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施設長・課長日記
黒崎義介先生の命日(よし介工芸館/アートスペースわかくさ 施設長 妹尾 貢)
梅雨が明けて、気持ちよく晴れた朝にバイクで快調に走っているとき、ふと思った。
「俺って最高!」
いやしかし、このバイクを作ったのは私ではない。
「YAMAHAのバイク最高!」
でも、この道路を作ったのは?
交通ルールを作ったのは?
ルールを守って安全運転しているのは?
そもそも僕がここに存在するのはどうやって?
こうやって考えていくと、今まで生きてきたすべての人のおかげで、今、自分の日常があることが、リアルに感じられた。
一人の人間の一生という、限られた身体、限られた時間で達成できることは、ほんの少しだろう。
先人のうまくいったことは、他の人に伝えられ、活用されて、さらに深みを増す。
忘れていけないのは、失敗もまた、人類の経験となって他の人達の役に立っている、ということだ。
それらの蓄積を共有して、その上にさらなる工夫をして生きていくのが、人間という生き物の特徴だ。
そう考えると、すべての人への感謝の気持ちで心が満たされる。
人とは非常に個別性の高い生き物であるが、一方で、ひとりではとても無力な生き物である。
だから、自分の在り方と社会とのはざまで苦しむこともあるのだろう。
自然な形で、社会と一体感をもって、生きていけたら、幸福なことだろう。
藤沢育成会も、いままでたくさんの利用者、ご家族、職員、ボランティアさん、業者さん、そのほか、関係者や、直接は関係のなかった市民まで含めて、様々な人の協力で支えられてきた。
なかでも、法人格取得以前の「星の村作業所」の時代から、多大なるご協力をいただいた、黒崎義介先生と時子夫人には、ことさらに感謝の意を表したいと思う。
昭和59年8月12日が、先生の命日である。
よし介工芸館の前には、藤沢在住の彫刻家、桒山賀行さん作「義介の像」があり、毎日挨拶できるが、命日にはお墓参りに行きたいと思う。
季節の中で (湘南セシリア、みらい社 施設長 石塚 和美)
4月7日の緊急事態宣言を受けて、宣言解除までの3か月間は利用者、ご家族、職員とともに新コロナウイルス感染予防対策や健康管理を行いコロナ禍をのりこえてきました。ご協力いただきました利用者、ご家族、職員、関係機関の皆さまに深く感謝申し上げます。5月25日にようやく解除となりましたが、7月17日に神奈川警戒アラートが発出され、新しい生活様式を取り入れながらこれからの日常を過ごしていきたいと思います。
このような中でも、季節は確実にめぐり夏を迎えようとしています。日常も少しずつですが戻ってきていると感じる瞬間があります。湘南セシリアでは七夕企画や前庭での夏まつりイベントの開催。みらい社は新しい作業種やサークル活動の取り組み方の検討など。
また、地域の中でも子どもたちの登下校時の元気な声や中学校校庭での部活動の朝練風景、道端の草花や生き物たち。自分とかかわりのない人やものからも元気をたくさんもらっていることを改めて感じました。
梅雨のあけた湘南の空を見上げながら、この夏は何をして過ごそうかと考えています。
緊張と緩和(湘南だいち・相談支援プラザ 伏見 康一)
コロナウィルスの感染状況がどうにも治まらない渦中において、今日まで事業所が通常営業出来ていることについて、利用者・ご家族・職員・関係者各位には深く感謝致したい。何よりも不安と混乱の中、実直に業務にあたっている職員皆様には只々頭が下がる思いである。私自身も感染予防を疎かにしているつもりはないものの、緊張の糸がずっと張りつめているとも感じている。去来するのはこの先もどうか皆元気に過ごせますように、という神頼みにも似た境地だ。
一方、私生活で新たな出来事があった。家族で籠るのに何かいいものはないか、と考えたあげく麻雀を購入。結果リビングのデスクが雀卓になった。家族全員が初心者で一から挑戦であったが娘と息子にもそこそこはまった様で家族の新たな楽しみとなった。勿論子どもに金銭を要求したりはしていない。賭けなくとも緊張からの解放には十分な楽しみとなっている。
「雨降って地固まる」の諺をあらためて噛み締めている。そしてこの先の目指す地は「新しい生活様式」の世界。工夫を凝らし「withコロナの生活」がこれからの大きな課題。メリハリの効いた過ごし方が肝要だろう。緊張と緩和のバランスこそ大事なのだと思案する。
麻雀に興じてから家族の絆が深まった気がする。ささやかではあるが私なりの新しい喜びだ。
天災は忘れた頃にやってくる(湘南あおぞら 施設長 倉重 達也)
寺田寅彦が言ったとされるこの至言も、昨今の河川の氾濫のニュースなどのように記憶の生々しいうちに次々とやってくると多くの人も指摘するように人災ではないかと思いたくなります。
一口に災害といってもいろいろあります。寺田寅彦は関東大震災の経験をこのように表現しました。人が人生における大地震に見舞われる周期と地球規模の大地震が起きる周期が違うということを科学者でもある寺田は表現したかったのでしょう。
新型コロナ感染症の流行で、カミュの「ペスト」が売れているそうです。19世紀末に大流行したペストを経験した人は生存していないと思うのでまさに感染症の流行も「忘れた頃にやってくる」災害の一つに数えられると思います。
天災か人災かという議論も、地球温暖化のように人間の営みが自然現象に多大な影響を与える時代になると複雑な要因が錯綜して「天災」と「人災」の境界線が失われてきているのではないでしょうか。ひょっとすると環境の変化に対応して人間の方が突然変異をおこして泥の中でも住めるようになるかも知れません。
人間は偉大であるのか愚かであるのか。今の時代はまさに混とんとした世界に踏み込みつつあります。
以上
(写真)あおぞらの庭に咲いた花
ふとおもうこと(サービスセンターぱる 課長 只熊 裕子)
昨年の春に祖母が亡くなり、1年が過ぎました。
祖母とは、祖父が亡くなった時は隣で私が寝て、私が心細い時は励ましてくれて、祖母が動けなくなった時は私が訪ねに行きと、人生の日々を一緒に歩んだ祖母でした。私が愚痴を言えば「自分を大切にしなさい」等と、自分との向き合い方や生きる糧を教えてくれた、とても自分に強い、尊敬できる人でした。
今でも祖母の言葉を覚えている限りは、私の心の中で生きています。
そんな祖母が他界してから、人生とはなんなのか、をふとした瞬間に考えてしまいます。
祖母が亡くなり、子ども達が成長していく中、とても「時代」を感じるようになりました。
今しかない、この時代を生きている中、この一瞬を大事にしていかないといけないなと思う日々です。
新型コロナウイルスの影響で1周忌は行えなかった為、命日にお墓参りにいった際、不思議と、祖母といた時のようなホッとした温かみのある気持ちを感じました。私の希望がそう感じさせたのかもしれませんが。
親にも感じる安心感は家族ならではの想いだと思いますが、家族一つとっても、兄妹同士の想いもあるんだなと、子ども達との時間の中でも実感します。
それぞれの家族の形は本当に様々で、両親が感じる子への思いも尽きないなと思います。
今年度に入ってからも、新型コロナウイルスでの影響にて、色んな思いを抱えているご家族がいらっしゃると、ここ最近とても感じています。
様々な家族の形があり、ご家族の思いに寄り添いながら、今後もこの仕事に関わらせて頂きたいと思います。
日曜日の夕方(湘南ゆうき村・アポロ 課長 高橋 羽苗)
週末を自宅で過ごすようになり、日曜日の夕方にテレビを見ていることも慣れてきました。外にいることが多かった週末や、シフト制の勤務で、これまであまり実感を持っていなかった「サザエさん症候群」の感覚を持つことがあります。基本的にだらだらと週末を過ごしていることが多い私には、だらだらしていたい気分から「動く」ことの切替が苦手。
そんな時は、一週間の過ごし方を妄想しながら夕食を準備するようになりました。過ごし方は、好きなアイスを食べる事だったり、気になってる棚を掃除することだったりと様々。同時に一週間の予定も確認しますが、具体的に仕事を考えるのではなく、「今週はあれとあれと...」という程度。うまくいっていない仕事を思い出して「あぁ...」と気が重くなることもありますが、意外とふっとヒントを見つけられることも多く、「そっかそっか」と自分の中で納得できれば、私の「サザエさん症候群」は終了。自分の中でイメージが決まれば、その後はすっかり忘れてのんびり過ごします。
翌朝、職場に到着して、週末に残したメモに思いもかけなかった事柄を見つけて慌てることもありますが、ちょっとした気持ちの準備でウィークデーのリズムに戻ることができていることを感じます。妄想をすることで脳の活性化や、プラス思考になることがあると言われることもありますが、私の妄想は、切替のきっかけとして大切な時間となっています。