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施設長・課長日記
踏み出す勇気 ( サービスセンターぱる 所長 / 事務局長 石川 歩 )
新型コロナウイルスもだいぶ落ち着いてきましたが、まだまだ自粛が必要な状況ですね。
自粛で増えた「おうち時間」を楽しむ意味もあり、先日、自分の誕生日に電気圧力鍋を購入してもらい、週末の食事作りに活用しています。
これがとても便利で、基本的には食材を切って入れてスイッチを押すだけ。火加減の調節も時間の管理も不要になり、家事の負担軽減につながりました。
事務局長を務めておりパソコン等機械関係の扱いを担当していることから、先進技術好きな印象を持たれがちですが、実は私は頭が固く楽をすることを後ろめたく感じるところもあり、こういった便利家電のようなものを避けていました。
いざ使ってみると多くが便利で心地よく、私に足りなかったのは一歩を踏み出す勇気だったのだなと実感しています。最近ではドラム式洗濯機やBluetooth機器など、コロナ下で過ごす時間が増えた室内の充実を図っています。
福祉事業所でもPC関連の技術導入のみならず、ロボットの活用やICT化なども推奨されるようになってきました。
新しい試みを怖がらず、必要なものを必要な場所で活用出来るよう、頭を柔らかくして検討していきたいものです。
「アフターザレイン」 ( 湘南セシリア・みらい社 / 施設長 石塚 和美 )
コロナウイルスによる緊急事態宣言が9月末に解除となり特別措置法による時短要請も10月24日をもって解除となりました。
感染対策を行いながら、少しずつ元の生活に戻れるよう、このコロナ禍で得た新しい生活様式も取り入れながらこれからの季節を迎えたいと思います。
前回の施設長・課長日記を書いてから4か月。仕事や家事をする日常、家族や親しい仲間を想いながら過ごした日々。なかなか会えない中で、日々の電話やメール、ライン。そして手紙やはがきを出すことも増えました。以前よりも頻繁に連絡を取り合うようになった方々も多いのではないでしょうか。私も、数十年ぶりにいとこから電話があり、びっくりしたと同時に、連絡を取り合うことができるようになりうれしく思った出来事でした。
半面、体調不良時や、そばにいてあげたいときに、すぐに駆け付けることができずにもどかしく思うときもありました。
忙しくしているときには感じないさみしい気持ちやどうにもできない想いを、秋風がセンチメンタルな気持ちにさせます。これは「秋うつ」かなあと思いネットで調べたところ、「日光を浴びてセロトニンの分泌を促す生活を習慣づけましょう」とアドバイスがありました。
この頃は、週末も忙しくなかなか散歩もしていなかったと反省し、散歩を再開、秋風も心地よく感じるようになりました。これからは、自粛していたお寺巡りも御朱印帳を持って出掛けたいと、久しぶりに気持ちがワクワクしています。
お互いを案じながら、まずは自分が元気でいることが一番大事だと感じた秋の日でした。
写真は我が家の庭の数珠。そして家庭菜園にやってきたアゲハチョウの幼虫。彼らにもたくさん元気をもらいました。
「誕生日」 ( よし介工芸館・アートスペースわかくさ / 施設長 妹尾 貢 )
10月は、誕生日でした。私は丑年なので、今年は年男です。年齢がわかってしまいますね。
誕生日は何がめでたいといって、この世に生を享けたことのありがたさを思い出させてくれることだと思います。誕生日プレゼント、などという習慣がありますが、命以上のプレゼントなど、あるでしょうか?
生まれたのは東京の新宿区だそうですが、さすがに憶えていません。
幼少期は中野区、小中高と練馬区で暮らしました。その後、1年だけ埼玉県所沢市にいましたが、湘南あおぞらが出来た1998年に藤沢育成会に就職し、その時に藤沢に引っ越してきて、今年で23年になります。
藤沢でのくらしが、人生の半分を超えるのも、もうすぐです。ここ数年は帰っていませんが、いまでも両親が暮らす練馬にかえると、毎年いろんなことが変わってしまい、よくわからなくなってきていて、もう、藤沢が自分の心の故郷(ホームタウン)といってもだれにも怒られないでしょう。
大人になってからのほうが世界が広がるので、東京に住んでいたころよりも、色々な人に出会い、その人たちからたくさんのことを学びました。
ほとんどが仕事の関係で知り合いましたが、なかには、趣味の世界で出会った人もいます。
釣った魚を持っていくと料理してお客さんに出してくれるお店のマスターがいました。マスターは漁師と店主の二足のわらじで、海のことをよく知っていて、釣りから帰ってくると、必ずマスターのところに寄って、いろんな話をしました。
いまはもう、あちらの世界に行ってしまったので、会うことも、話すこともかないませんが、まだ聞きたいこと、話したいことがたくさんあり、今度会った時には聞いてみようと、ついつい考えては、「そうだった、もう会えないのだった」と思い出します。
それ以外にも、この藤沢や海で出会った大切な人々がたくさんいて、いまはほとんど会う機会がない人もいますが、誕生日にそんな人たちのことを思い出し、暖かい気持ちになりました。
人を動かす原動力は、だれかのことを思うところから始まるのだな、とあらためて感じた誕生日でした。
↓いまは、自分で捌いて食べるしかないので、たくさん釣らないようにしています。
「バレンティーノロッシ」(相談支援プラザ / 所長 伏見康一)
最近、仕事でバイクに乗るようになった。駐車や渋滞の難を避けられるので重宝している。
実はこれまでバイク運転はしたことがなかった。専用免許もないので乗れるのはバイクといっても原付のみ。そんな私だが、バイクレースを見るのは昔から好きだった。
今から30年くらい前、日本人ライダーが世界を席巻し、活躍する姿を見ていた。だがその並居る日本人ライダー達を颯爽と追い抜く怪童が現れた。その怪童の名はバレンティーノロッシ。現在「生きる伝説」と称されるロッシだが、10代で登場するやその速さと強さは突出しており憎らしいほど強い存在だった。瞬く間に世界チャンピオンとなり、絶対王者として君臨し続けた。
ロッシは「ノリック」ファンを高言していた。「ノリック」とはライダー故阿部典史の通称である。日本人ライダーの中でも唯一無二な存在だったノリックだが突然に夭逝してしまう。ノリックの死後ロッシは自車に「ロッシふみ」(ロッシ+のりふみ)と記しノリックのスプリットを継承したのだった。「憎き存在」から「尊ぶ存在」に、いつの間にか自分の想いもロッシに投影していた。
そのロッシが今年で引退することとなった。ここ数年の実績からすると避けられない現実かもしれない。飛びぬけてベテラン層であることに加え、若手の台頭、度重なるルール改訂、ダメ押しはコロナ禍のレース事情だった。ただ底抜けにバイクを愛し、常に闘争心ある雄姿が見られなくなるのは寂しい。残りあと数レースをしっかりと見届けたい。
私が出来ることは安全運転に徹し、どなたにも迷惑をかけないこと。バイクという存在に感謝をしながらグリップを握りたいと思っている。
*写真はトップ3(当時)と後方に写り込む拙姿。
第53回『言葉はコミュニケーションにとって万能の道具か?』
孫引きになるが、生物学者のマーク・パーゲルによれば「世界中で最も多くの言語を抱える地域は、人口密度の高い地域」と言うことである。
「パプアニューギニアに行くと、一つの島の中で八〇〇から一〇〇〇という数の異なる自然言語を見つけることができます。~中略~どうやら言語の使用目的は、協力だけにとどまらず、集団の輪を作り出したり、アイデンティティの確立と自分たちの情報・知枝・技術の盗用保護をしたりと多岐にわたります。」とも言っている。
人口密度が高くなると言語の数が増えるというのは、単一言語圏に暮らす我々にとっては矛盾することのように感じる。どうやら言葉というものは情報の伝達に役立っているだけではないと言うことがわかる。
外国人と仲良くなりたいと思ってその国の言葉を学ぶ気持ちと、一つの共同体(集団)が形成されると逆に村八分と言う排除の論理が働いて、そこから言葉が細分化するように働くと言うのは、よく考えてみれば言語の方には罪はなくて人の心の方に問題があるのだろう。
そう言えば、専門用語や業界用語というのもその特定の業種でしか通じないし、若者の言葉などは今の私には聞いていてもさっぱりわからない。言葉はコミュニケーションを良くする手段だけに使われるのではなくそれを阻害する働きもあると言うことらしい。
人間というものが、相当、厄介な生き物に思えて来た。
映像の温度 (湘南ゆうき村 課長 高橋 羽苗)
今年度の「いんくるウィーク」の企画として、地域の方やお世話になっている方々にも動画出演のご協力をお願いしています。
各事業所でお世話になっている方の撮影をさせていただくのですが、技術がないので、とても難しい...。コロナ禍で動画を使う機会は増えましたが、私自身慣れないこともあり、これまではその場にいてもなんとなく居心地の悪さを感じていました。
それでも今回の撮影は、ご出演いただく方にも楽しんでもらえるよう一緒に楽しむ!そしてその雰囲気を伝えることを目標に...。
慣れない撮影者ではありますが、それでも一緒に同じ時間を共有すると、出演していただく側も周りの方も一緒に盛り上げてくださり、皆さんのとってもいい表情を撮らせていただけているように思います。
動画の依頼やチェックをしていると、たくさんの方のお力で私たちの日々が成り立っているんだなぁと改めてつながりを感じられる機会となりました。