日記

理事長日記

「新年のご挨拶」

 新年あけましておめでとうございます。

 今年は「おめでとうございます」の挨拶を交わすことが憚られるくらいに、現在の世界情勢は混沌としています。ウクライナ・ロシアの戦争やイスラエル・ハマスの戦闘状態、また、その影に隠れて詳しい情報が伝わって来ませんがアフリカやアジアの一部の国でも武力衝突などの混乱が続いているようです。

 昨年の12月は20℃を超える日が続いて異常気象を肌で実感しました。また、大規模な洪水が世界中で起こっているニュースも多く目にしました。こうした気候温暖化の問題が深刻化しているにも関わらず、国連の会議では先進国と発展途上国の間の軋轢で有効な手立てが打てないようです。

 国内に目を向ければ政治資金問題で国会内は揺れ動き、政治不信が相変わらず騒がしくマスコミを賑わしているのに国民の目は冷ややかで、とても手放しで新年を祝うような気分とは言えません。

 それでも私たちの日々の暮らしは続いて行きます。福祉の世界でも人材不足が深刻化しており必要なサービスが提供できるように四苦八苦しているのが現状です。利用者の生活や活動を守るため職員一人ひとりが自覚を持って日々努力している姿を見ると自然と頭が下がる思いになります。

 もちろん職員だけでなく利用者も活動を通して社会に貢献できるように自分の持てる力をいろいろな場面で発揮しています。それはパン作りであったり、お掃除であったり、部品の組み立てや創作活動と様々ですが自分の持てる力を精一杯に活用しています。その活動を通して人の役に立ち、また、直接役に立つようなことがなくても、その真摯な"すがた"が世の光となり一隅を照らしていることは間違いありません。

 こうした地道な私たちの活動が世界の人々に困難な時に出合っても平和で平等な社会を思い起こさせるようになることを願って新年のご挨拶とさせていただきます。

以上

「イベント」

 先月はイベントが多い月でした。

 それぞれの地区の公民館のお祭りや秋の防災訓練、ショッピングモールなどでのコンサートやイベントなどで盛りだくさんでした。

 4年ぶりの開催のところもありましたし、マスクを外して感染症対策などの制限がないイベントも多く、コロナ禍前の日常が戻ってきた感じがしました。それぞれ工夫を凝らした内容でしたが、「実りの秋」と言うように、果物や野菜、花などの直売が賑わっていましたし、屋台や今どきのキッチンカーに大勢の人が集まっていました。

 裃(かみしも)を脱いだ、と言う表現が今の若い人たちに通じるかどうかわかりませんが、皆、どこか寛いでにこやかな笑顔がイベント会場に満ち溢れていました。気さくな会話や少し羽目を外した冗談なども飛び交っていました。

 このようなイベントに参加すると自然な自分に戻れるような気がして、思わずはしゃぎ過ぎてしまいます。後で反省すること仕切りですが、これだけ人が集まると言うことは人々が何かを求めている証です。求めているものの一つは人と人との繋がりであったり、日常では味わえない偶然の機会がもたらすちょっとした驚きであったりします。

 こうしたイベントが来年も再来年も続くことを心より願います。

 藤沢育成会では11日に湘南ゆうき村の収穫祭をおこない、18日には秋葉台公園で法人を挙げていんくるフェスティバルを開催しました。どちらも職員が早くから準備をして大きな事故もなく大盛況で集まった皆様に大変喜んでもらえることができました。

 こうしたイベントの別の良い面は、日頃の仕事振りとは違った職員の思いがけない一面を見ることができたり、想定外の問題が起こっても皆で知恵や力を出し合ってそれを解決することで和が生まれたりすることです。今回も随所で職員のそんな場面を見ることができました。

 風が強くて少し寒かったにもかかわらず会場に来てくださった皆様にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。

以上

「実践報告会」

 先月の21日(土)に今年で5回目になる法人内事業所の実践報告会を「意思決定支援~当事者目線の支援とは~」と題し、多摩大学の校舎を借りておこないました。

その時に冒頭でお話したことを今回は掲載したいと思います。

「意思決定支援~当事者目線の支援とは~」

 今年で藤沢育成会は法人設立35年になります。

今回、この実践報告会を迎えるに当たって、高山先生の事前研修や今日の実践報告の事前の資料を読み返してみて、今、痛切に反省していることが一つあります。

 それは、藤沢育成会の歩みを説明するときに、藤沢育成会は「親の会」が母体になって出来た法人なので、そうした「親の思い」がたくさん詰まった法人です、そのことを忘れずにいてください、と言うのを強調しすぎて来たのではないかと言うことです。

 「親の会」が資金面でも実際の申請書類においても大変苦労して法人の設立に尽力されたことは間違いのない事実であり、その「親の思い」は大切にしなければいけませんが、今日の実践報告会のテーマにもあるように今の時代は違います。「親の思い」から「本人の思い」へ変わらなければいけません。

 そのことは、また、「職員の思い」から「本人の思い」でもあります。

 さらに、それに付け加えて「本人の思い」と言った時に、「個人の尊厳」と言うことが、その根底にあると言うことも同時に考えなくてはいけません。

「一人の人間の命は地球より重い」と言った政治家がいましたが、最近のウクライナとロシアの戦争やイスラエルとハマスの紛争などを考えると人の命が軽んじられていると思わざるを得ません。

個人の尊厳と言うことは「一人ひとりがかけがえのない存在」であると言うことです。今は地球自体が軽くなったのか、「個人主義」や「個性」と言うことは言われても「個人の尊厳」が叫ばれることが少なくなりました。

 「利用者一人ひとりが何者にも代え難いかけがえのない存在」と言う「個人の尊厳」を認めてこそ意思決定支援がますます生きてくると思います。

本日の実践報告会が、「当事者目線の支援」と合わせて「個人の尊厳」と言うことも皆さんと一緒に考えることができる機縁になれば良いと思います。

以上

追記 当日は東洋大学教授高山直樹先生に報告に対する講評を頂きました。「アンコンシャス・バイアス」や「弱い紐帯」、「主体性」から「社会性」へなど大変有意義なお話を伺うことができました。この場を借りてお礼申し上げます。

言葉

 若い職員と話をしながら言葉が通じないなと感じることが増えて来ました。最初に意識してから、もうかれこれ10年ほどになります。

 ある職員の仕事にたいして、「尻切れトンボだなあ」、とぽつんと感想を洩らしたら、それ、何ですか?と聞き返されました。中途半端と言う意味ですよと教えてあげましたが、仕事のことよりその言葉が通じないことにすっかり考え込んでしまいました。

 大阪に出張して「とんぼ返りで帰ってきた」と言うのも通じないかも知れません。「蕎麦屋の出前」もダメでしょう。

 仕事に関してのこんなちょっとしたやりとりで戸惑うことが多くなりました。

 それとは少し違いますが、意味は通じても言うのに憚れる言葉やフレーズがあります。

 例えば、思いつくままに挙げれば、「根性」、「若い時の苦労は買ってもせよ」、「歯を食いしばって頑張れ」等々。

 こう並べて見ると努力を促す言葉ばかりが出て来ます。

  「お前は根性がないなあ」と言ったら意味は通じるかも知れませんが、今の若い人はきっと落ち込んでしまうでしょう。その前に「お前」が問題になります。本来は尊敬語でも今は相手を見下した時に使う言葉に変化しています。

 「死に物狂いでやれ!」と言ったら今の時代、これはもうアウトです。その通りに受け取りかねません。

 「歌は世につれ、世は歌につれ」と言いますが、言葉ないし慣用句というものは確実にその時代を映している鏡だと改めて感じました。

2023101日 理事長 倉重 達也

父権主義(パターナリズム)

 少し前の話ですが、福祉新聞に昨年9月の障害者権利条約に関する日本への勧告について次のような記事が掲載されていました。(2022920

「国連の障害者権利委員会は9日、~中略~、障害児・者の施設収容廃止(脱施設化)を求め、地域での他の人と対等に生活するための支援に予算配分することを求めた。」また、「全体を通した思想として医療モデルや父権主義からの脱却がある。」

 この記事で特に気になったのが、後段の「父権主義」という言葉でした。英語の原文は「paternalist approach」で「温情主義」と訳している団体もありましたが、これが何を意味しているのか辞書(weblio辞書)で調べて見ると、「強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援することをいう。対義語はマターナリズム(相手の同意を得て、寄り添いつつ進む道を決定していくという方針)。」となっています。

 東京新聞の社説(20221012)では、『所見冒頭で懸念を指摘したのは日本の政府が、健常者が障害者に「やってあげる」というパターナリズム(父権主義)に偏っている点だ。』と論じています。

 

 このことが暫く頭に残っていたのですが、いくつか思い当たることがありました。

 それは、昨年3月末で湘南あおぞらの施設長を退任してからのことです。退任後も法人の役員として週三日ほど法人の所在地である湘南あおぞらに出勤していました。

 それまで、顔を合わせると「倉重施設長、倉重施設長、」と何度も声をかけて来ていた利用者が、私の顔を見ると怪訝な顔をしています。

 それまでは彼とは気が合うなあと思いながら私の方もお喋りを楽しんでいるつもりでしたが、どうも今回はそんな雰囲気ではありません。それは、どうして辞めた倉重さんがここにいるの?もう気を使いたくない!と言う感じなのです。

 似たようなことをもうひとつ思い出しました。私が18年前に湘南あおぞらに施設長として赴任した初日に玄関で出会った利用者から、「来るな!帰れ!」と怒鳴られたことです。その方とはそれが初対面でした。

 その方も私が退任してからは顔を合わせても何も言わなくなり、何とも言いようのない表情で私を見つめています。

 さらに遡ると、施設長としてスーツ、ネクタイ姿で朝礼に参加し挨拶が終わった後に、いきなり後ろから背中に体当たりされた事もありました。その方とも初対面に近い状態でした。

 自分から入所施設に入りたいと望んで来た利用者がいたでしょうか。

 私自身の中に無意識にせよ、無意識であるからこそ怖いのですが、「やってあげる」と言う「父権主義」の深い根が張っていて、その事を利用者は見事に見抜いて上記に挙げたような行動になったのではないでしょうか。

 深く反省させられた記事でした。

202391日 理事長 倉重 達也

身の引き締まる思い

 6/16に理事長に就任して早いもので1か月半が過ぎました。少し身辺も落ち着いてきたので、8月より理事長日記を開始したいと思います。毎月初の公開の予定です。

 落ち着いて来たとは言っても、私も藤沢育成会に奉職して20年が経ち、今までの延長と言えば延長、あまり仕事に関しては大差がないので目新しいことは書けないかも知れません。

 そんなことをつらつら考えていましたが、よく考えて見ると現場を離れて14ヶ月が過ぎ、また、新型コロナウイルス感染症のため4年近くも事業所へ行くのを控えていたことも重なり、現場の状況がどうなっているのか自分の目で確かめてみる必要性を感じました。

 そこで、先ずは2年目に勤務した湘南ゆうき村に行くことにしました。

 ひと通り課長から湘南ゆうき村の現状について説明を受けましたが会議で報告を受けていたのと実際に自分の目で見るのとでは肌感覚が全然違います。具体的には通所介護が縮小し1階を利用する方で若い人が増えていることなどです。

 一回りしながら利用者さんや職員と言葉を交わしていると、一人の目の不自由な利用者さんが「理事長さんて誰?」と聞いて来ました。湘南ゆうき村は私が19年も前に9か月ほど勤務していたところでしたので、「私ですよ、わかりますか?」と逆に問うと、彼女は少し考え込むように間をおいて、

「なあ~んだ倉重さんか」

と一段と大きな声で返事をしてくれました。代わり映えのしない新理事長で少しがっかりさせたかなと思っていると、そうではなかったようですぐその後に、

「おめでとうございます。頑張ってください~」

とホールに響き渡るようなエールを貰いました。

 

 その時まで何人かの方から同じようなメッセージを頂きました。どれも心の籠ったお祝いと励ましのお言葉でしたが、この時ほど身の引き締まる思いをしたことはありませんでした。

2023年8月1日   理事長  倉重 達也