日記

施設長・課長日記

「トライ&エラー」 ( よし介工芸館・アートスペースわかくさ / 課長・儀保 治男 )

よし介工芸館

ある日の朝、朝食を摂りながらラジオに耳を傾けていると、ラジオ・パーソナリティーの方が、「人生は、トライ&エラーの繰り返しである」という話をされていました。「生きていると、上手くいくこともあれば、上手くいかないこともある。そのような出来事が起きたとき、上手くいったときは喜び、上手くいかなかった時にはそれをどう乗り越えるか考えていく・・・」

私は箸を動かしながら「本当に、"人生は、トライ&エラーの繰り返し"」と首を上下に動かしながら10代の頃から40代の出来事をいろいろと考えていました。楽しかったことや、辛かったこと。大変な出来事。嬉しかった出来事etc。(短時間でしたが人の脳というのは本当に精巧なもので素晴らしいものだと感じました)

若い頃は、勢いに任せて、いろいろなことに対してチャレンジをしてきました。上手くいったときはそのままの勢いでいけますが、上手くいかなかった時には、「なぜ、自分だけ上手くいかないのだろう・・・」と後ろ向きになることもありました。そんな自分のことを考えていると、そのパーソナリティーの方はさらにこうも言っていました。「生きているだけで丸儲けです」と。

私も本当にそうだと思います。良いことについては、素直に受入れ、悪いことについては、どう乗り越えるか考えていく。実際、これまでも、多くの出来事に対して対応出来てきた自分がいます。これからも"トライ&エラー"を繰り返しながら、常に前進していきたいと改めて思った朝のひと時でした。

9月課長日記画像(カモの親子).JPG

家の近くを散歩していると、カモの親子に遭遇!鳥は苦手ですが、写真を撮り幸せな気持ちになりました。

「ナビゲーターVS野生の勘」(よし介工芸館・アートスペースわかくさ/施設長 伏見康一)

よし介工芸館
アートスペースわかくさ

お盆を過ぎ猛暑もようやく峠を越えてきた。今年から山歩きを始めたが猛暑の時期はさすがに断念。その代わりにドライブに行った。ただ山道運転は苦手なのでドライブの行先は海。自然に帰る喜びを体で感じている。いよいよ山や海、自然から受けるエネルギーにはずっと縋っていこうと思う。

車の運転、今はアプリが最新経路で行先案内してくれる。ついつい重宝してしまい、行き進むと凄く狭い道になったり、信号なし交差点を右折、などと案内され戸惑うこともあり、気持ちの余裕と事前の備えの必要性は常々痛感している。

ナビゲーションは参考程度、自分の感覚と野生の勘を鈍麻させないようと意識していきたい。

 先日、自宅からわかくさまでの道のりを検索してみたら東名高速利用を案内された。これもまた時代の流れなのだと感じた。

(写真)先日ドライブで行った三浦半島の「剣崎灯台」

夢の話 ( 湘南ゆうき村 / 課長・髙橋 羽苗 )

湘南ゆうき村

人の夢の話はつまらないと言われますが、夢の話をしたくなることがあります。

夢の中で驚いて思わず起き上がったり、目覚めて涙を流していたりと夢の中でもとても忙しい。とんでもない傑作!と思っても、画力も語彙力も乏しい私はうまくは伝えられず、結局忘れてしまいます。

夢はまだまだわからないことが多いようで、現在も様々な研究がされています。脳内の情報と記憶が結び付けられていると言われますが、どうしてそうなった?と驚くような設定の夢もしばしばで、「あぁ夢だな」と思いながら冷静にみているようなことも多々あります。

そんな傑作ばかりなのに、人の夢の話が楽しめないのはやっぱり「共有」ができないこと。人の夢の話は、「ま、夢だしなー」で終わってしまうのがほとんどです。夢の共有についても研究があるようですが、情報と記憶の差異や、伴う感情の違いでなかなか同じ夢は難しいよう。そもそも同じかどうかの答え合わせも難しい。

昔、ドラえもんの道具で夢を覗けるテレビがあり(調べてみたら「ユメテレビ」というそう)、これがあれば友達や家族にこの面白さがわかってもらえるのに...と思っていたのですが、今考えると知らないうちに覗けるタイプの道具で、つまりだだ漏れ。往々にして「自分に都合のいい夢」を見ている私にはちょっと活用は難しそうです。

「新しい生活様式と私の変化」 ( 湘南だいち /  課長・石川大助)

湘南だいち

私は通勤で電車を利用していますが、その日も電車の揺れに足を踏ん張ってバランスをとっていたが、耐えきれず「手すり」を掴み倒れないように体を支えた。電車の利用なら当たり前の行動だ。が、その時私は「汚い」と思ったのだ。

新型コロナの流行で、「感染予防」と言う言葉をよく耳にし、マスク着用やアルコール消毒が新しい生活様式として習慣化されてすっかりその生活に馴染んでいる。そして、電車通勤をしている中で意識的に変わったことがある。接触感染を避けるため吊り革や手すりを触る事が激減したのだ。思い返しても1年以上、手すりや吊り革を触っていなかった。感染が拡大してきた初めの頃は意識的に接触感染を防止する意味で「触らない」としていた行為が、時間とともに触らないことが当たり前になり、習慣化されていった結果、吊り革や手すりを触る事への抵抗感を強化してきたのだ。

不特定多数の方が触っている事で多くの細菌がついているから「汚い」と感じるのは分かるがとっさにそう感じた事が自分でも驚きだ。新型コロナが流行する前まで、手すりを掴む事なんて当たり前すぎて「汚い」なんて思わないほど気にしない人であったが、私の中でこんなにも感じ方が変わっていた。

アルコール消毒をすれば済む話だが、余裕がない私を感じた、、、。

感染防止にはこれからも継続していくが、拘り過ぎずに正しく恐れる必要があるようだ。

 変化つながりでちょっと話が変わるが、4月から湘南だいちに異動になり通勤経路も変わった。私の楽しみの一つが職場から駅までの道のりで空を見ることで、湘南あおぞらに勤務していた際は、住宅街やビル街から見上げる空を楽しんでいた。善行、亀井野の地域の湘南だいちに勤務になり、辺り一面の畑から広さを感じる空、住宅街から見上げる空、小さな駅の上に広がる空を楽しんでいる。

数年前まで勤務していた地域だが、私の中の感じ方が変わったのか、夕方から夜にかけて、昼間にはない色合いの空模様が広がっていてスマホで写真を撮っている日々になっている。お気に入りの撮影スポットも見つけた!

「夏の記憶」 ( 湘南ゆうき村・湘南だいち / 施設長 妹尾 貢 )

湘南だいち
湘南ゆうき村

子どものころの夏の記憶は、大人になって久しい現在でも、自分の季節感に影響している。

キャンプ、虫取り、魚釣り、自転車で遠出、親戚の家で食べるスイカ、ラジオ体操

特にテニスファンでもないのに、夜更かししてテレビで見る、ウィンブルドン(レンドル、マッケンロー、ナブラチロワ)。

小学校高学年から、中高校生の夏は、水泳一色だった。

現在の子どもたちにとっては、この夏はどんな風に思い出されるだろうか?

コロナ対応に限らずヒトは、そのときどきで成しえるベストを考え、対応してきただろうと思う。

が、そのことは、時間がたってみないと評価が定まらないこともたくさんある。

我々の仕事にしても、そのときにベストと思うことに取り組むが、はたしてそれが長期的にみてどのように作用するのか、分からないこともある。

例えば、通所施設では、良かれと思って「ドアトゥドア送迎」の体制を整えるよう努力しているが、そのことが利用者から、交通機関を利用する機会を奪い、地域の人との関りが減る方向に作用してしまう現実がある。

地域社会の崩壊が叫ばれて久しいが、そのことも、日本社会が何かと引き代えに、選び取ってきたことではなかったか。

そんな状況でも、人がともに生きていくための方法を模索したくて、この仕事を選んだのではなかったか。

「頭を冷やせ! 一方で、魂の炎を燃やし続けろ!」

社会福祉領域のみならず、さまざまな分野で語られる言葉である(冷静な頭と温かい心、のほうがポピュラーか)。

自分にとって、大切な言葉である。先の見通しが悪くても、前に進むためのエネルギーを大切にしたい。

(試合中のマッケンローにも、言ってあげたい言葉である)

「地域で生活するとは」  (湘南あおぞら・アポロ・法人本部事務局 / 課長 石田 友基)

湘南あおぞら

1か月ほど前、横浜市のある法人が主催していた、映画鑑賞に行ってきた。

「不安の正体 精神障害者グループホームと地域」というタイトルで、実際にグループホームで生活をしている精神障がいのある方にインタビューし、その方たちの生活場面やそれぞれの想いを集めた内容になっている。

映画の中には、精神障がいのある方が生活するためのグループホーム建設を巡って、地域住民からの反対運動が起きているシーンもあった。

法人が地域の方へ説明会を開催し、理解を促しているが、地域の方からは「私たちの平和が無くなる」「罪を犯しても裁けない人を地域に入れるのか」「土地の価値が下がる」という心無い声も多く飛び交っていたのが印象的だった。施設の建設と地域住民から起こる反対運動を「施設コンフリクト」というようで、この映画は、精神障がいのある方たちの実態を知ってもらい、地域の方が誤解している点を払拭するための啓発として作成されたとのことでした。

この映画を見て、インクルージョンふじさわを掲げ、障がいのある方が「地域で生活をするためには」「知ってもらうには」と考えることは多くあれど、地域の方がどのように思っているかということに目を向ける機会はあまり多くなかったことを感じた。今回の映画ではかなり過激な言葉が飛び交っていたが、実際に障がいのある方と接する機会のない方からすれば、テレビのニュースで流れる事件などからネガティブな印象を持たれる方も多くいることが分かった。

地域に出るために、障がいのある方を知ってもらうことは大切だが、それと同じくらい、地域がどのように思っているか、どう思われるか。ということを考えることの重要性を知る良い機会となった。