢街道を湘南台に向かうと開店と閉店が混在。同じ業態でも普段と変わらない店と営業自粛に別れていた。それぞれの事情だが、気持ちとしては主体的に営業を自粛しているところを応援し、利用したくなる...。
今だからしなければならないことがある。便利な世の中ゆえ、お膳立てしてもらわなければどうしたらいいか分からない人たちが増えたようだ。結果だけを得るのではなく、創意工夫が求められているが、創意工夫などはどこかに消えてしまったのか...。
我が家近くで"本日のお弁当は完売しました!"の張り紙が目に入った。この居酒屋はこれまで昼の営業はない。出来たばかりで地域になじみがあるとも思えないが、お弁当を始めたんだ...と思った。お弁当がきっかけで,最近の風潮"家族で居酒屋"なんてことを狙っているかどうかは知らないが、今できること、今こそやらなければいけないことをしっかりと見極めた仕事が大事だと思いつつ"お弁当完売!"の張り紙を見た。
『自助論(P127:S・スマイルズ著、竹内均訳、三笠書房)』に仕事を効率よく運営する6項目があった。①注意力、②勤勉、③正確さ、④手際のよさ、⑤時間厳守、⑥迅速さだ。今、まさにこれが求められている。見慣れた街の店舗それぞれに仕事の流儀はあるが、社会が求めていることを注意深く見守り、その事態に迅速に対応し、手際よくやらなければタイムラグが価値を失わせる。そのためには、勤勉、正確さは欠かせない。(2020‐5②)
"自己決定"出来ない...
首都圏に「緊急事態宣言」が発出されてほぼ1か月。全国に拡大して2週間が過ぎた。まだ予断を許さない状態が続く。注意すべきは長期化で起きる気のゆるみ。決して予防策を怠ってはならない。結果が見えないと、気が滅入ったり、あきらめたりする。頑張り時!今、徹底しないとこれまでの努力が無駄になりかねない。だから、法人内もいくつかの難局を乗り越えながら見えない敵と対峙している。
営業自粛要請を無視して営業する、営業しているからと言って利用する人などは論外だが、"政府が決定しないと...""足並みをそろえて...""保証がなきゃ..."などの発言はどうして...と思う。インタビューに応じた発言に"主体性"がない。例えば理髪店は休業要請の範囲か否かは、国と東京都の意見の相違で発信が遅れた。その間、待っている人が"はっきりして..."。考えるに営業の可否判断に法的縛りはない...、危機的状況なのに...と思う。
法規制されたからではなく、命の危険、り患の危険、感染源を運ぶ危険を回避する。だから日常と違うやり方をする!それが「緊急事態宣言」。緊急とは、日常の動きではありません!の意味。それをすべての人が意識して取り組もうということ。
これまで安心して暮らせる衛生的な環境で暮らしたが、大丈夫ではなくなったから、これまでとは違う暮らし方が必要だ。それは法規制ではなく自分自身の問題=自発的行動。営業出来ない...、小売店舗は日銭で成り立つ...。だから、危機的状態なのだ。
ホームレスのよう≒ネットカフェ暮らしの人は、これまで以上に命の危険にさらされている。だけど止めるわけにはいかない。それが社会の判断で国家や行政が取り決め役を担う。あちら立てればこちらが立たず...苦渋の選択ばかり。
他国に比べて緩やかな法規制は、多様な意見が交錯し妥協の産物なのか...。それでもやらなければならない時はやらざるを得ない。ドイツのメルケル首相は国民に向かって自らの東ドイツ時代の体験を話し、法で規制したくないが今はやらなければならないと訴えた。感染者数が増加しても死亡率が低いのは、3月から準備した結果、医療崩壊を防げているとドイツ在住の日本人医師が説明していた。国家、行政がやるべきことをやれば、ある程度までは対策の成果を上げることが出来る。
しかし、私たちの選択がある。出来ることは、お互いの命を守るために自ら決定し、実行しなければならない。風を通すと感染リスクが減るが、窓を開ける建物をあまり見ない。空調で空気はきれいになるが風は通らない。また、車を運転しない身はどうしても公共交通を使う。年寄りゆえいつの間にか手すりを触る。だから、効果のほどは判らないが運転手手袋を使う。これらは、政府が決めることではなく、自らの意思で決めること="自己決定"。自分で決める範囲まで、答えを求めていないか...。
そこで思い出すのが"答"はひとつだと思い込んでいる人。この思い込みは往々にして自分で決められなくなる。大事なのは"自己決定"。自分を、家族を、仲間を守るために何をすべきか自ら決断する。これが自己決定(支援)だ!(2020.4)
正しく"恐れる"
ついに緊急事態宣言!いずれ...と思っていたがとうとうここまで来た。しかし、ロックダウンには至っていない。様々な意見がある中、大学病院の研修医が40人ほどで会合、集団感染となった。承知している人の行為は、社会に衝撃を与え不安をあおる。
一方、これより前に名古屋の病院で新型コロナウイルス患者の治療にたずさわっている看護師の子どもが保育園で隔離された。看護課長の話では、通園を拒否された人もいるそうだ。"風評被害"では済まされないことで義憤を感じる。医療関係者が新型コロナウイルスと最前線で戦っていることへ感謝こそすれ、その人の子どもを差別するなど断じて許せない。自らも感染源を運ぶ可能性を見落とした身勝手な言動だ。
初めて障害福祉施設で働いた時、散歩の途中でランドセルの子ども達から"うつるから、あっち行け!"と石を投げられた。子どもは正直なもので、誰かに教わらなければこのようなことはしない。ほぼ半世紀前、障害者への偏見は今とは比べようもないほど強かった。子どもにすれば、なぜ悪いの...程度のことだったろう。
人は、見たこともないモノ、理解不能なモノ、見えないモノ...つまり得体の知れないものを恐れる。"お化け"が怖いのはこの類でしかない。お化け屋敷は、人が変装している、操作している...。それが理解できると怖さは極端に減る。若者たちは怖さを面白がるが、年を重ねるとそれも面白くなくなり興味がわかなくなる。
専門家が"解明できていない..."ことに怖さを覚えるのが新型コロナウイルス。4か月たち、次第にその正体が見え隠れしだしたが、まだ治療薬もワクチンもない。それはわけの判らない恐怖。ゆえに一層怖さをあおる。専門家さえ怖さの正体を見破れないのだから本当に怖い...と、怖さが怖さをあおり、さらに怖くなる。有名人が罹患すると怖さが身近に迫ったと感じる。若者は"知っている顔が亡くなり怖さを実感した"と。身近になればなるほど怖さが増幅する。怖さは状況の変化に気づかず恐さだけを突出させる。
本当に"怖い"のは、正体を見極めようとしないこと。得体が知れない状態から脱し、①3密(密閉、密集、密接)を避けるとクラスターを防ぐ確率が上がる。②マイクロ飛沫感染だから空気の入れ替え=窓を開けると感染確率が下がる。③開発してきた薬や医療器具等に効果がある。④新薬開発が進み治験が出来そう...などの報道がある。
だが、①都市部で医療崩壊の恐れ、②院内感染の恐れ、③一部若者の行動がクラスターを作りやすい、④接客を伴う飲食が感染を広げる、⑤社会福祉施設等の集団感染等まだまだ"恐れ"から逃れ切れていない。それどころかさらなる恐怖が間近に迫った印象が強い。
障害福祉サービスは、暮らし向きで困った状態になった時に役割がある。今は人類全体が大変困った状態にある。だからこそ役割をしっかりと果たすことが求められる。
自分がうつらなければ良いのではなく、自らがうつす可能性を意識したい。すべての人達が"暮らし向き"に疲弊している今出来ることは、サービスを継続できる環境を整え続けること。正しく恐れ、長い闘いになる可能性が高い新型コロナウイルス対策に、かからない、かからせない、運ばない、を徹底して乗り切りたい。(2020‐4②)
"見えない恐怖"
中国・武漢で新型コロナウイルスが蔓延し都市封鎖などこれまでにない事態となり、突貫工事で病院を造る様子を遠い国の話しのように受け止めてから4か月しかたっていない。しかし、韓国...、イタリア...、ヨーロッパ...、アメリカ...とあっという間に世界中に蔓延し、WHO(世界保健機構)がパンデミックだとした。しかもさらに深刻な状態だ。
パンデミックとは、ギリシャ語の"パン=全て"と"デモス=人"で「すべての人」との意味だという。また、"デミック=広がる"で「すべてに蔓延する」の説もあるそうだ。いずれにしても誰が罹患してもおかしくない...状態。
医師に高齢で慢性疾患の身はハイリスク?...と聞くと「悪い状態でなければ...」。加えて、多くの人が保有している可能性がある...と言いつつ「さほど恐れなくていい。大事なのはしっかり予防する」こと。エビデンスがある人は、状況を理解して客観化できる...と思った。他医師は"一処置一手洗いの徹底!"と。
学校再開はどうかと思ったが、文科省はガイドラインで"3密=密閉・密集・密接を避ける工夫を呼び掛けた。校庭での入学式など、卒業式も出来たのに...と思う。学校では3密は必然なので戸惑っているというが、普段を打破し工夫する発言が少ないことが恐怖だ。
最新情報では新型コロナウイルスは"マイクロ飛沫感染"。いつまでも室内に浮遊する。飛沫が飛び交う室内にしないために密閉を防ぐ=換気をする=窓を開ける。これだけで大いに感染率が下がる。だが空気清浄機等で密閉空間の清潔を保っている普段になれ窓を開ける習慣がない。危機にあっては習慣を変える必要がある。
危機管理では当り前を変えることが絶対必要。例えば、"食事を楽しく食べよう!"が良いことでも今はやってはいけない。知らないうちにウイルスを運び周囲に迷惑をかけてしまう恐怖を自覚すべきだ。外出自粛の休日にカップルが歩く姿を見ると、2人の事情も知らずに愚か者と感じるのは間違いかもしれないが、相手を尊重する姿とは思えない。
人間の歴史は、黒死病=ペストなど感染症の恐怖にさらされてきた。最近ではSARS=コロナウイルス=重症急性呼吸器症候群が中国から始まり世界を震撼させた。2003年7月の終息宣言まで10か月程。見えない敵と戦う恐怖は人々をパニックにする可能性が高い。しかし、見えるまでには時間が必要で最近では最低でも1年はかかると言われている。
2020年3月28日、千葉県の知的障害者入所施設で大量感染者の報道。あっという間に感染が広がるのが集団生活の場。しかも、自らを守るすべを持ちにくい人たちが暮らす施設は重大な危険を伴うと自覚すべきだ。しかも、予見したとおり職員からの感染のようだ。だから、職員等がいかに持ち込まないかである。不要不急の外出を控えるのは、職員だけでなく、家族や近親者にも是非ともお願いしたい。加えて生活環境への配慮を怠りなくやらねばならない。
藤沢育成会はこれまで地域で暮らすように事業を進めてきた。だから利用者が街歩きを楽しんでいる。そこに感染のリスクが伴うのだから、一層リスクが高いと自覚したサービス提供と支援をしたい。(2020.4)
地域生活移行...とは、何?
"世の中は矛盾だらけ"。矛盾は、「この矛はどんな盾も貫き通すと言う一方、この盾はどんな矛も通せない」と言う商人の話が語源。人は答えを一つにして心落ちつくことは少なくAやBの考え方を持つ。そのAとBが正反対な考え方だと心がうごめき引き裂かれんばかりになる。津久井事件でこんなこと許されないとした施設で身体拘束があった。しかも禁止項目すべてに該当。ひとつでもダメなのに全て...。犯罪行為ではないが、人としてあるまじき行為。報道の正確性は検証できないが、ここまで書かれるとそう思わざるをえない。しかも園長コメントが"家族の許可を得ていた"。ご家族と話した時"だって子どもが世話になっているから..."と口ごもった。家族は施設が申し出れば"やめてください"とは言えない。言えば"面倒見かねます..."と言われかねない。親の心情を知らなかったら素人。知っていればそれは確信犯。
考えてみると、社会福祉、障害福祉の仕事は、このような"甘え"がふんだんにある。入ってはいけない部屋、してはいけないことがたくさんある。鍵を使う施設の多くが侵入者ではなく外出者対策。「無断外出」という言葉があった。職員に断りもなく出て行く行為を指す。考えてみれば大人がふらっと出かけた時"無断"と言うか...。自己決定支援と言いながら"自己"は無視され、"事故"を起こさないことに腐心する。
日常的支援は人を守ることから始まるから、必死になれば障害当事者は息苦しい。モノ言えぬことを良いことに"あなたを守るために最善のことを..."と。だが、それは自らが非難されず、苦心しないで済む方向にどんどん押し流された結果。つまり、暮らし向きは安きに流れるものと支援のプロは承知しなければいけない。一般的に"仕事"は客観化すべきで、様々な行動がエビデンスに基づく。しかし、日常支援はほど良さが肝要。臨機応変にふさわしい答えに変わる。それは"答え"ではなく"応え"。だから、すべてに"大人"でなければ務まらないが、そのような職員とは限らない。みんなで作る仕事だが、個人の行為が犯罪に近づく。
"全制的施設"という言葉がある。例えば全寮制の学校や軍隊の寄宿舎などだが、それは一時期だけの生活空間。また入院ベッドも該当するが治療優先だから生活施設とは違う。その中に社会福祉施設がある。とりわけ"入所施設"。"あの子たちのお家..."の発言があった。不快な発言だが見過ごされた。何故なら施設が彼らのノーマルな暮らしを奪っていることを見ていない。鍵が閉められている部屋で暮らしたいですか?自分の意思で外出できない場に居たいですか?規則でがんじがらめが好きですか?そんなことはおかしいと言えない場だと知らないでいる。
障害福祉の旗印は"地域生活移行"と言われるが、制度はほとんど旧態依然。新たなチャレンジを制度が邪魔する。許容範囲で行うと今度は運営資金が激減。それでは"やるな!"と言っているに等しい。急進的な発言かもしれないが地域生活移行が進まないのはこの実態があるから。制度の矛盾が、支援の矛盾を助長している。(2020.3‐②)