日記
湘南あおぞらの施設長・課長日記
「第51回 東日本大震災から10年」(湘南あおぞら 施設長 倉重 達也)
先週の木曜日、3月11日は東日本大震災から10年の節目の日でした。二万人以上の死者・行方不明者を出したこの災害は、震源地からは遠い藤沢で経験した私にとっても、走行中の道路が大きく揺れるなど、記憶にはまだ生々しいものがあります。テレビで見た津波に飲み込まれる街の映像はこれが現実のものなのかと疑ったりもしました。
それから10年経った2021年は、新型コロナウイルス感染症の影響かあるいは未だに傷の癒えない被災地の状況を配慮してからなのか、報道の内容に表現を抑えたというか、重厚な感じを与えるものが多かった気がします。
当然のことながら震災直後は津波の映像や倒壊した建物などの被害状況に関する報道が次々とされましたが、この10年の間に、被災者の忘れてはいけないと言う思いと、忘れたいと言う気持ちの二つの葛藤が、地道に取材を重ねている報道する側にも微妙な影響を与え、その伝える内容に変化をもたらしたのかも知れません。
あるいは、この10年間に他にも熊本地震や広島の土砂災害、御岳山の噴火などの様々な自然災害があり、東日本大震災の被災者が当事者から第三者、あるいは支援者へと変わったり、また当事者に戻ったりと時の流れの中で他者との関係性が様々に変化し、地層のようにその想いが堆積して来たことが表れたのかも知れません。より被災者の気持ちに寄り添った、そして年輪を重ねてきた一人ひとりの気持ちの変化が報道に深さと広がりを持たせたのだと思います。
交通インフラがほぼ震災前の水準に戻り、防波堤、護岸整備も7割が完成したと言っても、子どもや親、兄弟を亡くした人の悲しみは癒えることがありません。
大勢の人が少しずつ、その人のできる範囲で被災者に寄り添い、時を積み重ねながら、それも何十年、何百年単位で関わりながら、やっとあたりまえの日常に戻るのでしょう。
以上
私にとっての栄養ドリンク的な一曲(湘南あおぞら 課長 石川 大助)
先日見ていたテレビ番組で、年代別 に「あなたにとって〇〇の曲は?」といくつかテーマを挙げて街頭インタビューをしてランキングを付けていく番組があった。
すぐ思いついたのが、秦基博の「グッバイ・アイザック」だ。
2013年にリリースされた曲で、テレビアニメのエンディング曲にも使用されていた。
テンポよいリズムにのって前向きな歌詞が流れて、覚えやすい言葉が耳に残り聴いているうちに口ずさんでしまう。
『描いているほど現実はうまくいかなくても そう
誰だって がんばっているから もどかしくなる』
『1回きりだろって 奮い立たせ 突き抜けろ 今』
『積み上げた昨日に きっと 嘘はないから』
この曲を聴いていると、今は明日へ、明日は次へ、その次へとつながって、今が自分自身をつくっているのだと思わせてくれる。今この時の失敗も自分の成長で、いつか役に立つと踏ん張らせてくれる。
詰まった心にちょっとしたゆとりの隙間が空くと、私の中の「ほっこりアンテナ」が立ち、小さな事柄にもほっこりできる自分を取り戻せる、私にとっての栄養ドリンク的な一曲。
このほっこりアンテナが利用者のなにげないいつもの行動に、ちょっと違った気づきを加えてくれる役に立つことも、、、。
いつものあいさつも今日もできたと思わせてくれたり、すれ違う姿に安堵したりと当たり前に見える事は、当たり前ではなく大切な事だと思わせてくれる。
今、社会全体を見渡せば一層大事さを感じますね。
「第50回 説明はすれども正当化はせず」(湘南あおぞら 施設長/倉重達也)
フランソワ・ラブレーの研究者として知られている渡辺一夫の著作の中に、「ある教祖の話(a)」として宗教改革者「カルヴァン」を扱った物語があります。
その中に、カルヴァンの影響を受けたジュネーヴの民衆がカトリック教会を略奪破壊し、過激に教会を糾弾したのにも理由があったというようなことが書いてあります。
例えば、カトリック教会が無知な信者を欺くためにおこなった例として次のようなものをあげています。洗礼前に死んだ幼児が、改めて洗礼を受ける際に一時息を吹き返したというような幻覚を与える目的で死体内へ空気を入れるトリックを使ったとか、ザリガニに小さなローソクを付けて放ち、亡霊が出たような感じにする仕掛けをしただとか、数世紀来使徒ペトロの脳髄としてあがめられていたものが、ただの軽石にすぎなかったというような珍妙な事実が明るみに出たというのです。そしてこのことがカルヴァンやルッターにカトリック教会に対して反逆を企てさせたと言うのです。
渡辺一夫はその物語の中で、カルヴァンの研究者の言葉を引いて、「こうしたキリスト教の精神的失格(カトリック教会の堕落)は、民衆の反動としての暴力を正当化しはしないが、これを説明するものである」と言っています。
どんな行為にも理由はあるでしょう。そして最近は「説明責任」と言う言葉がよく使われます。説明をされると納得した気になってしまいますが、いくら説明責任が果たされたとしても、その前にその行為が、「正しい」か「正しくない」かの判断があるということを忘れてはいけないと渡辺一夫は訴えたかったのだと思います。
十月桜から(湘南あおぞら 石川大助)
先日、家の近所を息子と散歩した時に今年も開花している桜を見かけた。この時期に桜が見られるのはちょっとした楽しみになっている。
開花している花は少なく全体の1/3くらいしか咲かず、春の桜ようにぎっしりと開花
して見ごたえがあるわけではないが、春咲きとは違って控えめに咲く味わい深さを感じられるのが好きだ。
調べてみると10月~12月頃に咲く種類はいくつかあり、この桜は十月桜(ジュウガツザクラ)と呼ばれている種のようだ。他にも春と秋に2度咲く桜もあるらしい。
今年は新型コロナの影響で夏のお祭り行事などは中止となり季節感を感じる風物詩が少なく寂しさを感じる。そんな中で今年も変わらず咲いている事に安堵感を覚えてしまう。
桜の場所を後にして歩いていると見慣れた建物、当たり前に咲いている草花も「今年も在る」と思わせてくれる。その瞬間、気持ちが和んでいく。
ちょっと忘れてしまっていたことを思いださせてくれた気がした。
たまにはあって欲しい特別感もよいが、当たり前にある日常を大事にしたいと思わせてくれた散歩でした。
天災は忘れた頃にやってくる(湘南あおぞら 施設長 倉重 達也)
寺田寅彦が言ったとされるこの至言も、昨今の河川の氾濫のニュースなどのように記憶の生々しいうちに次々とやってくると多くの人も指摘するように人災ではないかと思いたくなります。
一口に災害といってもいろいろあります。寺田寅彦は関東大震災の経験をこのように表現しました。人が人生における大地震に見舞われる周期と地球規模の大地震が起きる周期が違うということを科学者でもある寺田は表現したかったのでしょう。
新型コロナ感染症の流行で、カミュの「ペスト」が売れているそうです。19世紀末に大流行したペストを経験した人は生存していないと思うのでまさに感染症の流行も「忘れた頃にやってくる」災害の一つに数えられると思います。
天災か人災かという議論も、地球温暖化のように人間の営みが自然現象に多大な影響を与える時代になると複雑な要因が錯綜して「天災」と「人災」の境界線が失われてきているのではないでしょうか。ひょっとすると環境の変化に対応して人間の方が突然変異をおこして泥の中でも住めるようになるかも知れません。
人間は偉大であるのか愚かであるのか。今の時代はまさに混とんとした世界に踏み込みつつあります。
以上
(写真)あおぞらの庭に咲いた花
「点から線へ」(湘南あおぞら 課長 石川 大助)
筆に墨を含ませる
墨を含ませた筆を硯から引き上げる
引き上げた筆を紙におく
おいた筆を求める方向へ動かす
求める地点で筆を止める
筆を引き上げる
新た地点に筆をおく
求める方向に筆を動かす
これらの動作を繰り返して形が生まれる。
単純な動作を繰り返すだけなのに思った通りに出来上がらない。
点から始まり線になり形を成しいていく過程で何かが起こる。墨を含ませすぎた、筆をおく位置が違った、筆をおく前に紙に墨が垂れた、筆に墨を含ませすぎた事で滲みが広がりすぎた、筆に含ませた墨が少なく過ぎて線にならない「こんなはずでは・・・」「ちがう」と。
難しい、実に難しいのです。
白い紙に点をうつ前からある数え切れない程のハードルを越えるためには、刃を研ぐように集中力を高め、心の内をコントロールし、完成のイメージとを練りあげ「今だ」のタイミング=「覚悟」する自分を待つのだ。始めたら止められない。意思をもって点を線に変え形を成し終えるまでの数秒から数分の間、集中を切らさずに進むのみ。
これらを体現していたのが前衛書家の井上有一だ。
茅ヶ崎市と寒川町で教師をしながら前衛書家として活躍をしていた人物がいた。墨と紙に向き合い新たなモノクロームの世界を表現していた。
数々作品を残しているが、「貧」シリーズが私は好きだ。文字が人に見えてくる。目の前に立つと、ただただ圧倒され迫ってくる迫力が半端ない。
しかし、見ているとどこか微笑ましさ、優しさを感じた。
ここしばらく大きな展覧会はなく見ていないが、機会があったら是非見たい。
今の自分は何を感じるのか目の前に立ってみたい。