日記

理事長日記

「イベント」

 先月はイベントが多い月でした。

 それぞれの地区の公民館のお祭りや秋の防災訓練、ショッピングモールなどでのコンサートやイベントなどで盛りだくさんでした。

 4年ぶりの開催のところもありましたし、マスクを外して感染症対策などの制限がないイベントも多く、コロナ禍前の日常が戻ってきた感じがしました。それぞれ工夫を凝らした内容でしたが、「実りの秋」と言うように、果物や野菜、花などの直売が賑わっていましたし、屋台や今どきのキッチンカーに大勢の人が集まっていました。

 裃(かみしも)を脱いだ、と言う表現が今の若い人たちに通じるかどうかわかりませんが、皆、どこか寛いでにこやかな笑顔がイベント会場に満ち溢れていました。気さくな会話や少し羽目を外した冗談なども飛び交っていました。

 このようなイベントに参加すると自然な自分に戻れるような気がして、思わずはしゃぎ過ぎてしまいます。後で反省すること仕切りですが、これだけ人が集まると言うことは人々が何かを求めている証です。求めているものの一つは人と人との繋がりであったり、日常では味わえない偶然の機会がもたらすちょっとした驚きであったりします。

 こうしたイベントが来年も再来年も続くことを心より願います。

 藤沢育成会では11日に湘南ゆうき村の収穫祭をおこない、18日には秋葉台公園で法人を挙げていんくるフェスティバルを開催しました。どちらも職員が早くから準備をして大きな事故もなく大盛況で集まった皆様に大変喜んでもらえることができました。

 こうしたイベントの別の良い面は、日頃の仕事振りとは違った職員の思いがけない一面を見ることができたり、想定外の問題が起こっても皆で知恵や力を出し合ってそれを解決することで和が生まれたりすることです。今回も随所で職員のそんな場面を見ることができました。

 風が強くて少し寒かったにもかかわらず会場に来てくださった皆様にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。

以上

「実践報告会」

 先月の21日(土)に今年で5回目になる法人内事業所の実践報告会を「意思決定支援~当事者目線の支援とは~」と題し、多摩大学の校舎を借りておこないました。

その時に冒頭でお話したことを今回は掲載したいと思います。

「意思決定支援~当事者目線の支援とは~」

 今年で藤沢育成会は法人設立35年になります。

今回、この実践報告会を迎えるに当たって、高山先生の事前研修や今日の実践報告の事前の資料を読み返してみて、今、痛切に反省していることが一つあります。

 それは、藤沢育成会の歩みを説明するときに、藤沢育成会は「親の会」が母体になって出来た法人なので、そうした「親の思い」がたくさん詰まった法人です、そのことを忘れずにいてください、と言うのを強調しすぎて来たのではないかと言うことです。

 「親の会」が資金面でも実際の申請書類においても大変苦労して法人の設立に尽力されたことは間違いのない事実であり、その「親の思い」は大切にしなければいけませんが、今日の実践報告会のテーマにもあるように今の時代は違います。「親の思い」から「本人の思い」へ変わらなければいけません。

 そのことは、また、「職員の思い」から「本人の思い」でもあります。

 さらに、それに付け加えて「本人の思い」と言った時に、「個人の尊厳」と言うことが、その根底にあると言うことも同時に考えなくてはいけません。

「一人の人間の命は地球より重い」と言った政治家がいましたが、最近のウクライナとロシアの戦争やイスラエルとハマスの紛争などを考えると人の命が軽んじられていると思わざるを得ません。

個人の尊厳と言うことは「一人ひとりがかけがえのない存在」であると言うことです。今は地球自体が軽くなったのか、「個人主義」や「個性」と言うことは言われても「個人の尊厳」が叫ばれることが少なくなりました。

 「利用者一人ひとりが何者にも代え難いかけがえのない存在」と言う「個人の尊厳」を認めてこそ意思決定支援がますます生きてくると思います。

本日の実践報告会が、「当事者目線の支援」と合わせて「個人の尊厳」と言うことも皆さんと一緒に考えることができる機縁になれば良いと思います。

以上

追記 当日は東洋大学教授高山直樹先生に報告に対する講評を頂きました。「アンコンシャス・バイアス」や「弱い紐帯」、「主体性」から「社会性」へなど大変有意義なお話を伺うことができました。この場を借りてお礼申し上げます。

言葉

 若い職員と話をしながら言葉が通じないなと感じることが増えて来ました。最初に意識してから、もうかれこれ10年ほどになります。

 ある職員の仕事にたいして、「尻切れトンボだなあ」、とぽつんと感想を洩らしたら、それ、何ですか?と聞き返されました。中途半端と言う意味ですよと教えてあげましたが、仕事のことよりその言葉が通じないことにすっかり考え込んでしまいました。

 大阪に出張して「とんぼ返りで帰ってきた」と言うのも通じないかも知れません。「蕎麦屋の出前」もダメでしょう。

 仕事に関してのこんなちょっとしたやりとりで戸惑うことが多くなりました。

 それとは少し違いますが、意味は通じても言うのに憚れる言葉やフレーズがあります。

 例えば、思いつくままに挙げれば、「根性」、「若い時の苦労は買ってもせよ」、「歯を食いしばって頑張れ」等々。

 こう並べて見ると努力を促す言葉ばかりが出て来ます。

  「お前は根性がないなあ」と言ったら意味は通じるかも知れませんが、今の若い人はきっと落ち込んでしまうでしょう。その前に「お前」が問題になります。本来は尊敬語でも今は相手を見下した時に使う言葉に変化しています。

 「死に物狂いでやれ!」と言ったら今の時代、これはもうアウトです。その通りに受け取りかねません。

 「歌は世につれ、世は歌につれ」と言いますが、言葉ないし慣用句というものは確実にその時代を映している鏡だと改めて感じました。

2023101日 理事長 倉重 達也

父権主義(パターナリズム)

 少し前の話ですが、福祉新聞に昨年9月の障害者権利条約に関する日本への勧告について次のような記事が掲載されていました。(2022920

「国連の障害者権利委員会は9日、~中略~、障害児・者の施設収容廃止(脱施設化)を求め、地域での他の人と対等に生活するための支援に予算配分することを求めた。」また、「全体を通した思想として医療モデルや父権主義からの脱却がある。」

 この記事で特に気になったのが、後段の「父権主義」という言葉でした。英語の原文は「paternalist approach」で「温情主義」と訳している団体もありましたが、これが何を意味しているのか辞書(weblio辞書)で調べて見ると、「強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援することをいう。対義語はマターナリズム(相手の同意を得て、寄り添いつつ進む道を決定していくという方針)。」となっています。

 東京新聞の社説(20221012)では、『所見冒頭で懸念を指摘したのは日本の政府が、健常者が障害者に「やってあげる」というパターナリズム(父権主義)に偏っている点だ。』と論じています。

 

 このことが暫く頭に残っていたのですが、いくつか思い当たることがありました。

 それは、昨年3月末で湘南あおぞらの施設長を退任してからのことです。退任後も法人の役員として週三日ほど法人の所在地である湘南あおぞらに出勤していました。

 それまで、顔を合わせると「倉重施設長、倉重施設長、」と何度も声をかけて来ていた利用者が、私の顔を見ると怪訝な顔をしています。

 それまでは彼とは気が合うなあと思いながら私の方もお喋りを楽しんでいるつもりでしたが、どうも今回はそんな雰囲気ではありません。それは、どうして辞めた倉重さんがここにいるの?もう気を使いたくない!と言う感じなのです。

 似たようなことをもうひとつ思い出しました。私が18年前に湘南あおぞらに施設長として赴任した初日に玄関で出会った利用者から、「来るな!帰れ!」と怒鳴られたことです。その方とはそれが初対面でした。

 その方も私が退任してからは顔を合わせても何も言わなくなり、何とも言いようのない表情で私を見つめています。

 さらに遡ると、施設長としてスーツ、ネクタイ姿で朝礼に参加し挨拶が終わった後に、いきなり後ろから背中に体当たりされた事もありました。その方とも初対面に近い状態でした。

 自分から入所施設に入りたいと望んで来た利用者がいたでしょうか。

 私自身の中に無意識にせよ、無意識であるからこそ怖いのですが、「やってあげる」と言う「父権主義」の深い根が張っていて、その事を利用者は見事に見抜いて上記に挙げたような行動になったのではないでしょうか。

 深く反省させられた記事でした。

202391日 理事長 倉重 達也

身の引き締まる思い

 6/16に理事長に就任して早いもので1か月半が過ぎました。少し身辺も落ち着いてきたので、8月より理事長日記を開始したいと思います。毎月初の公開の予定です。

 落ち着いて来たとは言っても、私も藤沢育成会に奉職して20年が経ち、今までの延長と言えば延長、あまり仕事に関しては大差がないので目新しいことは書けないかも知れません。

 そんなことをつらつら考えていましたが、よく考えて見ると現場を離れて14ヶ月が過ぎ、また、新型コロナウイルス感染症のため4年近くも事業所へ行くのを控えていたことも重なり、現場の状況がどうなっているのか自分の目で確かめてみる必要性を感じました。

 そこで、先ずは2年目に勤務した湘南ゆうき村に行くことにしました。

 ひと通り課長から湘南ゆうき村の現状について説明を受けましたが会議で報告を受けていたのと実際に自分の目で見るのとでは肌感覚が全然違います。具体的には通所介護が縮小し1階を利用する方で若い人が増えていることなどです。

 一回りしながら利用者さんや職員と言葉を交わしていると、一人の目の不自由な利用者さんが「理事長さんて誰?」と聞いて来ました。湘南ゆうき村は私が19年も前に9か月ほど勤務していたところでしたので、「私ですよ、わかりますか?」と逆に問うと、彼女は少し考え込むように間をおいて、

「なあ~んだ倉重さんか」

と一段と大きな声で返事をしてくれました。代わり映えのしない新理事長で少しがっかりさせたかなと思っていると、そうではなかったようですぐその後に、

「おめでとうございます。頑張ってください~」

とホールに響き渡るようなエールを貰いました。

 

 その時まで何人かの方から同じようなメッセージを頂きました。どれも心の籠ったお祝いと励ましのお言葉でしたが、この時ほど身の引き締まる思いをしたことはありませんでした。

2023年8月1日   理事長  倉重 達也 

大変お世話になりました。

  スメタナの交響詩『わが祖国』が好きだ。祖国の独立、尊厳を願い書かれた。第2楽章で大河「モルダウ」を表現した。水源のわずかな水がいずれ大河となり大海に出る。スメタナは我が子を病で失い、自らも病で失聴する悲劇を経てこれを書いた。他方、共産化に反対した指揮者クーベリックはソビエト連邦崩壊時、亡命先のアメリカから帰国し『プラハの春音楽祭』で指揮した。この音楽祭は『わが祖国』がオープニング曲と決まっている。権力に抗い亡命し、時を経て帰国した直後の演奏は強烈な印象を残した。美しいメロディーにこの背景を重ね♫モルダウ♫を聞き、人の生き方を黙考する。

 初めて、社会福祉を意識した時は単純に"慈善事業"と考えていた。大学受験に失敗し人生の敗北者のような気分の時、出会ったのが孝橋正一の『社会事業の基本問題(ミネルヴァ書房)』。良く判らなかったが"社会福祉"ではなく"社会事業"としか言わない著者に凛とした姿を見た。特に"社会事業は改良主義で社会体制変革のプロセス"の言説が心に沁みた。学生運動の時代ゆえ一層社会福祉事業の社会的価値、意義を感じその後の社会福祉事業の原点となった。それ故、従順で抗わない振る舞いが気がかり。

 サービス利用者は、精一杯の努力をしても生きづらさが改善出来ない人が圧倒的に多い。だから"生きづらさ"への補填的支援が役割。それ故今の社会が当たり前とすることに疑問を持つ。たとえば"忖度"がよく使われた頃は"権力におもねる人"を揶揄したが、最近は忖度すべきところが判らないのか...と押しつける傾向が伺える。"寄らば大樹の陰"の言葉通りで一流大学に入り大企業に就職することが人生の成功者だと思い込む人が多くみられるが、やりたくない仕事を生涯続ける苦渋は本当に人生の成功者か...。だが、良い子は親の言う世界に邁進する。"人はなぜ働くのか..."とか、"人はなぜ人生を全うするか..."などと考えると、やっぱり自己表現の出来る"場"にこそ生きがいや充実感を覚える...。

 それほど順風満帆な人生ではなかった...と思う。多くの挫折があった。悔しいかな権力に抗いきれなかった。それでも生き方を変えず歩み続けられたのは、自ら選んだ仕事に責任を持てたからだ。社会福祉事業は、制度や行政に従わなければ出来ない。だが、それはそれだけ公共性が高く社会性があるということ。行政に従順でいるだけなら社会で生きづらさを持ち続けている人たちの発言はいつ、どこで、だれが、どのように表現するか?社会はどれだけそのシステムを持っているのか?私たちの職業はその人たちの"代弁、媒介、治療"が役割。それは利用者1人の支援だけではなく、その人たちの集団や団体など塊としての"意思"も代弁する必要があり、社会とその塊との媒介者の役割があり、さらに治療≒トリートメントが求められる。そのためにはどこかで社会の当たり前に抗う場面に遭遇する。なぜなら、そこにある社会の矛盾が社会的課題と認識されるから、世間では当たり前と思っていることをほじくるような作業をしない訳にはいかない。かつて障害児の親が"学校に行かせたい!"と願った時、それは当たり前ではなく"わがまま"でしかなかった。だが、今や当たり前となり、国連から日本はインクルーシブ教育が遅れていると指摘されている。つまり、今の当たり前が未来も当たり前ではないということ。そこに、社会福祉で言う"ソーシャル・アクション"がある。

 スメタナは多くの悲運に見舞われながら世界的な名曲を残した。祖国への想いを音楽に託して国民の感情を代弁し、国民同士を結び付けるために媒介し、美しいメロディーで治療した。クーベリックは正しいことを正しいと言い続け祖国を追われた。その間に世界的な地位を得ながら、政治体制が変わったばかりで不透明な中、祖国に戻った。それは、スメタナ同様に国民感情を代弁する歓喜の演奏、国民感情を相互に結ぶ媒介、未知に進む国民を鼓舞する治療だった。モルダウの流れはささやかな一滴から始まり、しだいに流れをせき止める障害物を打ち砕く力強さを持つ。そして大河となり大海原へと旅を続ける。

 私たちは、まだ小さな流れかもしれない。しかし、多くの仲間を集め、次第に流れに抗う力を持つだろう。なぜなら、目標に間違いがないか検証する力量と体制を持ったから。もちろん、多くの難関を乗り越えなければならないだろう。だが、それも仲間と一緒であれば乗り越えられる。決して1人の権力者やカリスマがいても出来ない高みを目指していることにプライドを持つべきである。この仕事は、些細な出来事の積み重ねだからか世間的には不思議なほど評価が低い。でも、考えてみて欲しい!社会の出来事や日常の暮らしは些細なことの積み重ねでしかない。そういう現実を見据え、"当たり前"に抗う気概を持ち、自らを高みに向かわせる仲間がいることこそ、この仕事を選んだ自負である。

 半世紀の時を経て様相が全く変わった社会福祉の仕事に誇りを持つと共に感謝の意を込めて、組織的役割を終わります。今日まで多くの方にご迷惑やご心配をおかけしたことを重ねてお詫び申し上げます。そして、未来に向けて発展することを願ってやみません。

本当にありがとうございました。(2023.6.16)