日記
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施設長・課長日記
『お言葉をいただいておもう』 ( みらい社 / 課長 大澤 健二 )
さて、「むじょう」という言葉から、みなさん何を想像しますか?
先日、ある方から「むじょう」について、お話をいただきました。
「無上・無情・無常」と無の次の漢字が一文字違う事で意味が変わります。もちろん、他にも同じように、一文字違いで意味や用途の変わる漢字や言葉は多くありますが。
私がいただいた言葉は、「無常」でした。
「命は儚いものである。あたり前は"つね"ではないからこそ、今は尊いもの。」
重みのある言葉でした。
無常を深く意識し、言葉の意味合いを理解しようとすると、社会福祉法人 藤沢育成会が取り組む "あたりまえの日常を見直す"は、とても重要であり、私個人で捉えた時、成長していくためにも努めて励む行動だということを改めて認識する機会となり、日常をただただ過ごすのではなく、見えるもの見えないもの、ひとつひとつの行動や景色、出来事などに心を留め考えらえるよう精進していきたいと思いました。
みなさんもぜひ一度、無常について言葉の意味に触れてみて下さい。
「突如現れた影絵」 ( 湘南あおぞら・アポロ / 課長 石川大助 )
紅葉した葉がすっかりと落葉して道端に色を添えて冬の季節を感じる。
だがしかし、この季節は朝布団から出るのがつらくなって朝の支度にとりかかるのがちょいと時間がかかってしまう。新型コロナも随分と感染者数も少なくなってきているが、新たな変異株も静かに、そして確かに存在をあらわにしてきている事が心配になってしまう。
今年の夏に二重の虹を見て以来、通勤時に空を見上げる事が多くなって嬉しい気づきにつながった。
藤沢市役所に近い場所に「若尾山公園」という公園がある。
そこの中央辺りに大きなイチョウの木が1本あり季節ごとに緑や黄色と葉の色合いを変え、秋になると銀杏の実をつけている。
そのイチョウのすぐ横には、デザインの変わった街灯があるのだが、夜のなると放射状の光と影を地面に映し出しながら、隣のイチョウをライトアップしてなんとも絵になるのが好きでそこを通ることが常になっている。
街灯の光はイチョウの木だけではなく周囲の木々も照らしている。
いつもならいい雰囲気だと思いながら公園内を通りすぎるのだが、その日は公園の外周の沿った道を歩いていた。ふと公園の外のマンションの壁面に木々の影を大きく映し出されている事に気づいた。街灯の光が木々を照らし見上げる程大きなスクリーンになって、巨大な壁面アートを見ているかの様で、白、グレー、黒の影に感動!!
どこか懐かしさ + 突然現れた驚きに不思議さも感じ、毎日通っていたのに何で気づかなかったのか、、、。手で犬をつくって映し出せたら面白いかも考えてしまう、、、。
一旦そこに気づくと辺りの影を探してしまう。ハローワークの壁は?奥の建物は?公園の遊具は?気づけばぼんやりと周囲に影が映っている。夜しか見せないその風景が、毎日をちょっと興味と楽しみに変えていく。そして、他の道でもそんな風景があるのでは!と興味を広げてくれた。
その公園の木々は背丈が高いものが多く何十年とここにあるようで時間を感じる。イチョウの様な落葉樹と常緑樹もあり、桜も植えられ小さな公園だが季節ごとの楽しみ方ができて気に入っている。
話は違うが、最近もっぱらワクワク待ち遠しいものがある。私の住む町の大きな公園に「大王松」という品種の直径15㎝以上の松ぼっくりをつける松があり、12月頃に実を落とすらしく、何度も見に行くがいまだ落ちておらず!
その度に「なんで落ちないの!見えてるのに~~」と悔しい思いをする日々が続いている。競争率が激しいのかもしれないが、、、。手に取ったら何処に飾る?と息子と話しながらワクワクしている。
講座参加 ( 相談支援プラザ / 課長 一戸 香織 )
冷気が身に染みる朝を迎え、今年もあと数日...慌ただしさを感じる頃となりました。
私の住む六会地区では毎月2回、回覧板がまわって来ます。
コロナ禍前に比べると、市民向け講座の数は少なくなった様に感じますが、
ちょっと慌ただしい師走の頃だからこそ、
地区で開催される講座に参加して、「自分時間を大切にしたい」と思い、
1人参加で申し込みました。
申込時、「多数のため抽選となります」と説明を受けました。
今回は無理かなぁと思っていたら、
後日「抽選の結果、当たりました‼」と連絡を頂きました。
「当たりました」と言う言葉は、思った以上に嬉しく、
感染予防のため人数制限や検温、マスク着用との事でしたが、
申し込んで良かったと思いました。当日の講座がますます楽しみです。
毎年この時期ならではの開催される講座があります。
六会地区に古くから伝わる「しめ飾りづくり」の伝承講座で、
新田しめ縄の会・ゆめクラブ六会地区連合会の方々を講師に迎えて
参加者一人一人がお正月のしめ飾りを作ります。
地区団体の「むつ愛プロジェクト」が丹精込めて育てた稲を使用します。
この講座も申込んで、当選したなら、
自分手づくりのしめ飾りを玄関に是非飾りたいと思います。
市民向け講座のお誘いチラシは、回覧板で配られたり、
市民センターの一角などに置いてあります。
リモート参加の講座もあり、様々な参加方法があります。
自分に合った講座を見つけるのも良いですね。
地域の方々とふれあいつつ、
ちょっとした発見・気付きに繋がるきっかけになると思います。
冬の訪れを感じる故郷の味!
渋柿のヘタに焼酎を付け袋中に入れ密閉します。
1週間ほどで渋が抜けて、何とも言えない美味しさの柿になります。
『唾つけておけば治る・・・』 ( 湘南だいち・湘南ジョイフル・法人事務局 / 課長 宗像喜孝 )
「○○の秋」、皆さんはどのような秋を楽しまれていますか?自分は30代を迎えたころから、「紅葉の秋」を楽しめるようになってきました。この時期特有の澄んだ真っ青な秋晴れの空と、赤や黄色に色づき紅葉した木々のコントラストが好きで、たまにはボーっと景色を眺め、自然から癒しを得ています。近場で言うと、藤沢駅周辺では、ハローワークの前の「若尾山公園」にある大きなイチョウの木がお勧めです。
さて、これからお伝えするのは幼いころに経験した出来事のお話です。学齢期にあがる前の幼い頃、家族で家の近くの公園で遊んでいた時、おもむろに母が、自身が転んでひざを擦りむいて出来た傷口に「こんなの唾つけておけば治る」と、唾をつけた指で傷口をスリスリと塗ることがありました。最近の研究で、唾には一定の傷口を回復させる機能があるとの論文が発表されたようですが、もちろん当時の自分にはそんな知識はありません。母としては、何気なく言ったことだったかもしれませんが、それ以後大人になってしばらく過ぎるまで、人の唾液に特別な意識が働き、人が口を付けた食べ物を食べることや、またそのような場面を目の当たりにすると具合が悪くなることがあり、そのような場面が苦手になってしまいました。今でも幼いころのその時の光景をはっきりと覚えており、思い返すと鳥肌が立ちます。それから家族にも公にすることなく、こっそりとそのような場面を避けながら過ごしてきましたが、年齢を重ねるごとに少しずつ気にならなくなり、現在は徐々に克服しつつあります。今では、お正月の笑い話として家族に話せるまでになりました。個人的には、家庭で子育てした経験が、克服できた要因だと思っています。
幼い頃の人間の記憶・経験は、その後の人生に大きく影響を与えます。人の記憶や経験は、他人が見た目ではかることが難しいため、他人が知るためには本人や周囲の人から情報を収集する必要があります。支援の場においても、その方の障害特性の理解だけでなく、生い立ち、過去の経験、背景等を意識して支援していきたいと思います。
(写真)数年ぶりに高尾山の登山に家族で行ってきました。
呼称(湘南セシリア / 課長 小野田智司)
障害福祉の分野では、利用者の方のお名前をお呼びするときは
"さん付け"としております。
私は職場での意識もあり、
家庭でも子どもに対し"さん付け"が多いです。
また、姉妹なのですが
上の子に対して
「お姉さん」とは呼ばないようにしています。
特に注意をする時等はなおさらです。
そこには「お姉さん」だから
我慢しなくちゃいけないってことを
減らしたい等と考えるからです。
でも姉妹を比較するような場面があるので
その時は「小学1年生」などの
姉妹ではない基準を設けるようにしています。
ある日、妹が姉に対して
「姉姉(ねぇねぇ)」って呼ぶようになりました。
それに姉も素直に応じています。
親としては呼称についてそれなりの考えがあるのですが
姉も妹も「姉姉(ねぇねぇ)」に心地よさをもっているようです。
確かに「姉」であり、
妹は「姉」を「お姉さん」と呼べるのだから...
そういえば私自身も妹に「お兄ちゃん」と
声を掛けられ、何かをねだられるとき
それはそれでうれしかったことを思い出します。
子どもを"さん付け"で呼ぶことは私の考えであり、
子どもの考えも大事にしたいものだなぁと
考えるようになりました。
そんなことを考えているとき、
子どもを支援している職員と次のようなやりとりがありました。
小学校高学年の女の子が職員に"ちゃん付け"で
呼んでほしいと、相談があったとのこと。
職員は高学年であり"さん付け"のこともあるので、
ちょっと考えて...
始めの会などのみんなの前では「○○さん」として
一緒に遊んだりするときは「○○ちゃん」って呼ぶことを
提案することで、納得し笑顔になることが出来たとのことです。
そうだよなぁ
"さん付け"は社会生活では必要なものなので
年齢に合わせて、慣れてほしいものではありますが
誰に どう呼ばれたい かは自分の中にあるのものです。
公の場と私的な場
それぞれの呼び名があることは当たり前の日常ですね。
今日から利用者の方に
どう呼ばれたいかを確認し
実行することは難しいと思います。
"さん付け"という基本のルールを
画一的な捉え方だけにならないよう、
利用者の心に寄り添いながら調整をしていくことも
大事なことだと考えます。
自分の名前を呼ばれるうれしさは
大事にしたいものですね。
ただ「どう呼びたいか」ではなく、
「どう呼ばれたいか」なので
家族や友人ではない私たち職員は
安易に判断はせずに
十分に意識する必要がありますね。
■表紙の写真:
10月上旬 オンライン研修後 湘南あおぞらからの夕暮れ
▲藤沢育成会が県より受託する
強度行動障害支援者養成研修【実践研修】の様子です。
オンラインで行いました。
年明け2月にも2回目を実施予定です。
強度行動障害の状況にある方が、
もっと安心して生活がおくれるよう
支援者を増やしていきます。
「味噌づくり・醤油づくり」 ( よし介工芸館・アートスペースわかくさ / 儀保 治男 )
今年の5月、散歩中に、「糀」と書かれた看板のある建物を見つけました。その建物はログハウス風の作りで、興味津々で覗いてみると、手作りの味噌づくりと醤油づくりが出来るお店でした。
後日、予約をして味噌づくりを体験しました。材料はお店側で準備をしてくれたので、詰める容器だけを持って行きました。お店の方の説明を受けた後、材料を混ぜ合わせていく作業に取り掛かりました。最初に米糀と塩を混ぜ、その後大豆を入れてすりつぶすように混ぜ、容器に詰めていくという簡単な工程でしたが、ポイントは、詰めた味噌に空気が入らないように詰めるように言われ、圧をかけながら詰める作業を行いました。すべてを混ぜた後、お店の方が、「糀の力で、手がすべすべになっていますよ」と言われたので、手を洗ってみると、とてもすべすべになっていました。
容器に詰めた味噌は、自宅で3ヶ月程常温保管をすると、発酵をしてとても美味しい味噌になりました。普段の料理で使っていくと在庫が少なくなってきたので、第2弾の味噌づくりを9月に行ってきました。発酵のタイミングなども計算しながら、切れ目なく手作り味噌を楽しんでいきたいと思います。
そして11月には、醤油づくりに挑戦しました。醤油も基本味噌づくりと同じ材料で、米糀と塩、大豆を混ぜて、そこに水を加えることで醤油になるそうです。これから3ヶ月程保管しますが、味噌と違って少し手をかけてあげる必要があり、一週間に一度混ぜる作業が大事とのことでした。今度のお正月には、手作り醤油を楽しめそうです。