日記

施設長・課長日記

 彩〜いろどり〜 (サービスセンターぱる 課長/只熊 裕子)

サービスセンターぱる

来週行われる、インクルウイークの取り組みの中で、事業所紹介をする場面があります。

サービスセンターぱるのヘルパー部署では、主に電車、バスを利用しての外出の支援をしています。

取り組みの際、ある職員が考えてくれた「生活に彩"いろどり"をつける」という言葉がとても印象に残りました。

自分自身の生活の中での彩"いろどり"とはなんなのか、私の生活の中に彩はあるのか、考えさせられた言葉でした。

数か月前、ご近所さんより、しその苗を頂き、花壇に植えています。頂いた時は葉っぱが3枚ほどの小さなものでしたが、次第に大きく育ってきました。

週末になると、食べられるしそが数枚できており、どんな食べ方をしようかと、「しそレシピ」の検索をする週末が続いています。

私は料理が得意ではないため、パスタ等にすることが多いのですが。

今は、食べ方についてはほぼありきたりになってきていても、週末にむけて、しそが出来ていることが些細な楽しみとなっています。

そこで、もっとこの楽しみを増やしたいために、別の苗を探しに行きました。

色んな苗がある中、結局、すぐに食べられるレタスや、娘が楽しめるイチゴの苗を購入しました。

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生活を充実させる為に、自分がやりたいこと、家族が楽しみにしていることを取り入れていくこと。

この出来事も些細なことですが、私にとっては生活に彩を与えてくれる一部だと感じています。

生活に取り入れたいことは、他にも色々とありますが、いつか熱帯魚を飼いたい、と小さな夢を持ち続けています。

生活に彩をつけることは、外出だけでなく、何かを行ったり等、人それぞれ違ってくると思います。私たちも皆様の生活に少しでも多くの彩"いろどり"をつける支援を一緒に過ごしながら、多方面から行っていきたいと思っています。

なす(湘南ゆうき村・アポロ 課長 高橋 羽苗)

アポロ
湘南ゆうき村

今年の夏は、湘南ゆうき村の畑でたくさんのなすを収穫しました。

なすの苗を植える時、「なすはうまくいけば長い時期でたくさん楽しめる」と教えていただいていたのですが、半信半疑でのスタート。それでも、9月までの収穫本数を振り返ると1200本以上のなすを収穫しました。

今年は、雨天が続き野菜が高騰したこともあり、100円で販売していたなすは超特価!利用者さん、職員をはじめ、湘南ゆうき村に来館された方にも大好評でした。

 コロナウイルスの影響で、外出を控えていた中、畑活動は植物の強さと季節の変化を感じられる場所となりました。実がなりはじめたころには、まだ目線よりだいぶ低かった苗ですが、真夏の暑い時期には、反対側に立っている人が見えなくなるほどの大きさに。剪定では、どの枝を残すか、どの葉を落とすかと教わるものの思うようにはできず。。それでも、残した枝はすぐにぐぐっと伸びて、つやつやぱつぱつのはち切れそうな実が枝をぐっと垂らし、かごいっぱい収穫ができました。その頃には、活動としても定着して、利用者さんの収穫も切り取る箇所や収穫のサイズがだんだん揃ってきて、利用者さんから、「茄子とらないと!」と声がかかることも。涼しくなってきて、さすがに頻度は減っていますが、秋なすとして今も収穫が少しずつ続いています。

外での活動に制限があった今年の夏、できなかったこともたくさんありましたが、この夏だったからこそ盛り上がれた取り組みだったかなと思います。夏のカエルや、秋に支柱にとまるトンボも、数に「うっ...」と思いながらも季節がちゃんと動いていることを感じさせてくれました。

 ご協力いただいた皆様ありがとうございました。

懐かしい音色(サービスセンターぱる 支援課長 鈴木 保志)

サービスセンターぱる

週末、近隣を歩いていると、とあるマンションからソプラノリコーダーの音色が聴こえてきた。音色が何ともほのぼのとした気分にさせてくれる。小学生だろう、必然的にランドセルが頭に浮かぶ。ふと、自分の子どもが吹いている姿を見たことがあったかな、音楽の授業で習っているはずだが、と思う。

私が小学生の頃は、リコーダーがランドセルの端から突き出ている小学生が登下校しており、中には吹きながら歩いている子もいた。我が子に尋ねると、学校に置いたままにしている、皆そのようにしていると話す。なるほど、私の育った田舎でも、リコーダーをランドセルに突き立てて歩いている小学生はさすがにいないだろうなと思う。

            

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 年に1度は必ず帰省をしているが、いつからだろうか、夏休みなのに外で遊んでいる子どもの姿を見なくなった。自分が子どもの頃は、朝から夕方まで屋外では小学生の声が響き渡り、川沿いには自転車が並び賑わっていた。ゲームやSNSの普及による時代の変化は、地方も都会も変わりはない。今年の冬、帰省した際にはバス停に数人が並び、皆が手元のスマホを触っている光景を目にし「どこも同じだ。」と思いつつなぜか違和感を覚えた。

今の情勢を知り、時代に柔軟に対応していくことが求められる世の中ではあるが、それが義務ではなく、好奇心が原動力となる感性が自分には不足していることを知っている。バス停での違和感は、自分の乏しい感性によるものなのか、あるいは記憶に残る過去の風景によるものなのだろう。

6年生の娘にリコーダーを吹いてもらった。とても上手とは言えないが、素朴な音色がとても心地よく感じた。

セルフ・ケア ~私の場合~ (みらい社 大澤 健二)

みらい社

音楽はすばらしい。

嬉しい時、楽しい時、悲しい時、憤りを感じている時...。もちろん、そんな時に限っただけのことではありませんが、感情に合わせたように、私は音楽を聴きます。

私が聴く音楽の中で、たくさんの素晴らしいアーティストの中で別格であるのが『中島みゆき』さん。毎晩聴いていますよ。と言えるでしょう。

きっと『ヘッドライト・テールライト』『浅い眠り』『空と君の間に』『糸』という曲で知った方も少なからずいらっしゃるのではと思います。

私が初めて中島みゆきさんのCDを買ったのは、ジャケットタイトル36.5℃』

中学1年か2年だったと思います。衝撃を覚えました。

私には5歳離れた兄がいて、小学生中学年くらいから、さだまさしさんの『防人の歌』やH2O『想い出がいっぱい』、一世風靡セピア『前略、道の上より』、薬師丸ひろこさん『Wの悲劇』にワム『Freedom』にと、色々耳にする機会がありました。森昌子さんの『越冬つばめ』『立待岬』も実に良かったです。

さて、私はよく仕事帰りの車中で色々なことの振り返りをします。きっと今日も。

なかなか自分の思いや考えが伝えられないなと振り返る時には、『風の笛』『倒木の敗者復活戦』という歌がとてもとても心に響きます。たぶん、目頭がほんの少し熱くなっていると思います。だから車の中でしか聴かないのでしょう。

弱き命が虐げられたニュースを知った時は、『命の別名』『顔のない街の中で』が心にとまります。これらは、悔しみ、無力を感じた時、感じている時に選曲しています。何度も聴きます。

私のセルフ・ケアは、意識をして何か行動し、改善したり回復のためのケアをするだけではなく、『中島みゆき』さんの歌を聴き、色々と頭の中でグルグルと自問自答したり深みにはまったりとしながら、ささくれ立った心や無力感を受け入れ自然治癒されていくことがほとんどです。何かが解決したわけではないのですが。

CQ/CQ...みなさんは、どのようなセルフ・ケアしていますか?

十月桜から(湘南あおぞら 石川大助)

湘南あおぞら

先日、家の近所を息子と散歩した時に今年も開花している桜を見かけた。この時期に桜が見られるのはちょっとした楽しみになっている。

開花している花は少なく全体の1/3くらいしか咲かず、春の桜ようにぎっしりと開花

して見ごたえがあるわけではないが、春咲きとは違って控えめに咲く味わい深さを感じられるのが好きだ。

調べてみると10月~12月頃に咲く種類はいくつかあり、この桜は十月桜(ジュウガツザクラ)と呼ばれている種のようだ。他にも春と秋に2度咲く桜もあるらしい。

 今年は新型コロナの影響で夏のお祭り行事などは中止となり季節感を感じる風物詩が少なく寂しさを感じる。そんな中で今年も変わらず咲いている事に安堵感を覚えてしまう。

 桜の場所を後にして歩いていると見慣れた建物、当たり前に咲いている草花も「今年も在る」と思わせてくれる。その瞬間、気持ちが和んでいく。

ちょっと忘れてしまっていたことを思いださせてくれた気がした。

たまにはあって欲しい特別感もよいが、当たり前にある日常を大事にしたいと思わせてくれた散歩でした。

~俳句~(相談支援プラザ 課長 一戸 香織)

相談支援プラザ

先日、お孫さんが来所され「おじいちゃんから預かって来ました。俳句集を出したので読んで下さい」1冊の新しい本を手渡してくれました。

ご本人にお会いするといつも「俳句は限られた言葉で伝える、その難しさに引き込まれて数十年続けて来た。」俳句サークルで仲間と一緒に詠む楽しさを話して下さっていました。

「日々の出来事を直ぐには思い出せない事が多くなってきた。忘れない様にと思っていても中々思い出せない。いつも胸ポケットに小さなメモ帳を入れ、買い物や、病院の行き帰りなどの外出時に気になった事・その時の気持ち・見えた景色・感じたことを直ぐに書いて残している」と話されていました。

俳句には、五・七・五・の十七音の他に、句の中に季語をひとつ入れるという決まりがあります。掲載されている中で、どの句が好きかと伺うと、「本の最初に載せている句」との事でした。

『  野蕗摘む 峠越えれば 母の里  』

働きのため、家を出て、家に帰る路で思った気持ちを句にしたそうです。

最初にお会いした時に、藤沢から小田原まで「何時間も掛けて親の顔を見たさに、野を越えて歩いて行ってた頃が懐かしい、今は直ぐに電車や車で行けるが・・・。」故郷に思いを馳せながら、同郷の友人と心を弾ませ帰った事を話されていました。

この一句に込めた気持ちを思い、いくつになっても、何年経っても心寄せる故郷の場所があり、俳句に残したい思いがある事を知りました。

言葉に残す事は、感じた事を振り返り、考える時間を与えてくれると思います。言葉の持つ意味・音を大切にし、これからも様々な事に取り組んでいきたいと思います。