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施設長・課長日記
波多江式インディアン的福祉論!? ⑰ (サービスセンターぱる ・ 湘南ゆうき村 / 副所長 波多江 努)
今日は死ぬのにもってこいの日だ。
生きているものすべてが、わたしと呼吸を合わせている。
すべての声が、わたしの中で合唱している。
すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た。
あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去って行った。
今日は死ぬのにもってこいの日だ。
わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。
わたしの畑は、もう耕されることはない。
わたしの家は、笑い声に満ちあふれている。
子どもたちは、うちに帰ってきた。
そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ。
私がインディアンを好きになったきっかけの詩です。初めて読んだときは、特に心の動きはなく、「死ぬのにもってこいの日」という言葉に引っ掛かりを感じていただけでした。(また、私の余命が残り少ないとか、人生の岐路に立たされているとか、そういうことは一切ありません。)
自然と共に生き、自分も環境の一部であることや周囲のものに敬いを持ち、今日の自分は周りのおかげと感謝することの大切さを理解しました。
そして亡き父や兄、特別な友人、仕事を通じて知り合った方々、その人たちの「生きざま」から「死ぬことは相手の心に生きること」ということも教わりました。
多くの出来事から学ませてもらった今だからこそ、この詩の魅力が何となくわかる気がするのです。
繰り返しになりますが、また、私の余命が残り少ないとか、人生の岐路に立たされているとか、そういうことは一切ありません。
友人からの注文を受け、久々に長財布を作りました。
「旬を感じる」 ( 湘南ゆうき村 ・ 湘南だいち ・ 湘南ジョイフル / 施設長 三嶌 悟 )
秋の気配がより一層深まり、緊急事態宣言解除から1か月以上が経過しました。
先日、季節感を感じたいと思い、三浦半島の方へ「みかん狩り」に行ってきました。
三浦と言えば、「三浦大根」を代表するように野菜のイメージが強いですが、みかんやスイカの生産も盛んです。11月30日までの期間限定だったので、久しぶりに外出をしました。
渋滞もなく、広いみかん園でしたので、人はいるもののまばらでした。枝からハサミで切ってみかんを刈り食べたときには、外出した喜びとふと以前湘南ゆうき村で行っていた1泊旅行時の「みかん狩り」を思い出しました。ほんの数時間の出来事でしたが、秋を満喫しました。甘いみかんで美味しかったです!!
食欲の秋や紅葉シーズンなど、世の中や仕事においても、「旬」があるかと思います。10月には、「湘南ジョイフル」という新しい施設がオープンするなど、私の中では色々なことが「旬」になっています。この「旬」を取りこぼさないように努力していきたいものです。
2021年もあと少し、体調にも気をつけながら進み続けます。
踏み出す勇気 ( サービスセンターぱる 所長 / 事務局長 石川 歩 )
新型コロナウイルスもだいぶ落ち着いてきましたが、まだまだ自粛が必要な状況ですね。
自粛で増えた「おうち時間」を楽しむ意味もあり、先日、自分の誕生日に電気圧力鍋を購入してもらい、週末の食事作りに活用しています。
これがとても便利で、基本的には食材を切って入れてスイッチを押すだけ。火加減の調節も時間の管理も不要になり、家事の負担軽減につながりました。
事務局長を務めておりパソコン等機械関係の扱いを担当していることから、先進技術好きな印象を持たれがちですが、実は私は頭が固く楽をすることを後ろめたく感じるところもあり、こういった便利家電のようなものを避けていました。
いざ使ってみると多くが便利で心地よく、私に足りなかったのは一歩を踏み出す勇気だったのだなと実感しています。最近ではドラム式洗濯機やBluetooth機器など、コロナ下で過ごす時間が増えた室内の充実を図っています。
福祉事業所でもPC関連の技術導入のみならず、ロボットの活用やICT化なども推奨されるようになってきました。
新しい試みを怖がらず、必要なものを必要な場所で活用出来るよう、頭を柔らかくして検討していきたいものです。
「アフターザレイン」 ( 湘南セシリア・みらい社 / 施設長 石塚 和美 )
コロナウイルスによる緊急事態宣言が9月末に解除となり特別措置法による時短要請も10月24日をもって解除となりました。
感染対策を行いながら、少しずつ元の生活に戻れるよう、このコロナ禍で得た新しい生活様式も取り入れながらこれからの季節を迎えたいと思います。
前回の施設長・課長日記を書いてから4か月。仕事や家事をする日常、家族や親しい仲間を想いながら過ごした日々。なかなか会えない中で、日々の電話やメール、ライン。そして手紙やはがきを出すことも増えました。以前よりも頻繁に連絡を取り合うようになった方々も多いのではないでしょうか。私も、数十年ぶりにいとこから電話があり、びっくりしたと同時に、連絡を取り合うことができるようになりうれしく思った出来事でした。
半面、体調不良時や、そばにいてあげたいときに、すぐに駆け付けることができずにもどかしく思うときもありました。
忙しくしているときには感じないさみしい気持ちやどうにもできない想いを、秋風がセンチメンタルな気持ちにさせます。これは「秋うつ」かなあと思いネットで調べたところ、「日光を浴びてセロトニンの分泌を促す生活を習慣づけましょう」とアドバイスがありました。
この頃は、週末も忙しくなかなか散歩もしていなかったと反省し、散歩を再開、秋風も心地よく感じるようになりました。これからは、自粛していたお寺巡りも御朱印帳を持って出掛けたいと、久しぶりに気持ちがワクワクしています。
お互いを案じながら、まずは自分が元気でいることが一番大事だと感じた秋の日でした。
写真は我が家の庭の数珠。そして家庭菜園にやってきたアゲハチョウの幼虫。彼らにもたくさん元気をもらいました。
「誕生日」 ( よし介工芸館・アートスペースわかくさ / 施設長 妹尾 貢 )
10月は、誕生日でした。私は丑年なので、今年は年男です。年齢がわかってしまいますね。
誕生日は何がめでたいといって、この世に生を享けたことのありがたさを思い出させてくれることだと思います。誕生日プレゼント、などという習慣がありますが、命以上のプレゼントなど、あるでしょうか?
生まれたのは東京の新宿区だそうですが、さすがに憶えていません。
幼少期は中野区、小中高と練馬区で暮らしました。その後、1年だけ埼玉県所沢市にいましたが、湘南あおぞらが出来た1998年に藤沢育成会に就職し、その時に藤沢に引っ越してきて、今年で23年になります。
藤沢でのくらしが、人生の半分を超えるのも、もうすぐです。ここ数年は帰っていませんが、いまでも両親が暮らす練馬にかえると、毎年いろんなことが変わってしまい、よくわからなくなってきていて、もう、藤沢が自分の心の故郷(ホームタウン)といってもだれにも怒られないでしょう。
大人になってからのほうが世界が広がるので、東京に住んでいたころよりも、色々な人に出会い、その人たちからたくさんのことを学びました。
ほとんどが仕事の関係で知り合いましたが、なかには、趣味の世界で出会った人もいます。
釣った魚を持っていくと料理してお客さんに出してくれるお店のマスターがいました。マスターは漁師と店主の二足のわらじで、海のことをよく知っていて、釣りから帰ってくると、必ずマスターのところに寄って、いろんな話をしました。
いまはもう、あちらの世界に行ってしまったので、会うことも、話すこともかないませんが、まだ聞きたいこと、話したいことがたくさんあり、今度会った時には聞いてみようと、ついつい考えては、「そうだった、もう会えないのだった」と思い出します。
それ以外にも、この藤沢や海で出会った大切な人々がたくさんいて、いまはほとんど会う機会がない人もいますが、誕生日にそんな人たちのことを思い出し、暖かい気持ちになりました。
人を動かす原動力は、だれかのことを思うところから始まるのだな、とあらためて感じた誕生日でした。
↓いまは、自分で捌いて食べるしかないので、たくさん釣らないようにしています。
「バレンティーノロッシ」(相談支援プラザ / 所長 伏見康一)
最近、仕事でバイクに乗るようになった。駐車や渋滞の難を避けられるので重宝している。
実はこれまでバイク運転はしたことがなかった。専用免許もないので乗れるのはバイクといっても原付のみ。そんな私だが、バイクレースを見るのは昔から好きだった。
今から30年くらい前、日本人ライダーが世界を席巻し、活躍する姿を見ていた。だがその並居る日本人ライダー達を颯爽と追い抜く怪童が現れた。その怪童の名はバレンティーノロッシ。現在「生きる伝説」と称されるロッシだが、10代で登場するやその速さと強さは突出しており憎らしいほど強い存在だった。瞬く間に世界チャンピオンとなり、絶対王者として君臨し続けた。
ロッシは「ノリック」ファンを高言していた。「ノリック」とはライダー故阿部典史の通称である。日本人ライダーの中でも唯一無二な存在だったノリックだが突然に夭逝してしまう。ノリックの死後ロッシは自車に「ロッシふみ」(ロッシ+のりふみ)と記しノリックのスプリットを継承したのだった。「憎き存在」から「尊ぶ存在」に、いつの間にか自分の想いもロッシに投影していた。
そのロッシが今年で引退することとなった。ここ数年の実績からすると避けられない現実かもしれない。飛びぬけてベテラン層であることに加え、若手の台頭、度重なるルール改訂、ダメ押しはコロナ禍のレース事情だった。ただ底抜けにバイクを愛し、常に闘争心ある雄姿が見られなくなるのは寂しい。残りあと数レースをしっかりと見届けたい。
私が出来ることは安全運転に徹し、どなたにも迷惑をかけないこと。バイクという存在に感謝をしながらグリップを握りたいと思っている。
*写真はトップ3(当時)と後方に写り込む拙姿。