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施設長・課長日記
「アウフヘーベンの実り」(湘南だいち・相談支援プラザ 伏見 康一)
「ある主張(テーゼ)とそれに矛盾する主張(アンチテーゼ)を合わせて、どちらの主張も切り捨てずに、より高いレベルの結論へと導くこと(ジンテーゼ)。」これは弁証法理論の考え方である。この考え方は「全てのものは己のうちに矛盾を含んでおり、それによって己と対立するものを生み出す」ことを前提としている。
さて私見ながら今の福祉に置き換えてみる。なおテーゼとアンチテーゼに優劣、良悪はなく、あくまで同値同等である。
「施設」(テ):「地域」(ア)、「訓練」(テ):「支援」(ア)、「集団」(テ):「個人」(ア)
「弱み」(テ):「強み」(ア)、「多数」(テ):「少数」(ア)
などなど他多数。社会福祉は未だ「テーゼとアンチテーゼの関係性が己のうちに内包される自己矛盾の範疇を超えてないもの」が堆積している状態なのではないか、と推察する。
では、どのように考えるか。
「施設」:「地域」の考え方を例題にしてみる。
テーゼ:施設は大きな建物で居住が確保されている。
アンチテーゼ:地域の暮らし方は自由、プライバシーも守られる。
アウフヘーベン*:テーゼとアンチテーゼを「より高いレベル」へと止揚する。
ジンテーゼ:管理されず自由でプライバシーが守られる施設(建物)、「支援者のいない施設」などいかがだろうか。つまりそこは支援者も利用者もなく皆が生活者という場。
今こそ「自由奔放なイマジネーション(=アウフヘーベン)」が福祉には必要なのかもしれない。まずは自らが考えることこそ重要なのだと思索する。制度がネックなら制度ごと止揚してしまえばいい。長い歴史の中で培われた功績がいよいよ実ってきている。
*「アウフヘーベン」
ドイツ語。「止揚」「揚棄」と訳される。「止めて揚げる」「棄てて揚げる」の意。対立しあう二物の関係を一つ上の次元に引き揚げる、の意。
*写真
「秋富士」河口湖畔より撮影
プレーヤーとマネージャー(湘南セシリア 佐藤貢)
「実ほど頭を垂れる稲穂かな」(湘南あおぞら 倉重達也)
今年のノーベル化学賞を受賞した吉野彰さんの座右の銘が「実(みのる)ほど頭(こうべ)を垂れる稲穂(いなほ)かな」だという報道がありました。私は米どころ新潟で育ったせいか、この言葉は子どもの時から何回となく聞かされてきた気がします。
稲は実ほど穂が垂れることから、人も立派になればなるほど謙虚にならなければいけないというような意味ですが、なかなか言葉どおりにはいかないようです。政治家やスポーツ選手などの有名人のスキャンダルなどは、この諺がどんなにか難しいということの一例かも知れません。
地域の中で (湘南ゆうき村 高橋羽苗)
湘南ゆうき村の一大イベント「収穫祭」を開催しました。
ご協力いただいた皆様ありがとうございました。
さて、前回の課長日記で「サツマイモ掘り」の企画を検討していましたが、結果的にはサツマイモは不作で断念し「大根の収穫体験」を行いました。天候不良や長らく使っていなかった畑ということでサイズや形もばらつきがあり、一部は割れてしまったり、穴が空いているものもありましたが、ご了承いただいたうえで、30名近くのお客様に体験していただきました。
地域のつながり(サービスセンターぱる 鈴木保志)
10月27日(日)、天神小学校で開催された、地区レクリエーション大会(運動会)に参加をしました。開会式では実行委員より「明日の仕事に影響のないよう・・ビールがおいしく飲めるよう・・」とほのぼの宣誓と、天災による地域のつながりの大切さについて話がありました。
何気ない風景に目を留めてみた(みらい社 大澤健二)
娘が「良い爺さんに連れられて~♪」と歌っているのを聴いて、それは「異人さんに連れられて~」だよ。と私は伝え...あっ、確かめに連れて行ってみよう!と思い週末出かけました。
『赤い靴をはいた女の子』がいる山下公園は、自宅から車で20分ほどの場所。
休日、娘を連れ山下公園へ散歩に。
赤い靴をはいた女の子の像を前に、まるでご利益がある像を撫でまわすかのように扱う勢いでハシャグ娘。