日記
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施設長・課長日記
「ふと、思った事」 (湘南だいち 石川大助)
先日見ていたテレビ番組に好きなミュージシャンが出ていた。
コブクロの小渕健太郎さんだ。歌の歌詞やメロディーから物語をイメージ出来るのと、言葉の使い方がきれいなところが好きで長年聴いている。
その番組の中で、「ここにしか咲かない花」というコブクロの曲の歌詞に出てくる「寂寞(せきばく)」という言葉について触れていた。
小渕さんによると寂寞とは、"寂しい"の最上級の言葉で、日本語には寂しいと意味する言葉が沢山あると言っていた。耳馴染みのない言葉だったので興味が沸き思わず辞書を引いてみると確かにいくつも出てきた。
・寂寞(せきばく):心が満たされず寂しいさま
・寂寥(せきりょう):心が満ち足りずもの寂しい
・寂寂(じゃくじゃく):ひっそりと寂しいさま
・閑寂(かんじゃく):ひっそりとして落ち着いているさま
・寥寥(りょうりょう):ひっそりとしてもの寂しいさま
・簫寥(しょうりょう):寂しくもの悲しいさま
・簫然(しょうぜん):もの寂しいさま
・寂然(せきぜん):ひっそりと寂しいさま
勉強不足で初めて見る言葉ばかりだが、意味を見て微妙な違いに驚いた。小渕さんが言っていた最上級という意味が分かった気がした。確かに、ひっそりと寂しいより、心が満たされず寂しいの方がより閉塞感や孤独感、愛情不足、心の穴が空いた状態など連想させ寂しさが増している。
この言葉の意味を知った後に聴き直すと、前より深みのある曲に変わり、よりこの曲に惹かれてしまった。いい曲だ!
この曲を聴き直しながらふと思ったのだが、この微妙な違いを表現するために、言葉が派生していったと考えると、先人の心の繊細さに触れた気がした。そして、その先人の心の繊細さを育てたのが、日本の四季が織りなす微妙な移り変わりや自然の捉え方にも繋がっているのかもしれない、、、。季節を楽しまなくては。
写真は、地元に自生する白タンポポと日本タンポポだ。珍しいので毎年春になると見に行っている。
「インクルージョンふじさわ」という共通の目標にむかって
今年度も湘南ゆうき村、湘南だいちを担当いたします。よろしくお願いします。
3月25日(土)、藤沢商工会議所ミナパークにて、法人全体研修を行い、職員200人以上が参加しました。2019年末に新型のコロナウィルス感染が拡大し、2020年は集合研修の予定を中止して映像資料で研修、2021年は、多摩大学講堂でいくつかのフロアをオンラインでつないでの研修、2022年は同じく多摩大学と事業所をオンラインでつないでのグループワークを計画していましたが感染状況の悪化に伴い中止して書面と映像資料での研修となりました。
全員が一堂に会しての研修は、今回実に4年ぶりとなりました。午前は理事長講話、新職員紹介・表彰や前年度の県委託事業、危機管理会議の報告等を行いました。午後は2つのテーマ、28グループに分かれて、全職員参加のグループ討議を行うことができました。内容は、法人の中長期計画「インクルージョンプラン」について。住まいと暮らし、育ち・成長、生きがい・働く、つながるの4つのテーマにプラン2年目の取り組みを推進するため、それぞれが楽しく真剣に意見交換しました。
何かを考えるとき、一人では堂々巡りしがちですが、相手がいることで刺激され、発想が広がります。事業所や仕事の種別、経験、年齢など皆違う200人以上のスタッフが「インクルージョンふじさわ」という一つの目標に向かって討議することは素晴らしい経験でした。
この数年間、それぞれの場所で互いにあまり会うこともなく働いてきた仲間が顔を合わせ、労いあっている様子あり、また4月からの新採用職員も法人の雰囲気・職場風土を感じて、徐々になじんでいけるのではないか、と感じました。
※インクルージョンプランについては、モデラート93号をご覧ください↓
https://www.f-ikusei.or.jp/moderato/
法人全体研修での一コマ(法人表彰の様子)
「桜咲く」 (湘南あおぞら・アポロ /施設長 石塚 和美)
例年より早くサクラの便りが届きました。早咲きのサクラをはじめ、近所では様々な種類の花が咲き始め本格的な春の訪れを感じています。
4月よりアートスペースわかくさへ異動となり、通勤で通るこの道もあと何日、と数えながらサクラの下を通っています。
地域で障害のある方に関わる仕事がしたいと福祉関係の専門学校を卒業し、縁があって重度重複障害のある方々が通所する施設へ事務員として就職しました。
食事場面や外出など、支援員以外の職員(事務員や栄養士、調理員など)も加わり利用者の方と直接かかわることができたことは自分にとってとても良い経験となりました。
藤沢育成会では、事務員、管理職として利用者の方とのかかわりを持たせていただきました。地域とのつながりを大事に、「インクルージョンふじさわ」「それぞれのマイライフ」を目指し活動を続け、自身も藤沢市民としてだれもが住みよい街になるとよいなあと思いながら業務にあたって参りました。
それぞれの事業の役割や様々な職種・職員間のチームワークの必要性を深く考える時間を与えていただきました。
4月より支援員として、アートスペースわかくさの仲間に加わります。新しい出会い、活動を楽しみにしております。
例年、初詣は江ノ島神社へ行きます。毎年おみくじを買いますが今年は中吉。「前進することは無心のことだ。今日成すべきこと、今成すべきことに全力を尽くすことがあなたに与えられた努め」と記してありました。思うように進まず反省することも多くありましたが、今後も一つひとつ丁寧に取り組んで参りたいと思います。
お世話になった皆さま、ありがとうございました。新しく出会う皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。
「なんくるないさ~」 (よし介工芸館・アートスペースわかくさ / 課長 儀保 治男)
新年度を迎えるにあたって、皆さんいろいろな準備で忙しくしているかと思います。忙しくなると、人はどうしても「ゆとり」がなくなり、声や表情に出てしまいがちです。
私はそんなときに自分に言い聞かせる言葉があります。
「なんくるないさ~」です。
知っている方もいるかと思いますが、沖縄の言葉で、「きっと、何とかなるよ!」という意味合いをもっています。
なんだか、適当な感じを受けますが、この言葉は、「まくとぅ そーけー なんくるないさ」という定型文からきた言葉だそうです。「まくとぅ」とは、「真(まこと)」の意味です。
「真(まくとぅ)そーけーなんくるないさ」="(人として)正しい行いをしていれば、自然と(あるべきように)なるものだ。"
つまり、"正しい道を歩む努力すれば、いつかきっと報われて良い日がやってくる。"という意味です。
物事は、上手くいくときと、上手くいかないときの繰り返しです。でも、しっかりと自分を信じて前に進んで行くことが大切です。
年度末で慌ただしい中で、ゆとりを失いかけた自分に、時には周囲の仲間に伝えてみてはいかがでしょうか。
"2023年度も、なんくるないさ~!"
「今帰仁城址の桜」
「本部町フクギのトンネル」
「瀬底島の海」
「ペットを飼う理由」 (湘南あおぞら・アポロ・法人本部事務局 / 課長 石田 友基)
以前、ウサギを飼っている紹介をしました。「人はなぜペットを飼うのか」ということが気になって調べてみました。
ペットの歴史はとても古く、1万2000年前の遺跡からは女性と子犬が一緒に埋葬されたのが発見された記録があるそうです。
ペットを飼う理由ランキングというのもあり、「かわいい」からという理由が半数を占めていました。僕がウサギを飼った理由もまさに一目ぼれ、圧倒的な可愛さでした。
表面的な理由の裏側に、「人は群れで生活する生き物であり、自分が持っている資源を、仲間に分け与えたい」という本能を持っているらしいです。現代では、物があふれているので、人は群れなくても生活は出来ますが、ペットの世話をすることで、その本能を満たしている。という考え方があるそうです。
動物はしゃべらないので、人を必要としているかどうか、本心はわかりませんが、人の脳は「必要とされたり、分け与えたりする=幸せになる」ということがプログラミングされているようで、現代社会ではあまり、人にしなくなった本能的欲求を、ペットを飼うことで満たしているそうです。
本能を意識したことは今までありませんが、僕の本能的欲求を満たしてくれているウサギに、感謝を感じました。
〜駅弁〜 (相談支援プラザ/課長 一戸 香織)
桃の香りが漂い、春の訪れを感じる季節になりました。
そしてこの季節は、卒業式、人事異動など生活に大きな変化が訪れる季節でもあります。
数十年前、私自身が故郷を離れたのもこの季節でした。
新幹線が通る前は上野駅から特急電車で4時間かけて帰省していました。
4時間の乗車はお尻の痛さを感じるほどとても長い時間でした。
その長い時間の中で唯一の楽しみだったのは、途中で買う萩野屋の「峠の釜飯」でした。
「峠の釜めし」は益子焼の土釜を使い、出し汁で炊き上げたご飯の上に、鶏肉・ごぼう・椎茸・筍・うずらの玉子・栗・銀杏・グリーンピース・紅生姜の9種類のおかずがぎっしり詰まったお弁当でした。
紐をほどき、割り箸を手に蓋を開ける時は、わくわく感だけでなく、一人食べる寂しさ、様々な事への不安など色々な感情がこみ上げてきて味わったことを今でも覚えています。
新幹線が開通し、1時間半程で故郷に帰れる様になりなりましたが、最近では車で帰ることが多くなり、すっかり駅弁を食べる機会がなくなりました。
先日、「たまには峠の釜飯を食べながら一般道でゆっくり帰るのもいいね」と言う話で、一般道で帰ることにしました。
久しぶりに食べる『峠の釜飯』の味は変わらず、何十年も前の記憶が一気に甦り、車中もいつもと違う話題で盛り上がりました。
故郷で帰りを待っている父・母にも土産の「峠の釜めし」を買い、喜んでもらいました。
いつもと少し違うことをして、いつもと少し違う1日を過ごすことが、余裕なく過ごしている自分にとっては必要と感じた一日でした。
食べ終えた容器の釜は植木鉢として活躍しています(写真)