日記

湘南あおぞらの施設長・課長日記

天災は忘れた頃にやってくる(湘南あおぞら 施設長 倉重 達也)

湘南あおぞら

寺田寅彦が言ったとされるこの至言も、昨今の河川の氾濫のニュースなどのように記憶の生々しいうちに次々とやってくると多くの人も指摘するように人災ではないかと思いたくなります。

一口に災害といってもいろいろあります。寺田寅彦は関東大震災の経験をこのように表現しました。人が人生における大地震に見舞われる周期と地球規模の大地震が起きる周期が違うということを科学者でもある寺田は表現したかったのでしょう。

新型コロナ感染症の流行で、カミュの「ペスト」が売れているそうです。19世紀末に大流行したペストを経験した人は生存していないと思うのでまさに感染症の流行も「忘れた頃にやってくる」災害の一つに数えられると思います。

天災か人災かという議論も、地球温暖化のように人間の営みが自然現象に多大な影響を与える時代になると複雑な要因が錯綜して「天災」と「人災」の境界線が失われてきているのではないでしょうか。ひょっとすると環境の変化に対応して人間の方が突然変異をおこして泥の中でも住めるようになるかも知れません。

人間は偉大であるのか愚かであるのか。今の時代はまさに混とんとした世界に踏み込みつつあります。

以上

(写真)あおぞらの庭に咲いた花

「点から線へ」(湘南あおぞら 課長 石川 大助)

湘南あおぞら

筆に墨を含ませる

墨を含ませた筆を硯から引き上げる

引き上げた筆を紙におく

おいた筆を求める方向へ動かす

求める地点で筆を止める

筆を引き上げる

新た地点に筆をおく

求める方向に筆を動かす

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これらの動作を繰り返して形が生まれる。

単純な動作を繰り返すだけなのに思った通りに出来上がらない。

点から始まり線になり形を成しいていく過程で何かが起こる。墨を含ませすぎた、筆をおく位置が違った、筆をおく前に紙に墨が垂れた、筆に墨を含ませすぎた事で滲みが広がりすぎた、筆に含ませた墨が少なく過ぎて線にならない「こんなはずでは・・・」「ちがう」と。

難しい、実に難しいのです。

白い紙に点をうつ前からある数え切れない程のハードルを越えるためには、刃を研ぐように集中力を高め、心の内をコントロールし、完成のイメージとを練りあげ「今だ」のタイミング=「覚悟」する自分を待つのだ。始めたら止められない。意思をもって点を線に変え形を成し終えるまでの数秒から数分の間、集中を切らさずに進むのみ。

これらを体現していたのが前衛書家の井上有一だ。

茅ヶ崎市と寒川町で教師をしながら前衛書家として活躍をしていた人物がいた。墨と紙に向き合い新たなモノクロームの世界を表現していた。

数々作品を残しているが、「貧」シリーズが私は好きだ。文字が人に見えてくる。目の前に立つと、ただただ圧倒され迫ってくる迫力が半端ない。

しかし、見ているとどこか微笑ましさ、優しさを感じた。

ここしばらく大きな展覧会はなく見ていないが、機会があったら是非見たい。

今の自分は何を感じるのか目の前に立ってみたい。

「ビデオ撮り」(湘南あおぞら 倉重達也)

湘南あおぞら

 新型コロナウイルスの終息の目途が立たない中、春の選抜高校野球が中止になったり、プロ野球、Jリーグの開幕が延期、大相撲は無観客試合の開催などさまざまなイベントが中止になったりしています。

 藤沢育成会はいち早く411日に予定していた法人全体研修の中止を決定しました。

 しかし、この研修は1年の初めに勤務者を除く役職員200名以上が集まり、今後の法人の方針を確認したり、様々な課題について意見を交換しあったりする大切な場でもあります。

 中止のままでよいのか?

 どうやって、法人の思いを職員に伝えたらよいのか?

 こんな難問について研修担当の若者達の発想は素晴らしい!


 冊子にまとめるだけでなくビデオ撮影をしてわかりやすく職員に伝えましょうという企画が生まれました。それも撮影から、編集に至るまですべて自前で行っているらしい(「いるらしい」と言うのはまだ完成版ができていない段階だからですが)。

 という訳で私も、ビデオカメラの前で5分間のビデオ撮りと言う初めての経験をさせてもらいました。

 当日は、声は出ない、言葉は籠る、視線は原稿を見っぱなしの散々たる結末でしたが、とても貴重な経験を積むことができました。

 この体験による教訓をあえて言えば、何をするにしても、この場合はビデオに向かって話すということですが、発声や身振りなどはすぐに身に着くものではなく技術的な積み重ねが必要だと言うこと。それと、当事者の思いは当事者になってみないとわからないということの二つでした。

以上



『春の匂いとリラックス』(湘南あおぞら 石川大助)

湘南あおぞら

 ついこの間、通勤中に「沈丁花(じんちょうげ)」の匂いが一瞬香った。

沈丁花は春先に小さな毬のような塊になって咲く香りの強い花で、季節を感じさせてくれるこの時期の代表的な花の一つだ。

 人それぞれに好きな匂い、リラックスする匂いはあると思うが、私の場合は入れたてのコーヒーの香りが何とも落ち着く。

コーヒー好きの私としてのベストは、挽きたての豆で入れたコーヒーの香りだが、もっぱら手軽な1回分のドリップコーヒーが重宝している。

日に飲む回数はインスタントの方が多いかもしれないが、、、

しかし、残念なことに花粉が飛び散るこの時期は、鼻がつまって匂いを感じにくくなっていることが多いのでリラックス効果は半減している。

そんな時期でも気軽に楽しんでいるのが、入浴だ。湯船に我が家で取れたレモンを数個ずつ入れると爽やかな香りと湿度がよい感じに混じって広がりかなりのリラックス効果が得られる。

レモンを触っているだけですっきりとした気分になれる。私の思いこみと色の効果もあるのかもしれない。さらに手軽な入浴剤と合わせれば色々と楽しめる。

いまだコーヒー風呂は試したことはない。

2、3か月間位の期間限定であるが、これからの通勤道中は、沈丁花の香りが一層強く香ってくるのが楽しみだ。

それぞれのリラックス方法で春を迎えてください。

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「実ほど頭を垂れる稲穂かな」(湘南あおぞら 倉重達也)

湘南あおぞら

今年のノーベル化学賞を受賞した吉野彰さんの座右の銘が「実(みのる)ほど頭(こうべ)を垂れる稲穂(いなほ)かな」だという報道がありました。私は米どころ新潟で育ったせいか、この言葉は子どもの時から何回となく聞かされてきた気がします。

稲は実ほど穂が垂れることから、人も立派になればなるほど謙虚にならなければいけないというような意味ですが、なかなか言葉どおりにはいかないようです。政治家やスポーツ選手などの有名人のスキャンダルなどは、この諺がどんなにか難しいということの一例かも知れません。