日記

理事長日記

「物思う秋」

 10月になっても真夏日が続いて、暑い、暑いと言っていたら、急に肌寒くなりました。この頃は秋が無くなって夏からすぐに冬になってしまうと言う話をたびたび聞くようになりました。

「物思う秋」と言う言葉があります。秋は実りの秋でもありますので収穫したものを長い冬に備えるため考えることが多くあったのかも知れません。春の田植えから一生懸命働いてきてやっと刈入れが済み、ホッと一息ついて今年の作物の出来について考えたり、一年間に起こった様々な出来事について物思いに耽ったりすることが多くなったのでしょう。それよりも単純に日が短くなり夜を過ごす時間が長くなったと考えるのが自然かも知れません。

「人生の秋に」と言う題名の本があります。今から55年前に出版されました。その中に次のような詩があります。抜粋ですがご紹介したいと思います。

 「最上のわざ」

この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り

   (略)

人のために働くよりも、けんきょに人の世話になり、
弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること

   (略)

 おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事--。
こうして何もできなくなれば、それをけんそんに承諾するのだ。
神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ

   (略)

                  ヘルマン・ホイヴェルス著(春秋社)

個人的な事ですが44年ぶりに学生時代の友人から電話がありました。同窓会を企画しているので是非会いましょうと言うお誘いです。そんな電話が掛かってくるのも、皆、第一線の仕事から身を引いて自分の辿ってきた道を振り返る「人生の秋に」ふさわしい年齢に近づいたからだと思います。

以上

2024.11.1  理事長 倉重達也

「職員への感謝」

 先日の能登半島豪雨の被災者の皆様には心よりお見舞い申し上げます。

 さて、9月にある事業所の家族懇談会に出席した時に、まだ利用して間もないご家族のお一人から「職員の方が、小さなことでもうちの子に寄り添った支援をしてくれている。とてもありがたいと思う」と言うお話をいただきました。

 また、別の事業所のお祭りに行った時は、短期入所を利用しているご家族から、「些細な体調の変化にも確認の電話をもらったりする。電話が来るとドキッとするが、そこまでうちの子を気遣ってくれているのかと思うと職員さんの大変さが伝わってくる。本当に皆さん良くやっていますね」とねぎらいの言葉をかけてもらいました。

 利用者に寄り添った支援は、ご家族が法人を作ったという藤沢育成会の良き伝統の一つだと思います。それを藤沢育成会の成り立ちを知らない複数のご家族から相次いで聞くことができたことをとても嬉しく思いました。

 現場で苦労している職員の皆さんに感謝したいと思うと同時に、これからも利用者ひとり一人に寄り添いながら、それぞれの可能性を引き出せる支援を目指していきたいと改めて感じたこの一か月でした。

以上

 2024.10.1 理事長 倉重達也

「鋏条格差②」

 8月15日の敗戦の日を迎えると戦中派の人から、「教科書が黒塗りだった」とか「戦争中はストライクを『よし』と言わされた」などの話が堰を切ったように出てきます。また、日本国民を一億玉砕するとまで追い詰めた憎きアメリカが敗戦を境に「チューインガムちょうだい」とおねだりをする対象に変わってしまったという話をため息交じりに話すのを聞いたこともあります。40年も前のことですが上司の一人から「あの人は、今は偉そうなことを言っているが戦前は違うことを言っていた。変節漢だ!どうしても許せない!」と言うことを憤りと共に聞かされた時は、私も若かったこともあり、一緒に憤慨したものでした。

 しかし、戦争と言う極限状態に追い込まれた時に、自分が人として正しい道を常に選ぶことができるのかはわかりませんし自信もありません。先月、NHKテレビの特集で若くして特攻隊に志願した人たちの記録を放送していました。本人を含め家族や志願を後押しした校長先生などそれぞれの立場でその行動は違い心の葛藤は大きかったと思います。戦争中と大災害時とでは比較は難しいかも知れませんが、戦争中にも元気になって国民を鼓舞して活躍して目立った人とその場でジッと人目につかないように頭を抱えて過ごした人とでは同じ戦争と言うものがもたらした結果において「ハサミ状」に格差が広がったことは確かでしょう。

 戦後、変節漢と映ったその人たちにとっては生物学的には順当な適応能力だったかも知れません。配給を守って餓死した人は社会的には順当だったとしても生物学的にはどうだったのでしょうか。その人たちの戦後の生活ぶりや健康状態がどういう風に変わっていったのかとても興味があるところです。

精神の病としての予後はどうだったのか。社会的に順当・不順当、生物学的に順当・不順等がその人の人生にどういう意味を持っていたのか、そんな問いを中井久夫さんは今でも発し続けているように思います。

2024.9.1 理事長 倉重 達也

「鋏状格差」

 高名な精神科医である中井久夫さんは阪神淡路大震災で被災者の心のケアをおこなったことでも知られています。「鋏条格差」と言う言葉はその中井久夫さんの本を読んでいるときに知った言葉で、大災害が起こった際にそれとともに元気になって活躍する人と、逆に頭を抱えて家から出てこられなくなる人とが「広げたハサミ」のように格差が大きくなってくることを意味しているようです。

 こうした事実よりも、この事が何故起こるのか、そしてそれがどう言う意味を持っているのかが中井久夫さんの論じていることでした。

 先ず、その差が出る最初の瞬間は紙一重とのこと。沈む船で自分のライフジャケットを友人に与えて自分は沈んでいく。これを与えない人との差はその瞬間の直前までは紙一重ではないかと言うのです。

 そして、「ある程度進むと、過活動が注目されるが、これに対してテコでも動かない人がいる。どちらが長期的予後が良いかと言えば、実は動かなくなった人の方が生命的生物学的には自然であり長期予後は良いとのこと。これは冷厳な事実である。」と精神科医の目で記しています。

 さらに続けて、「個体保存の論理からいうと、ある程度限度を超えた心身の外傷に対しては、頭を抱えて過ぎ去るのを待ち、栄養を貯え、体力を貯える人が生物学的に順当であり、なけなしの力を奮って走り回り、人の領域まで立ち入って働くというのは社会的には順当であるが生物学的には不順等である。長期的には淘汰されるかもしれない。しかし活躍の方が目立ったことは事実である。」と人類史にまで及ぶ視点で阪神淡路大震災を振り返っています。

 私自身がまだ咀嚼できていないので引用が長くなりましたが、医学を学んだ人の立場からと少年期の戦争体験(中井久夫さんは1934年生まれ)と阪神淡路大震災の体験などが絡み合って、思いもよらぬ危機的な状況に遭遇した時に短絡的な結論をつけたがる傾向に対して警鐘を鳴らしているように思えます。

 能登半島地震から7か月経った現状を考えてみるとあらためて深く考えさせられる問題でした。

 興味がある人は、ちくま学芸文庫「隣の病い」所収「災害と病」292ページを読んでください。 

以上

2024.8.1 理事長 倉重達也

「居住の自由②」

 611日付の福祉新聞に「高齢者 障害者 支援付き住宅を認定 改正法成立、10万戸へ」と言う見出しで、改正住宅セーフティネット法が530日に成立したという記事が載っていました。試行は公布日から1年半以内。今回の改正は市町村が支援付きの住まいを認定することが柱になっており、施行後10年間で10万戸の認定を目標としているとの内容です。

 この、「支援付き住宅」と言う言葉にわれわれ福祉関係者は多大な関心を持って反応をしてしまうのですが、この法律の正式名称が「住宅確保要配慮者に対する賃貸住宅の供給の促進に関する法律」とあるようにこの支援には供給する側(賃貸人)への経済的な支援も含まれています。それは家賃低廉化補助や家賃債務保証料補助、改修費補助、改修費融資と言ったものですが、補助と支援と言う言葉が両方使われているので過剰な反応をしてしまうのでしょう。

 この法律には供給者側だけでなく、住宅確保に配慮が必要な方(要配慮者)の支援策もあり、その中には高齢者や子育て世代、低額所得者と共に障害者も含まれています。そして具体的に支援をおこなう居住支援法人は次のような業務をおこないます。

第四十二条 支援法人は、当該都道府県の区域内において、次に掲げる業務を行うものとする。

 登録事業者からの要請に基づき、登録住宅入居者の家賃債務の保証をすること。

 住宅確保要配慮者の賃貸住宅への円滑な入居の促進に関する情報の提供、相談その他の援助を行うこと。

 賃貸住宅に入居する住宅確保要配慮者の生活の安定及び向上に関する情報の提供、相談その他の援助を行うこと。

四 前三号に掲げる業務に附帯する業務を行うこと。

この条文を読むとやはり期待が膨らんできます。と言うのは、今回の改正をよく読むと、第四条第一項に、この基本方針を定めるものに「国土交通大臣」に加え「厚生労働大臣」を追記したこと、さらに同条第三項では、「この基本方針は障害者総合支援法の第八七条第一項に規定する基本指針との調和が保たれたものでなければならない」としているからです。

 どういう調和が保たれていくか。これをわれわれ障害福祉関係者が期待するようなものにしていくためには今後、相当な努力が必要とされるでしょう。

以上

2024.7.1 倉重達也

「居住の自由」

 一昨年の秋に障害者権利条約に対する国連障害者権利委員会の勧告が出てから国も業界団体もその問題の解消に本気に取組む姿勢が伺えます。令和6年度の報酬改定の内容もそうですし、関東地区知的障害者福祉協会が主催する研修会の開催要項を見てもそのことを強く感じます。

 国はすべての施設入所者に対して、地域生活の移行に関する意向を確認することを義務化しました。今は自由な契約に基づいて施設入所支援のサービスを受けているとはいえ、本人の意思が反映されているとは言えません。昨年暮れに入所施設の家族会でその話をした際には「本人だけでなく私たちも望んでいたわけではありません」と正直な意見が出たことを私たち事業者は真摯に受け止めなければいけないと思います。理念と現実の溝を埋める作業が私たち現場を預かる者の使命と言って良いでしょう。

 さて、意向を確認した後はどうなるのでしょう?その前にどういう意向が出てくるのかを考えると想像がつきません。

 自分自身に置き換えてみても、もう既に高齢者の部類に入った身にとっては、老人ホームに入るか、このまま在宅で最期を迎えるか問われたら悩み惑うばかりでしょう。

 また、居住の事を考えるには財政的なことを抜きには考えられません。今の障害年金の水準ではグループホームの生活は親の持ち出しか公的な補助がなければ無理です。在宅を望めば入浴や排せつなど様々な支援が必要になって来ます。ヘルパー不足は深刻な問題です。

 今は初めの一歩を踏み出したばかりなので理念先行になるのはやむを得ないとしてもこれから解決していかなければいけない問題が山ほどあります。

 一日でも早く入所施設の利用者が日本国民として同年齢の人と遜色ない暮らしができるように力を尽くしていきたいと思います。

以上

(参照)

憲法 第二十二条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。

 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

2024.6.1 倉重達也