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施設長・課長日記
「いただきます」(よし介工芸館・アートスペースわかくさ 施設長 妹尾 貢)
例年、お祭りやバザーで利用者さんが作った製品を販売する機会がたくさんありましたが、昨年からは、イベント関係がめっきり減ってしまいました。
そんな中、亀井野にあるJAさがみの農産物直売所「わいわい市 藤沢店」での販売が好調です。われわれは農産物ではなく、機織りのバッグや一筆箋、ポストカードやビーズアクセサリーなどを販売しています。
地域の皆さんも、外出自粛の影響か、近所を散歩して地元を見直すきっかけになったり、家庭菜園を始める人が増え、花や野菜の苗を求めてわいわい市にいらっしゃるのでしょうか。
「星に願いを」 (湘南セシリア・みらい社 施設長 石塚 和美)
2020年、コロナ禍で生活が一変しました。休校、外出の自粛。いつもと違う日常にとまどう1年でした。その中で、コロナ対策をしながら何ができるか。仕事でも、日常の生活でも「できない」ことより、「今この環境でできること」を考えて行動した一年だったと思います。
職場では、感染対策を徹底し、支援の中で利用者が楽しめる企画や、従来どおりの活動をどのようにしたらおこなえるか、工夫とアイデアを凝らし実行してきました。
私生活でも、大好きな音楽をいかに楽しむか。月に一度はライブへ行っていたあの頃。コロナの中で、イベントやライブ・演奏会が次々と中止となる中、演者もライブを楽しみにしていた人たちも不安な中で過ごしました。そして、「時間が過ぎるのを待つ」のではなく、「今、何ができるのか」。たくさんの演者が配信という方法で発信してくれました。あたり前だった音楽を聴くということが、新鮮で感謝の気持ちで聴く日々。音楽だけではなく、絵本の読み聞かせや詩の朗読なども、そこにはいないけれど同じ時間を共有している人たちがいることを感じる時間がもてました。
昨年から、自転車通勤となり、風や季節を感じることも多くなりました。この頃は、満月が時期により「スーパームーン」と呼ばれ、季節により呼び名も変わるくらい注目されています。流星群もよく報道されるようになりました。仕事の帰り道は、夜空を見ながら今日一日の反省や楽しかったころを思う時間でもあります。
この原稿を書いているのは7月7日。七夕。我が家には七夕飾りは飾っていませんが、空を見上げて願いを唱えました。七夕の日、あなたは何を願いましたか。
「予防の視点」(相談支援プラザ 所長 伏見康一)
通勤の途中、消防署と警察署の前を通る。掲示版の「昨日の管内火災件数」「昨日の管内事故・死亡者数」につい目が行ってしまう。藤沢北警察管内の交通事故死亡者数ゼロ日数は連続80日となるそうだ。「0(ゼロ)を0(ゼロ)のままにする」ことに日夜取り組まれている方々のおかげで平穏な生活が送れていることに頭の下がる思いだ。
この「0を0のままにする」考えが、障がい福祉サービスでは思いのほか浸透しにくい印象がある。介護保険等の高齢者介護サービスでは「介護予防」の視点があり、要介護状態になる前から「予め防いでおく」考えがあり、相応の事業なども充実している。地域包括支援センターはその中心的役割として位置付けられている。
では、障がい福祉サービスでは「何を」「何のために」予め防ぐのか。ICFで位置付けられる環境因子・個人因子の「背景因子」と心身機能・身体構造・活動・参加の「生活機能」の関係性のエラーが「障がい」だとすれば、それはすなわち「二次障がい」がその対象となる。つまり二次障がいの予測・想定こそ重要となる。
予防の予測・想定はいわば「ネガティブ発想法」。これが、昨今の流行的アセスメント手法「ストレングス視点」と背反してしまう。本人の強み・いいところを伸ばす、という考え方がいつの間にかネガティブな見方はしない、悪いところは見付けない、との誤認になってしまってはいないか。ストレングスを含めた膨大な情報を得るには制約などない方が収集も分析もし易いはずと思案する。
私たちが取り組むべき予防的支援や緊急対応は予測と想定が不可欠であるが、最も大事なのはその専門的担当部署と者の配置だと思う。予防的支援も緊急対応も既存資源の努力と根性だけに委ねていてはいけない。法人の支援テーマ「当たり前の日常を見直す」ために「0を0のままにする」という予防の考えも取り入れていきたいと思っている。
第52回「ありがとう日記」 (湘南あおぞら 施設長 倉重 達也)
先日、40年前に一緒に仕事をしたことがあるご婦人と久しぶりに会う機会がありました。ひと通り近況報告が済んだ後に、その方が「私は、今、ありがとう日記を書いているの」という話をしだしました。
今までは、その日にあった出来事だけを書いていたとのことですが、それだけでは読み返しても詰まらないので、ある日から、その日に感じた「ありがとう」を日記に書くようにしたとのことです。
そうすると次々と良いことばかりが起こるようになったとのこと。
そこで、私も「ありがとう日記」を付けてみることにしました。
某月某日 出勤時にエレベーターで上の階の子と一緒になった。やんちゃな子だったのにすっかり礼儀正しい中学生になっていた。子供の成長は著しい。今日は一日清々しい気持ちで過ごすことができた。ありがとう!
某月某日 体調を崩し、何年かぶりに3日間も仕事を休んだ。その間、これと言った緊急の連絡もなくゆっくり休むことができた。職員にありがとう!
某月某日 散歩していたら、ビルの植え込みに紫陽花の花が綺麗に咲いているのが目に留まった。雨に打たれたらもっと美しく映えたかも知れない。ジメジメした嫌な季節に花を添える紫陽花にありがとう!
某月某日 「今日もまた胸に痛みあり 死ぬならば ふるさとに行きて死なむと思ふ」
啄木の歌に今のコロナ禍を思い合せ、何時の世も変わりなしと今の身を慰める。昔日の人にありがとう!
「通勤途中の顔見知り」(湘南ゆうき村・アポロ 課長 高橋羽苗)
もうずいぶん前ですが、ラーメン屋さんの店員さんを見て、知り合いだと思い「あ」と声をかけました。でも誰だったかな...相手は怪訝な顔。なんとなくあやふやにしてラーメンを食べて店を出たのですが、いつもと雰囲気も違ったなぁなどと考えていると、相手は毎日同じ電車に乗る女子高生で、相手の反応ももっともだなと後から苦笑いをしたことがあります。
毎日の通勤で、いつも同じ場所で会う人や、すれ違う人がいて、なんとなく顔見知りになってきます。いつもと違う場所で会うと今日はちょっと遅い...?と目安にしたり、相手が遅いと勝手に心配したりと、その人たちの生活や背景を想像しながら通勤しています。相手が、いつもと違う格好だったり、いつもと違う人といたりすると、妄想は広がるばかり...
そんな中でいつもだいたい同じ場所で私を抜き去る高校生がいます。端に寄るとなんとなく会釈をしてくれていたのですが、最近は小声で「ありがとうございまーす」と追い抜いていきます。
顔見知りとのちょっとした重なりを嬉しく感じました。
さて、最近通勤ルートを変えてみました。
「最近あの人いないな~」と思っている人がいるのか...?ちょっと気になるところです。
※写真は、湘南ゆうき村の屋上から通勤ルート越しに見える富士山。
「父からのエール」 (サービスセンターぱる 課長 鈴木保志)
この4月から中学生になった長女から「剣道部に入った。」との報告があった。普段、暇があればイラストやアニメのキャラクター等を描いており、文科系の部活に入部するのかと思っていた。剣道?・・「鬼滅の刃」の影響か?と話を聞いてみたところ、幕末の武士「新選組」の影響を受けたようだ。
小さいころから歴史に興味を示し、図書館で借りた本を読んでいるのは知っていた。クラスに何人かは歴史を好む、とりわけ「新選組」や「三国志」等に詳しい同級生はいたものだ。自分が学生時代に一貫して興味が持てなかった教科は日本史や世界史であり、過去を知る意味や楽しさを全く理解しようともしなかった。ましてや考古学などは意味不明としか言いようのない領域・・。当然、過去があり現在、未来があるので意味がないわけがないが、当時は興味など皆無であった。偉業を成した人物が存在していなかったら、今の世の中がどうなっていたかという視点を長女に投げかけられ「そうね・・」と少し恥ずかしいおもいで共感する父親。
何にせよ新選組の思想に感銘を受けたようだが、最終的には「刀がかっこいい!」でまとめていた。確かに格好いいが、練習は格好いいとはかけ離れ地味な体力づくりに終始しているようだ。
それにしても子どもの成長は著しく、目をそらすと変化に気づくこともできない。立てかけた竹刀からは誇らしい成長と、青春そのものが放たれている。
「がんばれ!」