日記

理事長日記

"きれいにお使いいただき有難うございます"

 街を良く歩く。まずは健康のため。2つ目に法人内事業所巡り。3つ目は法人外の仕事。そんな時、奇妙な言葉に出会う。公衆トイレで"きれいにお使い頂き有難うございます"。これに2つ奇妙を感じる...。なんで使う前にきれいに使った...?言葉かけとして変...?もう一つは、当たり前なことも出来ない輩が増えた?...。と、へそ曲がりは疑問になる。駅のアナウンスでも考え込む。"整列乗車にご協力いただき有難うございます"?整列乗車は当たり前?当たり前ではない?いや、整列しない人へのお願い?それにお礼を言うの?こんなことを考えるのは変...。どうしてこのような言葉が使われるかを考えていたら、いつから...と思った。子どもの頃、こんな言葉はなかった。その頃は単純に怒られた。子どもがホームで電車を待つ時に並ばなかったり、横入りしたら親が制止した。だが、最近そんな光景を見ない。親が叱らなくなった。テレビで叱れない親の代わりに保育園でしつけていると話していた。インタビューに応じた母親が"虐待と思われたくないから"と。育児書に"ほめて育てる!"とある。教科書は間違っていないと教わった日本人は必死にほめる。でも、子どもは少しだけ羽目を外してやってはいけないことを冒険する。時に失敗し、時にけがをして"加減"を知る。親が叱れずにいるとほめられることが当たり前になる。叱られるとすべて否定された気分になる。叱られ方を知らない人間として育つ。だが、社会人は自分の意志ではないことが舞い込む。嫌なこともある。会社で叱られ、怒鳴られることもあるが耐えられない。だから、公共のアナウンスが変化した。制止され、否定されることに慣れていない人が多いから肯定的なアナウンスで印象を和らげる。でも、やらなければいけないことをやれない結果に過ぎない。大人になれないまま年齢だけ成人に達する。社会福祉領域は、その人らしく暮す環境を作るための社会的支援(サポート)だから、このような人が増えれば大きく変化する。先生が「今の生徒は授業後、それぞれ同じ質問に来るので行列が出来る。1人1人でなければ聞けない...」と(質問に来る生徒がいるだけ良いが...)。それは個別指導の塾が主流になったことと連動している。つまり、少子化時代"私(貴方)のために..."と育てられた結果だ。親は子どものためなら何でもしたいと"私(貴方)のために..."を続ける。それは何でも私のために回っていると...思わせるに十分。しかも、虐待と間違えられるのが怖いほど叱れず、ほめ続ける。常に"私が中心"。それは社会ではありえないので準備が全くないまま大人(?)になる...。人は成熟すると思っていたが、環境や時代性によって変わるようだ。大人へのプロセスで"社会的成熟"出来ないまま、社会に放り出される...。子どもを叱るどころか己を律することも出来ない大人の社会。危うい。それは対人援助に確実に影響する。サービスを制度理解だけでニーズに応えたなどと到底言えない。難しい時代...とはこのようなことを内包している。(2019‐12②)

"わかりやすいは、わかりにくい"

日曜日夕方6時過ぎのゴールデンタイムにNHKは「これでわかった世界の今」。世界情勢を教室仕立で解説する。受講者は2人のタレント。時に質問に答えられなくなると判らない点を凝った道具で解説。民放では池上彰の"わかりやすさ"が売りの番組。池上はNHK時代「週刊子どもニュース」の父親役だ。お母さん(タレント)や子どもの質問を判りやすく説明していた。だが、今は同時刻に大人が対象になった。最近は新聞もデジタル化されスマホでニュースを読む人が増えた。だから新聞は紙面の作りを変え1ページぶち抜きの特集記事が増えた。新聞で大切なのは速報ではなく深読みだと判る。このような記事は有料だから多くの人は読まずに表層の記事だけ見る。一方、朝日新聞では"いちから わかる!"というコーナーが出来た。基礎が判りにくい等のニュースを解説する記事。内容は子どもの頃に読んだ「小学生新聞」のようだ。十分な知識がなく読み込めない記事を解説し、事情を説明し、自分の考えに至るように書かれている。テレビも新聞も判りやすさが購買力の重要な要素のようだ。

コミュニケーションツール

 "恋文"と言う言葉があった。それが"ラブレター"になった。電話が各家庭に普及した頃、郵便物が減少し"ラブコール"が一般化した。電話は恋人に伝えるツールとなったが、大きな障壁があった。相手の自宅に電話すれば親が出る可能性が高く、異性が電話すればばれてしまう。その後"ポケベル"が出た。短文しか書けなかったので受信すると公衆電話に走った。それでも忙しい人や個人経営者には便利だった。また恋人たちや夫婦がポケベルで連絡を取り合った。その頃に井上陽水の『移動電話』がヒットした。当時はカバン型で重たい機械を持ち歩かなければならなかった。それでも利便性は増したが、恋人たちには高根の花。次第に"携帯電話"となり"ケータイ"に。ケータイはあっという間に過ぎて"スマホ"になった。スマホはスマートホン。スマートは"賢い"。ツールが変わればコミュニケーションも変わる。メールやSNSは感情が伴いにくく絵文字等を駆使するが、微妙なニュアンスや心の内を表現するのは難しく、ノンバーバルでなければ表情が出ない。不思議と言語表現より心の通い合いや豊かな感情を表す。言葉を発信しなくても通じ合うのは、多くが恋人や親子など親密な関係の人である。結局、ツールだけではなく心の機微がコミュニケーションを構成する大きな要素だと判る。

『僕とぼく<新潮社、川名壮志著>』を読んで...

 本なんてものは読む人の考え方、置かれた状況など様々に影響を受けるのだから、読後感想文は読む人の邪魔だ...と、ちょっと斜に構えた考えでいる。だから、どう読んだかなどほとんど書かない。それでも書きたくなることもある。これは図書館の新刊案内でリサーチした。2019年5月30日発行だからまだ世に出てほやほやだ。本を読むのは電車の中が多く涙が出そうで困った。自分は感情移入せず客観的に読む方だと思っていたが、やっぱり"感情的な動物"なんだ...と。涙をこらえながら読んだのは「佐世保小6同級生少女殺人事件」の被害者家族のその後。『僕とぼく』は2人の兄。著者は当時、父親の部下だったジャーナリスト。事件は記憶のかなただろうが衝撃的だった。カッターナイフで僕(ぼく)の妹を切り殺した同級生は児童自立支援施設(児童福祉法)を出て成人を迎えた頃。その間、兄たちが歩んだ道を誇張や衝撃的にせず、丁寧に、やさしく包み込むような文章だった。それだけにリアルだ。

"じじばば"参観日

 保育園の"ジジババ参観日"に行った。1時間程のプログラムはメロディオンの合奏と創作。その後一緒に給食。案内に「祖父母の方を対象に、子どもたちと交流」とあった。だから創作はジジババも作れたが、見回すとババたちは一緒に楽しみジジたちは眺めるばかり。さもありなん!このために遠くは熊本、広島、長野から。こういう時代なんだと驚くばかり。ふと、保育園って...と思うのは職業病か...。

『なつぞら』~戦災孤児~家族

 朝ドラ『なつぞら』が終った。年輪を重ね涙腺が緩くなり抑えるのに苦労した。主人公なつは姉たちの世代。当時は「学童疎開」があった。子どもたちを乗せた対馬丸が海の藻屑となった悲劇があった。なつは東京大空襲にあい、父は戦死、母は空襲で他界。兄と妹の3人は子どもだけで暮さざるを得なくなった。このような子が「戦災孤児」。上野の地下道などに寝泊まりする家がない子を「浮浪児」と言った。食べ物がなく盗みを働いた。国家が「浮浪児狩り」と称し収容した。日本における児童福祉(現:子ども家庭福祉)の始まり。県内でも昭和21年の県立中里学園を始め多く児童養護施設が設立された。当時は社会全体が食糧難時代、困り果てて犬肉を食べた話まで聞いた。3きょうだいは別々に育ち、大人になって再会。兄は娯楽の殿堂ムーランルージュの踊り子に育てられ、なつは知人の牧場(北海道)で育ち、妹は赤坂の置屋に拾われた。だが、これはとても幸運だ。誰からも助けられず亡くなった子、盗みで命を繋いだ人、反社会的集団に身を投じたもの...。浮浪児だった人々の回想をもとに石井光太氏が『浮浪児1945(新潮社)』で追跡している。