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施設長・課長日記
懐かしい音色(サービスセンターぱる 支援課長 鈴木 保志)
週末、近隣を歩いていると、とあるマンションからソプラノリコーダーの音色が聴こえてきた。音色が何ともほのぼのとした気分にさせてくれる。小学生だろう、必然的にランドセルが頭に浮かぶ。ふと、自分の子どもが吹いている姿を見たことがあったかな、音楽の授業で習っているはずだが、と思う。
私が小学生の頃は、リコーダーがランドセルの端から突き出ている小学生が登下校しており、中には吹きながら歩いている子もいた。我が子に尋ねると、学校に置いたままにしている、皆そのようにしていると話す。なるほど、私の育った田舎でも、リコーダーをランドセルに突き立てて歩いている小学生はさすがにいないだろうなと思う。
年に1度は必ず帰省をしているが、いつからだろうか、夏休みなのに外で遊んでいる子どもの姿を見なくなった。自分が子どもの頃は、朝から夕方まで屋外では小学生の声が響き渡り、川沿いには自転車が並び賑わっていた。ゲームやSNSの普及による時代の変化は、地方も都会も変わりはない。今年の冬、帰省した際にはバス停に数人が並び、皆が手元のスマホを触っている光景を目にし「どこも同じだ。」と思いつつなぜか違和感を覚えた。
今の情勢を知り、時代に柔軟に対応していくことが求められる世の中ではあるが、それが義務ではなく、好奇心が原動力となる感性が自分には不足していることを知っている。バス停での違和感は、自分の乏しい感性によるものなのか、あるいは記憶に残る過去の風景によるものなのだろう。
6年生の娘にリコーダーを吹いてもらった。とても上手とは言えないが、素朴な音色がとても心地よく感じた。
セルフ・ケア ~私の場合~ (みらい社 大澤 健二)
音楽はすばらしい。
嬉しい時、楽しい時、悲しい時、憤りを感じている時...。もちろん、そんな時に限っただけのことではありませんが、感情に合わせたように、私は音楽を聴きます。
私が聴く音楽の中で、たくさんの素晴らしいアーティストの中で別格であるのが『中島みゆき』さん。毎晩聴いていますよ。と言えるでしょう。
きっと『ヘッドライト・テールライト』『浅い眠り』『空と君の間に』『糸』という曲で知った方も少なからずいらっしゃるのではと思います。
私が初めて中島みゆきさんのCDを買ったのは、ジャケットタイトル『36.5℃』。
中学1年か2年だったと思います。衝撃を覚えました。
私には5歳離れた兄がいて、小学生中学年くらいから、さだまさしさんの『防人の歌』やH2O『想い出がいっぱい』、一世風靡セピア『前略、道の上より』、薬師丸ひろこさん『Wの悲劇』にワム『Freedom』にと、色々耳にする機会がありました。森昌子さんの『越冬つばめ』『立待岬』も実に良かったです。
さて、私はよく仕事帰りの車中で色々なことの振り返りをします。きっと今日も。
なかなか自分の思いや考えが伝えられないなと振り返る時には、『風の笛』『倒木の敗者復活戦』という歌がとてもとても心に響きます。たぶん、目頭がほんの少し熱くなっていると思います。だから車の中でしか聴かないのでしょう。
弱き命が虐げられたニュースを知った時は、『命の別名』や『顔のない街の中で』が心にとまります。これらは、悔しみ、無力を感じた時、感じている時に選曲しています。何度も聴きます。
私のセルフ・ケアは、意識をして何か行動し、改善したり回復のためのケアをするだけではなく、『中島みゆき』さんの歌を聴き、色々と頭の中でグルグルと自問自答したり深みにはまったりとしながら、ささくれ立った心や無力感を受け入れ自然治癒されていくことがほとんどです。何かが解決したわけではないのですが。
CQ/CQ...みなさんは、どのようなセルフ・ケアしていますか?
十月桜から(湘南あおぞら 石川大助)
先日、家の近所を息子と散歩した時に今年も開花している桜を見かけた。この時期に桜が見られるのはちょっとした楽しみになっている。
開花している花は少なく全体の1/3くらいしか咲かず、春の桜ようにぎっしりと開花
して見ごたえがあるわけではないが、春咲きとは違って控えめに咲く味わい深さを感じられるのが好きだ。
調べてみると10月~12月頃に咲く種類はいくつかあり、この桜は十月桜(ジュウガツザクラ)と呼ばれている種のようだ。他にも春と秋に2度咲く桜もあるらしい。
今年は新型コロナの影響で夏のお祭り行事などは中止となり季節感を感じる風物詩が少なく寂しさを感じる。そんな中で今年も変わらず咲いている事に安堵感を覚えてしまう。
桜の場所を後にして歩いていると見慣れた建物、当たり前に咲いている草花も「今年も在る」と思わせてくれる。その瞬間、気持ちが和んでいく。
ちょっと忘れてしまっていたことを思いださせてくれた気がした。
たまにはあって欲しい特別感もよいが、当たり前にある日常を大事にしたいと思わせてくれた散歩でした。
~俳句~(相談支援プラザ 課長 一戸 香織)
先日、お孫さんが来所され「おじいちゃんから預かって来ました。俳句集を出したので読んで下さい」1冊の新しい本を手渡してくれました。
ご本人にお会いするといつも「俳句は限られた言葉で伝える、その難しさに引き込まれて数十年続けて来た。」俳句サークルで仲間と一緒に詠む楽しさを話して下さっていました。
「日々の出来事を直ぐには思い出せない事が多くなってきた。忘れない様にと思っていても中々思い出せない。いつも胸ポケットに小さなメモ帳を入れ、買い物や、病院の行き帰りなどの外出時に気になった事・その時の気持ち・見えた景色・感じたことを直ぐに書いて残している」と話されていました。
俳句には、五・七・五・の十七音の他に、句の中に季語をひとつ入れるという決まりがあります。掲載されている中で、どの句が好きかと伺うと、「本の最初に載せている句」との事でした。
『 野蕗摘む 峠越えれば 母の里 』
働きのため、家を出て、家に帰る路で思った気持ちを句にしたそうです。
最初にお会いした時に、藤沢から小田原まで「何時間も掛けて親の顔を見たさに、野を越えて歩いて行ってた頃が懐かしい、今は直ぐに電車や車で行けるが・・・。」故郷に思いを馳せながら、同郷の友人と心を弾ませ帰った事を話されていました。
この一句に込めた気持ちを思い、いくつになっても、何年経っても心寄せる故郷の場所があり、俳句に残したい思いがある事を知りました。
言葉に残す事は、感じた事を振り返り、考える時間を与えてくれると思います。言葉の持つ意味・音を大切にし、これからも様々な事に取り組んでいきたいと思います。
『「千葉県袖ケ浦福祉センター廃止」の発表を受けて思うこと・・・』(湘南だいち 宗像喜孝)
未だ新型コロナウイルス感染の終息の目途が立たず、毎日感染者数が増えた、減ったという報道をテレビで聞く度に気分が下がりがちになります。そんな時、自分はここ最近、養老孟司氏の著書を読んだり、対談しているテレビ番組を観て気分を和ませています。コロナ禍において、自然と行動に制限がかかり、視点もグッとフォーカスしてしまいがちです。養老氏が語る、地球、昆虫、様々な科学の法則等々の話から、様々なものの見方、見え方があることを知り、思考が開放されていく気になるのは、私だけでしょうか・・・。
さて、令和2年8月31日に千葉県は、「重度の行動障害者が入所する袖ケ浦福祉センター(袖ケ浦市)を2022年度末までに廃止する」と発表しました。
袖ケ浦福祉センターは、1966年に設立され、重度の知的障害がある成人が入る更生園、中軽度以上の知的障害がある児童らの養育園で構成しています。一時は定員が400人を超えるなど、大規模な集団でのケアが行われてきた施設です。2013年には、職員数名が入所者に対し身体的虐待を行い、死亡させるという痛ましい事件が発生しました。ほかにも虐待が相次いでいた事実が発覚したため、県は新規入所者の受け入れを停止し、再発防止の取り組みを行い、施設のあり方を検討してきました。千葉県が、センターを廃止するまでの結論に至った経緯の詳細については、千葉県のHPなどに資料が掲載されていますので、ご参照ください。
自分が大学で学んでいた当時、ゼミを担当していた恩師より、これから入所施設のような集団でのケアはなくなるかもしれない、もし入所施設解体に向けた取り組みに携われることが出来るのならば、それはあなたのキャリアにとってとても価値のあることだ、と言われたことを思い出します。その言葉が、藤沢育成会に入職した1つの動機になっていたかもしれません。あれから早数十年、キャリアの中で、主に入所施設の中で重度の知的障害のある方と関わってきましたが、人ひとりの尊厳やプライバシーを第一に考えた時、集団でのケアの難しさについて考えさせられる時は数多くあります。
千葉県が今後、どういった具体的な政策に取り組み、歩みを進めていくのか注視していくと共に、法人職員としては、今年度から行っているネクストプランⅡの「未来構想プロジェクト」を中心に、今後、数十年先の障害のある方の支援の在り方について、真摯に向き合い、考えていきたいと思います。
(写真)今年、職場の職員から頂いた粘土細工です。今年で40歳・・・。
通いなれた場所(湘南セシリア・事務局 小野田智司)
かれこれ15年ほど通っているところがあります。
気楽に通うことができる場所で
何歳になっても、その場での素の自分になることができる
大事な場所です。
そこは散髪するところ
4月緊急事態宣言がだされました。
世の中が、新しい生活様式に行動変容すべく
ステイホームをキーワードに
自宅で過ごす時間が増えました。
自分の中でなんとなく、
散髪にも行くに行けない状態となりました。
前回が3月上旬でしたので
いつもなら5月にはいきたいところでしたが...
5月下旬に緊急事態宣言が解除されたのちも
なかなか踏ん切りもつかず
6月も過ぎ、7月に入りました。
この間、髪の毛はもう、ぼさぼさ。
自分でカットするも
もう限界。
そこで、空いているであろう
平日の代休日に行こうと決心し
予約の電話をすると...
電話が通じない...
あれ?
もう一度...
「ただいま使われておりません」の案内が続く
あれ?
コロナ禍の関係で、閉店したのか?
数日間もやもやと過ごしたのち、
近くを通った時にお店によってみると、
電気がついている!!!
ほっと安心。
お店の人に聞くと
インターネット回線の契約を変えたら
電話の契約が切れてしまったとのことでした。
改めてカット日を予約して
7月31日に無事にカットができました。
いつも繋がっている大事な場所と
不意に途切れることは
こんなにも心を動揺させるのですね
支援の中で「見通しを示していきましょう」と
よく共有するのですが
改めて身をもって見通しを持つことで
心が安定する事を体験しました。
- ステイホームの過ごしの一つとして
色付きの和紙を使って障子をカラフルに張り替えました