日記
湘南だいちの施設長・課長日記
『「千葉県袖ケ浦福祉センター廃止」の発表を受けて思うこと・・・』(湘南だいち 宗像喜孝)
未だ新型コロナウイルス感染の終息の目途が立たず、毎日感染者数が増えた、減ったという報道をテレビで聞く度に気分が下がりがちになります。そんな時、自分はここ最近、養老孟司氏の著書を読んだり、対談しているテレビ番組を観て気分を和ませています。コロナ禍において、自然と行動に制限がかかり、視点もグッとフォーカスしてしまいがちです。養老氏が語る、地球、昆虫、様々な科学の法則等々の話から、様々なものの見方、見え方があることを知り、思考が開放されていく気になるのは、私だけでしょうか・・・。
さて、令和2年8月31日に千葉県は、「重度の行動障害者が入所する袖ケ浦福祉センター(袖ケ浦市)を2022年度末までに廃止する」と発表しました。
袖ケ浦福祉センターは、1966年に設立され、重度の知的障害がある成人が入る更生園、中軽度以上の知的障害がある児童らの養育園で構成しています。一時は定員が400人を超えるなど、大規模な集団でのケアが行われてきた施設です。2013年には、職員数名が入所者に対し身体的虐待を行い、死亡させるという痛ましい事件が発生しました。ほかにも虐待が相次いでいた事実が発覚したため、県は新規入所者の受け入れを停止し、再発防止の取り組みを行い、施設のあり方を検討してきました。千葉県が、センターを廃止するまでの結論に至った経緯の詳細については、千葉県のHPなどに資料が掲載されていますので、ご参照ください。
自分が大学で学んでいた当時、ゼミを担当していた恩師より、これから入所施設のような集団でのケアはなくなるかもしれない、もし入所施設解体に向けた取り組みに携われることが出来るのならば、それはあなたのキャリアにとってとても価値のあることだ、と言われたことを思い出します。その言葉が、藤沢育成会に入職した1つの動機になっていたかもしれません。あれから早数十年、キャリアの中で、主に入所施設の中で重度の知的障害のある方と関わってきましたが、人ひとりの尊厳やプライバシーを第一に考えた時、集団でのケアの難しさについて考えさせられる時は数多くあります。
千葉県が今後、どういった具体的な政策に取り組み、歩みを進めていくのか注視していくと共に、法人職員としては、今年度から行っているネクストプランⅡの「未来構想プロジェクト」を中心に、今後、数十年先の障害のある方の支援の在り方について、真摯に向き合い、考えていきたいと思います。
(写真)今年、職場の職員から頂いた粘土細工です。今年で40歳・・・。
緊張と緩和(湘南だいち・相談支援プラザ 伏見 康一)
コロナウィルスの感染状況がどうにも治まらない渦中において、今日まで事業所が通常営業出来ていることについて、利用者・ご家族・職員・関係者各位には深く感謝致したい。何よりも不安と混乱の中、実直に業務にあたっている職員皆様には只々頭が下がる思いである。私自身も感染予防を疎かにしているつもりはないものの、緊張の糸がずっと張りつめているとも感じている。去来するのはこの先もどうか皆元気に過ごせますように、という神頼みにも似た境地だ。
一方、私生活で新たな出来事があった。家族で籠るのに何かいいものはないか、と考えたあげく麻雀を購入。結果リビングのデスクが雀卓になった。家族全員が初心者で一から挑戦であったが娘と息子にもそこそこはまった様で家族の新たな楽しみとなった。勿論子どもに金銭を要求したりはしていない。賭けなくとも緊張からの解放には十分な楽しみとなっている。
「雨降って地固まる」の諺をあらためて噛み締めている。そしてこの先の目指す地は「新しい生活様式」の世界。工夫を凝らし「withコロナの生活」がこれからの大きな課題。メリハリの効いた過ごし方が肝要だろう。緊張と緩和のバランスこそ大事なのだと思案する。
麻雀に興じてから家族の絆が深まった気がする。ささやかではあるが私なりの新しい喜びだ。
『「果敢に」「謙虚に」「健康に」・・・』(湘南だいち 宗像喜孝)
ここ最近の日課として、支給された通称アベノマスクを入浴時に手洗い・消毒し、翌日、出勤前にアイロン掛けて整えてから出社しています。色々と物議を呼んでいるマスクですが、3か月近く続けていると愛着も湧いてきます。
さて、2020年度の湘南だいちではスローガンとして、「果敢に」「謙虚に」「健康に」と定め、職員に取り組みの内容を浸透するために、毎朝の各部署のミーティングの最後に、皆で唱和しています。はじめは、照れくささもあり、ぎこちない様子がありましたが、今では号令をかける職員の姿も板についてきました。
一昔前のテレビの資料映像に出てくる、ある会社の社内の一風景のようで、はじめは、個人的には抵抗感がありましたが、実際に唱和を日々行ってみると、仕事がはじまる朝一番の機会に身が引き締まる思いを感じられ、また、職場内の他職員との連動を体感できるとあって、意外に良いものだと今は感じております。
(新3K運動の取り組み内容)
※それぞれの言葉の頭文字である「K」を文字って、新3K運動と呼んでいます。
- 「果敢に」:チャレンジ精神を大切に、既存の考え方に寄らない自由な発想で業務に取り組みましょう!!
- 「謙虚に」:『実るほど頭を垂れる稲穂かな』。利用者、ご家族、地域の方々、職場の仲間に対しても謙虚な気持ちを持って接することを心掛けましょう!!
- 「健康に」:利用者・利用児の健康管理はもちろんのこと、職員自身が心身共に健やかに生き生きと働けるように、健康に心掛けましょう!!
さっそく、職員がスローガンの「果敢に」を意識してくれたのか、新型コロナウイルス禍における湘南だいちの新しい取り組みを次々に実施してくれました。
下記が、コロナ禍で取り組んだものの一例です。
- 外で遊ぶ機会が減少した園児、兄弟児を対象としたテラスの開放
- Zoomを活用した保護者・園児を対象とした在宅支援
- 働きやすさを意識した事務所のレイアウトの変更、倉庫内の整理
- 在宅勤務をするにあたってPC環境、その他の整備 などなど。
今後もスローガンの内容を意識し、職員の意識を統一するだけでなく、地域、社会に対して湘南だいちの取り組みをアピールしていきたいと思います。
「健康」(湘南だいち・相談支援プラザ 伏見 康一)
いよいよ明日から新年度。引き続き湘南だいちと相談支援プラザ配属となりました。どうぞよろしくお願い致します。
2020年度は感染症に伴う混乱と不安の真っただ中の幕開けとなり、いささか心中揺れておりますが、まずは利用者、職員等の健康を何より大切にしていきたいと思っております。そしてこのような事態の時こそチーム一丸となって冷静に、実直に取り組んでいくべきだと考えております。
私の名「康一」は、「健康一番」の意だったとのこと。確かにそのおかげか今まで大きな病気やケガなく過ごしてくることができ、恵まれていたと感じております。なんの取り柄もない私ですが、せめて名前の意図を伝えることで皆様のお力の足しになれば幸いです。
心身共に健やかに、新年度を過ごしていきたいと思います。
Photo by Mitsugu Sato
『「ダブル成人式」から思うこと・・・』(湘南だいち 宗像喜孝)
2月といえば、節分の季節です。ここ最近は、節分の行事にはつきものの「恵方巻」の食品ロス問題の話題の方が盛り上がり、そもそもの行事の意味や内容については置き去りにされているように感じます。ちなみに過去に住んでいたことのある屋久島では、大豆ではなく落花生を鬼に投げつけます。落ちても中身には影響されず、しかも、飛び散らずに後片付けが楽でした。とても衛生的で合理的です。
さて、最近「ダブル成人式」というイベントを各地域の自治体、他が行っていることを知りました。イベントを行うに至った経緯としては、20歳の時に何らかの理由で、成人式に参加できなかった人たちが、その心残りを解消するために企画をしたそうです。ちなみに、調べてみると、藤沢市では今年で第八回目を迎える巷では恒例のイベントとなっており、毎年のべ1000人以上の参加者が集い、地元にゆかりのある新40歳の交流の場となっているそうです。自分は今年で参加資格を持つ年齢を迎えますが、イベントの意味合いがよく理解できず、たぶん参加はしないでしょう。
かの有名な織田信長にゆかりのある歌である「敦盛」の一節に
「(中略)
人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生をもうけ、滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思い定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ」
とあります。歌の意味については諸説あるので割愛しますが、安土・桃山時代では、当時の人間の寿命のひとつの目安は、せいぜい50歳程度と考えられていました。現代では「人生百年時代」とも言われています。時代が変われば、年齢に対する価値観や考え方が変わります。常にアンテナを張り、その時代に生きている各世代の価値観にチャンネルを合わせられる柔軟な考え方を持つことの大事さを考えさせられました。
画像→少し前までは見ることも恐れていたのに、今ではお面を被って遊べるようになりました。
「アウフヘーベンの実り」(湘南だいち・相談支援プラザ 伏見 康一)
「ある主張(テーゼ)とそれに矛盾する主張(アンチテーゼ)を合わせて、どちらの主張も切り捨てずに、より高いレベルの結論へと導くこと(ジンテーゼ)。」これは弁証法理論の考え方である。この考え方は「全てのものは己のうちに矛盾を含んでおり、それによって己と対立するものを生み出す」ことを前提としている。
さて私見ながら今の福祉に置き換えてみる。なおテーゼとアンチテーゼに優劣、良悪はなく、あくまで同値同等である。
「施設」(テ):「地域」(ア)、「訓練」(テ):「支援」(ア)、「集団」(テ):「個人」(ア)
「弱み」(テ):「強み」(ア)、「多数」(テ):「少数」(ア)
などなど他多数。社会福祉は未だ「テーゼとアンチテーゼの関係性が己のうちに内包される自己矛盾の範疇を超えてないもの」が堆積している状態なのではないか、と推察する。
では、どのように考えるか。
「施設」:「地域」の考え方を例題にしてみる。
テーゼ:施設は大きな建物で居住が確保されている。
アンチテーゼ:地域の暮らし方は自由、プライバシーも守られる。
アウフヘーベン*:テーゼとアンチテーゼを「より高いレベル」へと止揚する。
ジンテーゼ:管理されず自由でプライバシーが守られる施設(建物)、「支援者のいない施設」などいかがだろうか。つまりそこは支援者も利用者もなく皆が生活者という場。
今こそ「自由奔放なイマジネーション(=アウフヘーベン)」が福祉には必要なのかもしれない。まずは自らが考えることこそ重要なのだと思索する。制度がネックなら制度ごと止揚してしまえばいい。長い歴史の中で培われた功績がいよいよ実ってきている。
*「アウフヘーベン」
ドイツ語。「止揚」「揚棄」と訳される。「止めて揚げる」「棄てて揚げる」の意。対立しあう二物の関係を一つ上の次元に引き揚げる、の意。
*写真
「秋富士」河口湖畔より撮影