日記

理事長日記

音楽の"聴き方"

 世の移ろいは時代の流れを表す...が歳を重ねると"本当だな..."と実感する。だいぶ前だが、新聞に『オンキョー自己破産』とあった。一世を風靡した音響メーカーが倒産した報道になんとも言えない気分になった。古いものはいらないと捨て置かれた切なさ...

我が家に初めてステレオが来たのは小学生の頃。兄が"月賦販売"で買った!初めての曲はサムテイラー。テナーサックス奏者でジャズのレコード。結婚したてでスピーカーが買えずカセットレコーダーを妻の電気ピアノにつないだ。流れた曲は井上陽水。しばらくしてスピーカーがやってきた。これが冒頭のオンキョー。なけなしの金をはたいたスピーカーで聞くレコードは格別。流れた曲は小椋佳、そして映画音楽。だが、さらに移ろい移動時に"ウオークマン"で聴き始めた。遅い帰宅時、暗い道でイヤホン越しの冨田勲や喜多郎は幻想的で1日の疲れを癒した。レコードはCDに変わり、カセット、MD...。ITの進化に伴い音源は進化し続けている。お初は"iPod"。パソコンから音楽を手に入れる手法に戸惑ったがなんとか出来るようになった。だが、さすがのiPodも充電器が摩耗し、今は部屋に鎮座まします音源になった。ここまでくると一種の中毒症状か...、聴けないと一抹の不安を覚える。だが年老いて頭が固くなり今に追いつけず困っていたが、スマホから聴けると知る。毎月500円で聞き放題。ありがたいことに古い曲は多くが無料。移動時のお供になった。オペラ、バイオリン、ピアノ、映画音楽、フォーク、シンセサイザー、イージーリスニングなんでもあり。検索が簡単なので実に多様になった。

 こうして見ると音楽の流行には音源の変遷も影響があるようだ。レコード時代は大事に繰り返し聴いたが、その場で検索する今は、その時の気分で簡単に変えられる。手軽ゆえ使い捨てる傾向もあり1曲の重みは薄れた。故に流行の回転が速くなった。また、気軽に聴けるので誰でも音楽に親しむようになり幅が広がった。ところが、今でもレコードを大切にして針の落ちる音まで楽しむ人もいる。ここでも多様性が目立つ

 学生時代の音楽喫茶では大画面のカラヤンがベートーベンを指揮し、多くの人が同じ空間で楽しんだが、今はコーヒーショップでもイヤホンから流れる自分好みの曲を1人楽しむ。重ねると社会福祉制度もこの時代背景を背負って変化している。戦後、法整備が始まった頃は、生活保護受給にスティグマを感じていたが、最近は次第にその感情が薄れた印象がある。悪いことではないが、一方で"不正受給"や"プチ生活保護"などが話題になりすぎマイナーイメージも増えた。一方、KILCの鈴木治郎理事長が話した"地域が施設化した!"の驚きの言葉からは、法整備が整った今は心配無用とばかりに無関心が横行しているようだ。さらに、幼児の親たちと話した時の驚きは、制度をネット検索しても情報を交流させないようだ。個別化しすぎて情報の偏りも...。制度が一定程度、充実すると個別性、多様性に応じやすくなるが、情報の共有や相互協力などの人間関係が希薄に...。そういえば音源がステレオの時代はその場にいる人たちが音楽を共有したが、ウオークマン以降の音源は恋人同士が分け合う姿を除けば個人的。何やら、音楽の聴き方が福祉サービス利用方法の変化に通底して見える。そこに時代のうねりがある...のか。

"あぁ~、やっぱり...ぶつかったか!"

逸話の多い人だった。少々酒が入った帰宅時に検問に合うと"○○はこっちですか、急患です!"とあわてた様子を見せれば大丈夫...と。講演会で"はしかやおたふくはどんどんうつしてもらいなさい。"と。極秘事項としつつ人事の話をした後"人事ほど面白い仕事はない"と。だが、園長室で専門書を読み新たな医学知識吸収に余念がない。団体交渉では最前線に立ち、はぐらかすような論議でマイペースに。誰もが愛してやまないキャラクター。仕事でのチャレンジ精神を教えてくれた親父のような存在。還暦時に奥様同伴でお祝いをした。訃報を聞くと元同僚の声に押され「追悼の会」を開いたら100人を超えた。

 出会いは「重心訪問」。在宅重症心身障害児を訪問してアドバイス。担当は早めに診察して次に行きたいが雑談から始まる。診察を始めると親が上げた服をおろし聴診器を入れた。聴診器は雑談中に握りしめ温めていた。身体が弱い人への配慮だ。こんな医師を見たことがなかった。熱いものが流れた。翌年、転勤先の園長に着任。赴任初日、施設の犬に吠えられた。"君は吠えられなかったが、僕は吠えられた。歓迎のされ方が違うな"と戯言。翌年、地域サービス開始と同時に困難ケースが次々と来た。その時、障害受容が難しい母親が低学年の女子と相談来所。壁に激しい頭突き、自傷で髪が擦り切れてなくなるほど頭部をたたき続けていた。主治医からヘッドギア装着を指示された。生活寮は従ったが、面接時"それを着けるなら2度と連れて帰りません!"と拒否宣言!少しでも緩和策がないかと医師に相談した。少しでも親子関係を修復するためだったが"私(医師)の指示が聞けないの!""命が一番です!"と一蹴。それでも食い下がり、緩和策を講じたかったが決裂!

 翌日、園長から呼び出し。昨日の様子が医師仲間から伝わっていた。おしかり覚悟で入室するとニコニコ顔。ヒステリックな医師の性格を承知で"やっぱり...ぶつかったか!""やりたいようにやりなさい"。拍子抜けした。"しがない公務員には無理!俺が責任取るから思いっきりやってこい!"。また"やりたかったら、きちんと説明しろ!"と言われ続けアイディアや工夫を聞き入れてくれた。組織にはない意見交換の場"プレ寮長会議"を始めると、時折その場の意見を聴いていた。職員の意思を尊重しなさい!と言われている気がした。次第に前向きに仕事に励む職員が増えるのを実感した。

 児童相談所を3年で転勤と告げられた時はこの世の終わりに思えたが、その後の5年は一番充実し思い出深い仕事だった。この時代の障害者は一生施設生活だったが、藤沢や横浜で親たちが「地域作業所」を作り、グループホームを始めた頃の地域サービスのソーシャルワーカー経験は、障害福祉への想いを確固たるものにした。○○○組と言われ、行列のできる事業所になり1年待ちの利用者が出た。良き仲間、良き友、良き先輩に恵まれて出来たことだ。その時の事業は今でも斬新だと自負する。だが、○○○組がなければ結果は出せない。そして、何より大事なのは認めてくれる園長がいなければ出来ない。中途半端は事業を歪ませる。①聴診器の温かさ、②最後は俺が責任を取る...の深く心強いかさ、③スタッフへのあたたかさに包まれていた。組織は1人で出来るものではなく、しっかりとしたラインと、実力を備えたスタッフによって出来ると学んだ。

"なんか、変?!"

必要に迫られて街を歩くのではなく、必要量の運動を確保するために街を歩く。それでも、いろいろ見かける。私の感覚だけど、それらをつなぐと"なんか、変?!"

① 通勤が小学生の登校時間になることが多い。春先は黄色のカバーが着いているランドセルが多いけど、付き添っている親がそれを持っている・・・?通学用の荷物を何で持つの?優しさがあだになってない?!

② 歩道を歩いているとスピードを出した自転車が通り過ぎる。年寄りはそれがすごく怖い!どうして?自転車は歩行者じゃないよ?でも、車道が危ないのも判っている...。もう少し緩やかに走ってくれないかな?

③ ベビーカーがどの場にも行ける時代だ。とても良いが年齢はどのくらいまで?歩き出したばかりの子どもは長距離が難しいけど...。どうして歩かせないの...。リードをつけている子もいたな...。この年頃の探索行動は成長の種なのに...?

④ 電車で立って乗っていていると席を譲ってくれる高校生に会う。ありがたくお礼を言って座る。でも、ほとんどがシルバーシート!どうしてその場だけ?敬老の日に贈り物をすることが敬老なのかな...。本質を見てない気がする・・・?

⑤ レジで"ポイントカードはお持ちですか?"と訊かれる。基本的に持たない。だって、プライバシーをみ~んな覗かれている気がするんだ。何を買ったか判るんだよね。本屋のカードを使うと必ず似た本の紹介メールが来るもん。

⑥ "○○ちゃん"と愛おしそうに話す先のペットが服を着ている。最近は色とりどりの服だけを売る店もあるが、なんか変?!だって、毛皮のペットが余分に身に着けたら体温調節はどうなるの?動物虐待?...違うか?

⑦ そういえばペットの犬を抱いたり、ベビーカーに乗せて散歩する人を見かけるけど、なんか変?!だって、犬だってお散歩しなきゃ運動不足になっちゃうよ。そうそう、ペットの糖尿病が増えたって聞くよ...。

⑧ 学校から出て集団で行動するとどうしても待ち時間が多くなる。それは仕方ないが、地べたにお尻をつけて座らせるのはどうして?先生たちが座っている姿は見たことがない。変だからね。湘南台駅はトイレ入口の真横なんだ!不衛生じゃない?!

⑨ 電話を受けると"今、大丈夫ですか?"の第一声。声なき声が"大丈夫じゃなきゃ取らないよ!"と一気に不機嫌になる。なんか変?!電話は相手の様子が判らないから不意打ちが多い。だから、スマホには"拒否"のマークがある。どうして訊くの?

⑩ 高校生のミニスカート、なんか変?!エスカレーターでは後ろを抑えたりカバンで隠したり。逆セクハラ!って言う人もいるけど、どうしてあの姿がいいのかな...?美しさは、自らの内実からにじみ出る...なんて分からないかな...。

法人でも"それぞれのMy Life"って言っているけど、それは"インクルージョンふじさわ"と言う社会の中でのこと。誰もが社会とおりあう...と考えると"何か、変!?"それほど社会は寛容だと思えないんだけど...。

トラ、トラ、トラ

 「トラ、トラ、トラ」という映画があったがそれとは違う。先輩は無類の阪神ファン。阪神以外は知らないそうだ。次は"寅さん"。大船に撮影所があった頃に上京し撮影所前のアパートに住む。街には寅さんが好きなラーメン屋やレストランがある。跡地に出来た大学に勤めた頃、そのラーメン屋で昼を食べ、レストランでは歓送迎会があったが"寅さんの好んだ部屋、席"と説明された。そのラーメン屋は、ほどなく閉店した。最後はトラもトラ、大トラ。無類の酒好きで酔いと共にやけどしそうな熱量で仕事の話をした。

「時代を映す?」...「時代を創る...」

本土復帰50年の節目に朝ドラは沖縄がテーマ。その年、高校を卒業し上京した主人公が料理人として成長する中で、家族、恋愛、仕事...。同時代の育ちゆえ思い出がよみがえる。時代の変遷を表すが、基地問題は...と。根底に自ら戦争を始め敗戦国となった歴史が横たわる。世界が"今のロシアは80年前の日本..."とする姿はドラマでは見えない。「テッパチ!」は、何やらキナ臭い空気が漂う世界情勢の中、自衛官が主人公。それは戦闘用ヘルメットを指す自衛隊内の言葉。挫折や家庭事情を抱え入隊した主人公が1人前になるまでの話。戦闘訓練も人命救助もこれほどの鍛錬が必要なのかと思わせ、若者に刺さるものがあるだろう...と。これは自衛官の応募数に影響するか...。それは夜ドラ「あなたのブツが、ここに」の宅配員も同じ。障害福祉サービスのドラマはなぜ出来ないか...と思う。

「家庭教師のトラコ」は、主人公の男女が児童養護施設出身。里親に引き取られた男と施設に残された女の格差が今を描く。家庭内の問題に踏み込むトラコは、お金の使い方をテーマに社会勉強に導く。次第に社会的に成長する子どもが親も成長させる。"学び"は知識の詰め込みではなく社会を見る"眼"が大切と知り、学びのモチベーションをあげ成長。サンプルは、頭取の後妻となった銀座ママの親子、シングルママの食堂経営者、リストラにあった新聞記者。母親像から社会を見る仕掛けが絡み合う。テッパチは安全保障が背景、トラコは社会の基礎的集団=家族が背景。ところが「僕の姉ちゃん」は、海外赴任中の両親不在家族というありそうな設定で日常を映す。けだるいような空気、それなりの人間関係。現代家族の人の距離を表し、家事万端それぞれに進む風景が当たり前の今を映す

「六本木クラス」は国家も家族も色合いが薄い。父親を殺された主人公の長い復讐劇。原作は韓国のマンガだが、グローバル社会を反映してか六本木と言われても違和感がない。経済至上主義の社会で、勝ったものが強く、財力のあるものが何でも獲得し、犯罪まで隠蔽できる...社会を映し出す。一方「ユニコーンに乗って」は、ITを駆使したスタートアップ企業が賞金や融資、業務提携を経て成功する。大企業経営者の息子がその起業精神で大企業を改革する。膠着したものは瓦解する時代を映すと読んだ。どこぞの国では"忖度"などと言う使いなれない言葉が横行したが、正しさを自らが見極め自分らしく生きる難しさを表す。時代が変化する時、ふさわしく人々の生き方も変化する。高度経済至上主義がもたらした金権主義社会で良いかと問いかけているようだ。

かつて手話ドラマ「星の金貨」や「愛していると言ってくれ」が人気の頃は、手話が流行したが、今は話題にもならない。「NICE FLIGHT!」のように空港の多様な仕事が見えるとドラマは職業紹介のようだが、それによって世間の"目"が変わる。これにテレビの社会的信用度が加わり社会的イメージがどんどん変わる。国家資格となった頃、介護福祉士希望者が急増。情報が好印象をあたえた。だが、ニュースにもならない今日、希望者は激減しダーティーイメージだけが残った。この先、時代を映したドラマが、世間をどう変えるか...?肯定的イメージがなかったものがドラマ化されると社会的認知が激変する。そうかドラマは時代を映す...ではなく、ドラマは時代を創るのか...

"収める鞘を持たないケンカは負けだよ!"

 学生時代お世話になった人が上司になった。仕事に特別の注文はなく、穏やかな日々が続いた。終戦直後、柔道着と竹刀だけ持って上京。戦後の浮浪児を収容(当時の言葉)する仕事に就いた。当時は食糧事情が悪く、"孤児院(現:児童養護施設)"ではなおさら!子どもたちが肉を食べたいと訴えたが金がない。しかたなく赤犬なら大丈夫と...食べたという。また、風呂に使うマキが足りず枕木を取りに行ったと笑う。眉唾じゃないか...、イヤそうしなければ生きられなかった...?そんな逸話で周囲を笑わせるところがあったので信ぴょう性は不明。また、「保母試験」の採点で児童相談所について"児童の相談する所"の回答に"△"。間違いじゃないかと聞くと、間違ってはいないと。そうだけど...、二の句がつけなかった。

 ある日、職場近くの飲み屋で話しをしていると店主がつまみを1品多くだした。"よく頑張っているってね""ええ?""よく来てくれるんだよ""誰?""課長さん!""そう?""息子のことで世話になってね!良い人だね!""そうですか..."。施設に相当好感をもっている。歓送迎会で仕出し屋に予約すると予定をやりくりしてくれた。当日、店に伺うと"課長さんは?""後から来ますけど、どうして?""いやぁ、本当にお世話になっているんだ!""良い人だよね!"。どこでも課長さん、課長さんと言われるのに1年いらなかった。床屋、八百屋..."課長さんは?"と。自分の時間を使い街の人と話し仲良くなり、地域の社会資源を利用し、街に溶け込んだ。剣道4段、柔道も有段者。見事な筆使いで文字を書き、得意がることもなく自然体。しかし、酒が入ると下ネタも混ざり周囲を和ませた。恐妻家だというが早く帰宅する様子もなく、夜な夜な酒を飲んでは人々を和ませた。地域との関係が増え、施設に好感を持って頂き、街との接点が変わり挨拶を交わすようになった。

 ある日、成人した利用者の母親と相談し、自宅から通所すると決まった人がいたが、保母長(今はない役職)が母親と話し"心配..."と。母の心配に配慮しそれも含めて相談してきた。頭越しの行為に憤りを覚えた。方向性が間違っているとも思えなかった。相当な怒りの中、問いただした。礼儀を失しないようにと思っていたが後から思えば問い詰めるようだった。答弁はしどろもどろ...。その時「○○ちゃん、収める鞘を持たないケンカは負けだよ!」と声がかかった。続けて巌流島の話。拍子抜けしたが、佐々木小次郎が刀を振りかざす時、鞘を捨てた。剣豪宮本武蔵が勝利したのは、そのすきを見抜いたからだという。

 若さゆえ、怒りに任せて訴え続けたことをさらりと諫めた言葉が忘れられない。人と人の関係は、どうしてもどこかで対立を生む。何となく気まずいこともある。どんなに正しくとも相手を非難し続けてはいけない。頃合いを見つけることを"鞘を持つ" ...と。その直後、保母長が非を認めた。だが、実に後味が悪い。この後味の悪さを何度味わっただろう...。老いてなお我が身を収められないと振り返る。一方、怒りはエネルギーであり、失うとうつろな目になる恐れを抱く。人間は本当に難しい。生きるに差し支えないことに怒りを覚えないが、物事の重要性が増すごとに怒りを覚える。穏やかな人柄、大胆な振る舞い、ひょうひょうとした仕事ぶりが心に残る。それにしても"収める鞘を持つ"のは難しい...。