日記
湘南あおぞらの施設長・課長日記
「春よこい」 ( 湘南セシリア・みらい社 / 施設長 石塚 和美 )
2月に入り、メジロの姿を見かけるようになりました。夕方も少しずつ日が長くなってきていることを感じます。
年明け、10年ぶりに母が我が家にやってきた。1週間滞在。
家の環境は昔のまま。遅ればせながらの大掃除で急きょ環境設定。風呂の脱衣場に温風ヒーター、洗面所・ベットの足元にマット設置、リビングにホカホカカーペット準備。段差の確認。
10年の間に家のまわりの環境がだいぶ変わった。店が変わり家並みが変わった。
私が休みの日に一緒に近隣の散歩。子どもが小さいときはよく手伝いに来てくれていたので顔見知りのご近所さんもいて安心だけれど環境の変化はなかなか難しい。
ウイークデイ、私が仕事の日、母はひたすら家事。食器棚、冷蔵庫内の整理、風呂場、リビングの清掃。帰宅するたび、家の中がきれいになっていく。以心伝心。ここをきれいにしたいという思いは母にはしっかり伝わっていた。
今まで来られなかった分、今後も定期的に母に来てもらうことになった。今度来るときは一緒に桜の花の下を散歩したいと思う。
103歳で逝った祖母は、寝たきりになっても「気をつけて帰りなさい」と気遣ってくれた。
仕事に追われ、自宅と仕事場の往復。母が来てくれ、どこかで誰かが見守ってくれていることを感じた時間でした。
散歩道。蝋梅の香りがしている。春はそこまで来ている。春よこい♪早くこい♪
「第54回 朝の来ない夜はない」 ( 湘南あおぞら・アポロ / 施設長 倉重 達也 )
シェイクスピアの戯曲『マクベス』中に出て来るマルコムの台詞だそうです。新型コロナ感染症が収束しかけては繰り返し、それが5回も6回も蔓延してくると、いつ夜明けが来るのだろうと疑心暗鬼な気持ちになります。感染症そのものが周期を持つものかも知れませんが出口が見えかけては消えるというのは精神的な負担が大きくなるばかりです。
今、これを書いている時も感染者数が過去の記録を更新したというニュースが流れています。これだけ長期間にわたって感染の不安やいろいろな制限によるストレスを抱え、さらにコロナ対策が重なって何倍も神経を使いながら、一体、皆さんどうやって仕事や学業に対して意欲を維持しているのでしょうか。
魔法の言葉があったらいいと思いますが、魔法は解けてしまうのが常套ですからこれもあてになりません。
冒頭の「朝の来ない夜はない」などは私も時々心の中で呟いて自分の気持ちを鼓舞してきましたが、「朝の来ない夜はなかったけど、コロナはなかなか終わらない」と思ってしまうと春先の雪のようにすぐに魔法が解けてしまいます。
そんな厳しい状況の中でも日々、悪戦苦闘しながら利用者の支援をしている我々福祉施設職員の姿を見ると感謝の思いとともにただただ頭が下がるばかりです。
一日も早く夜明けが来ることを願ってやみません。
以上
(写真)1月7日 雪の日
「突如現れた影絵」 ( 湘南あおぞら・アポロ / 課長 石川大助 )
紅葉した葉がすっかりと落葉して道端に色を添えて冬の季節を感じる。
だがしかし、この季節は朝布団から出るのがつらくなって朝の支度にとりかかるのがちょいと時間がかかってしまう。新型コロナも随分と感染者数も少なくなってきているが、新たな変異株も静かに、そして確かに存在をあらわにしてきている事が心配になってしまう。
今年の夏に二重の虹を見て以来、通勤時に空を見上げる事が多くなって嬉しい気づきにつながった。
藤沢市役所に近い場所に「若尾山公園」という公園がある。
そこの中央辺りに大きなイチョウの木が1本あり季節ごとに緑や黄色と葉の色合いを変え、秋になると銀杏の実をつけている。
そのイチョウのすぐ横には、デザインの変わった街灯があるのだが、夜のなると放射状の光と影を地面に映し出しながら、隣のイチョウをライトアップしてなんとも絵になるのが好きでそこを通ることが常になっている。
街灯の光はイチョウの木だけではなく周囲の木々も照らしている。
いつもならいい雰囲気だと思いながら公園内を通りすぎるのだが、その日は公園の外周の沿った道を歩いていた。ふと公園の外のマンションの壁面に木々の影を大きく映し出されている事に気づいた。街灯の光が木々を照らし見上げる程大きなスクリーンになって、巨大な壁面アートを見ているかの様で、白、グレー、黒の影に感動!!
どこか懐かしさ + 突然現れた驚きに不思議さも感じ、毎日通っていたのに何で気づかなかったのか、、、。手で犬をつくって映し出せたら面白いかも考えてしまう、、、。
一旦そこに気づくと辺りの影を探してしまう。ハローワークの壁は?奥の建物は?公園の遊具は?気づけばぼんやりと周囲に影が映っている。夜しか見せないその風景が、毎日をちょっと興味と楽しみに変えていく。そして、他の道でもそんな風景があるのでは!と興味を広げてくれた。
その公園の木々は背丈が高いものが多く何十年とここにあるようで時間を感じる。イチョウの様な落葉樹と常緑樹もあり、桜も植えられ小さな公園だが季節ごとの楽しみ方ができて気に入っている。
話は違うが、最近もっぱらワクワク待ち遠しいものがある。私の住む町の大きな公園に「大王松」という品種の直径15㎝以上の松ぼっくりをつける松があり、12月頃に実を落とすらしく、何度も見に行くがいまだ落ちておらず!
その度に「なんで落ちないの!見えてるのに~~」と悔しい思いをする日々が続いている。競争率が激しいのかもしれないが、、、。手に取ったら何処に飾る?と息子と話しながらワクワクしている。
「アフターザレイン」 ( 湘南セシリア・みらい社 / 施設長 石塚 和美 )
コロナウイルスによる緊急事態宣言が9月末に解除となり特別措置法による時短要請も10月24日をもって解除となりました。
感染対策を行いながら、少しずつ元の生活に戻れるよう、このコロナ禍で得た新しい生活様式も取り入れながらこれからの季節を迎えたいと思います。
前回の施設長・課長日記を書いてから4か月。仕事や家事をする日常、家族や親しい仲間を想いながら過ごした日々。なかなか会えない中で、日々の電話やメール、ライン。そして手紙やはがきを出すことも増えました。以前よりも頻繁に連絡を取り合うようになった方々も多いのではないでしょうか。私も、数十年ぶりにいとこから電話があり、びっくりしたと同時に、連絡を取り合うことができるようになりうれしく思った出来事でした。
半面、体調不良時や、そばにいてあげたいときに、すぐに駆け付けることができずにもどかしく思うときもありました。
忙しくしているときには感じないさみしい気持ちやどうにもできない想いを、秋風がセンチメンタルな気持ちにさせます。これは「秋うつ」かなあと思いネットで調べたところ、「日光を浴びてセロトニンの分泌を促す生活を習慣づけましょう」とアドバイスがありました。
この頃は、週末も忙しくなかなか散歩もしていなかったと反省し、散歩を再開、秋風も心地よく感じるようになりました。これからは、自粛していたお寺巡りも御朱印帳を持って出掛けたいと、久しぶりに気持ちがワクワクしています。
お互いを案じながら、まずは自分が元気でいることが一番大事だと感じた秋の日でした。
写真は我が家の庭の数珠。そして家庭菜園にやってきたアゲハチョウの幼虫。彼らにもたくさん元気をもらいました。
第53回『言葉はコミュニケーションにとって万能の道具か?』
孫引きになるが、生物学者のマーク・パーゲルによれば「世界中で最も多くの言語を抱える地域は、人口密度の高い地域」と言うことである。
「パプアニューギニアに行くと、一つの島の中で八〇〇から一〇〇〇という数の異なる自然言語を見つけることができます。~中略~どうやら言語の使用目的は、協力だけにとどまらず、集団の輪を作り出したり、アイデンティティの確立と自分たちの情報・知枝・技術の盗用保護をしたりと多岐にわたります。」とも言っている。
人口密度が高くなると言語の数が増えるというのは、単一言語圏に暮らす我々にとっては矛盾することのように感じる。どうやら言葉というものは情報の伝達に役立っているだけではないと言うことがわかる。
外国人と仲良くなりたいと思ってその国の言葉を学ぶ気持ちと、一つの共同体(集団)が形成されると逆に村八分と言う排除の論理が働いて、そこから言葉が細分化するように働くと言うのは、よく考えてみれば言語の方には罪はなくて人の心の方に問題があるのだろう。
そう言えば、専門用語や業界用語というのもその特定の業種でしか通じないし、若者の言葉などは今の私には聞いていてもさっぱりわからない。言葉はコミュニケーションを良くする手段だけに使われるのではなくそれを阻害する働きもあると言うことらしい。
人間というものが、相当、厄介な生き物に思えて来た。
「星に願いを」 (湘南セシリア・みらい社 施設長 石塚 和美)
2020年、コロナ禍で生活が一変しました。休校、外出の自粛。いつもと違う日常にとまどう1年でした。その中で、コロナ対策をしながら何ができるか。仕事でも、日常の生活でも「できない」ことより、「今この環境でできること」を考えて行動した一年だったと思います。
職場では、感染対策を徹底し、支援の中で利用者が楽しめる企画や、従来どおりの活動をどのようにしたらおこなえるか、工夫とアイデアを凝らし実行してきました。
私生活でも、大好きな音楽をいかに楽しむか。月に一度はライブへ行っていたあの頃。コロナの中で、イベントやライブ・演奏会が次々と中止となる中、演者もライブを楽しみにしていた人たちも不安な中で過ごしました。そして、「時間が過ぎるのを待つ」のではなく、「今、何ができるのか」。たくさんの演者が配信という方法で発信してくれました。あたり前だった音楽を聴くということが、新鮮で感謝の気持ちで聴く日々。音楽だけではなく、絵本の読み聞かせや詩の朗読なども、そこにはいないけれど同じ時間を共有している人たちがいることを感じる時間がもてました。
昨年から、自転車通勤となり、風や季節を感じることも多くなりました。この頃は、満月が時期により「スーパームーン」と呼ばれ、季節により呼び名も変わるくらい注目されています。流星群もよく報道されるようになりました。仕事の帰り道は、夜空を見ながら今日一日の反省や楽しかったころを思う時間でもあります。
この原稿を書いているのは7月7日。七夕。我が家には七夕飾りは飾っていませんが、空を見上げて願いを唱えました。七夕の日、あなたは何を願いましたか。