日記

相談支援プラザの施設長・課長日記

ボランティアって?(相談支援プラザ 伏見康一)

相談支援プラザ

ネガティブな告白になるが、ボランティアにちょっと疲れてしまった。もとより学生時分から楽しみや居場所感覚で時間があるときにやれる範囲で続けていたが、頼まれると嫌とは言えずに続けていたという言い方もある。

就業してからも単発で参加したりしていたが、公私混同や立場を弁えるという事が煩わしくなりだんだんとボランティア活動に行かなくなってしまった。かといって福祉以外のボランティアには食指が動かない。つまりは自ら鼓舞せねばならない呪縛から逃れたかっただけなのかもしれない。

きっと元来、ボランティア情熱度が高いタチではないのだろう。思い返してみればボランティア活動した意味など考えてこなかった。ボランティアをしてますよ、なんて思っていなかった。気の合う仲間がいて自分の心地よい居場所があった、というだけだった。

自分ができることは限られている。頼まれてもお願いされてもやれない事もある。ただ会いたい仲間がいて、好きな場所がある。きっとこの先も絶対に忘れる事のない記憶。ボランティアは他人に惑わされることではないはず。なぜだが天邪鬼な私意が前に動こうとしている。

〜富士山〜 (相談支援プラザ 課長 一戸 香織)

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空気が冷たく透き通る、寒い朝を迎えるこの季節。

「今日も頑張ろう!」と思える朝があります。

いつもと変わらない家事を終わらせて、時間を気にしながら慌てて家を出ます。

自転車を必死にこぎながら、会社に向かう途中に坂道があり、その坂道を登りきると、雪化粧した富士山の山頂が見えます。

数十年前から藤沢に住み、初めて富士山が見えた時は言葉にならない感動がありました。♪頭を雲の上に出し〜♪ 子どもの頃に歌った歌詞を思い出すほどの景色です。

先日、六会地区にお住まいの方を訪問した時に、富士山の写真が飾ってありました。家を建てた当時に家族で撮った写真との事でした。今では、家が建ち並び富士山の姿は見えなくなっています。50年前は、裾野まで見えた富士山が良くて(気に入って)、この場所に家を建てたとの事でした。今は亡きご主人と、独立した子ども達とで暮らしてきたこの家から、歴史が伝わって来る写真でした。(その方は)「このまま、ひとりになってもこの家で住んでいたいと思う1枚の写真であり、まだまだ頑張ろうと思う富士山の写真なのよ」と話してくれました。

頑張ろうと思う事や、良いことがあるといいなぁと思える事は、人それぞれ違うと思います。空気が冷たく透き通る、寒い朝。雪化粧した富士山の山頂をみると「今日も頑張ろう!良いことがあるといいなぁ」と思います。1歩ずつ前向きに取り組んで行きたいと思えます。

そう思えることが、私にとっての ~富士山~ です。

2021125日撮影

空気が冷たく透き通る寒い朝

会社に向かう途中に撮りました!

「目標を掲げて」(相談支援プラザ/課長 梅田 忍)

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コロナウイルス感染拡大で激動の一年が終わり2021年新しい年を迎えました。

年末年始も感染者数が最多を更新する報道でウイルスの猛威は身近なところまで感じる中、例年にない冬期休暇を送ることになりました。

私自身の年末の楽しみは大晦日の格闘技イベントに出かけることでした。大晦日の日に格闘技イベントが始まったのは2000年から毎年興行があり、今までほぼ毎年欠かさず行っていましたが、さすがに今回は自粛し家でテレビでの観戦にしました。また正月も、例年は実家に挨拶に出かけたり、人が賑わう神社に初詣など出かけたりしていましたが今年は出かけたりせずに家でゆっくり過ごすことにしました。

そんな中で、健康のため、毎日欠かさず散歩に出かけることはしていました。きっかけは昨年、秋に受けた健康診断で血糖値の数値が悪く通院した結果11月に2型糖尿病と診断をうけ2週間の入院をすることになり、退院後から毎日欠かさず行うことになりました。

糖尿病を患ったことは、ショックでしたが食べることが好きで食事以外の間食も良くしていた自分の不摂生のせいでもあり、改めて健康の大切さを知るきっかけになりました。

まず、大きく変えたことは食事です。野菜多めのカロリーを制限した量とバランス良い食事を3食しっかり摂取することです。以前は朝食を摂らずに缶コーヒーしか飲んでいなかったのですが今は朝食もしっかり摂るようになりました。次に運動です。無理せず毎日行なえる散歩を毎日、最低1時間歩くことからはじめました。また、休日は毎食後、1時間歩くことを続けていてこの冬休み期間も1日2~3時間は歩きました。

入院当初の体重が7778gありました。自分の身長の理想体重は63kgと聞いたので無理だと思っていましたが半年かけて70kgをきる目標を設定しました。今までのような好きなものを食べることを制約したり、寒さが厳しい日も毎日散歩に出かけなければならないということがストレスになると思っていましたが今現在、69kgまで体重が落ち目標を2ヶ月で達成し身体もかなり楽になって健康的な日々を送れています。理想の体重はほど遠いですが目標をそこに設定し今後も続けて行きたいと思います。

また、仕事においても自分の役割を明確に理解し目標を決めて真摯に取り組み、日々振り返りながら目標達成できるようにしていきたいと思います。

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「心のだいちに思いを寄せて」  (相談支援プラザ 伏見 康一)

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遅ればせながら9月いっぱいで湘南だいち施設長の職を降任し、相談支援プラザ専任の配属となりました。湘南だいち就任中においてはご利用者様・ご家族様をはじめ、地域の方々や連携事業所様、委託業者様等関係各位、職員の皆様には大変お世話になりました。

 至らない点もあり、心中苦しい思いもありますが、今与えられている相談部署の任務を達成してこそ皆様への恩返しとなると考え、業務にあたっております。

 湘南だいちは法人の中で一番新しく、施設としての若さがあります。芽生えたこと、これから芽生えてくることなどたくさんの芽が育っていきます。そしてきっとその芽には思いという肥料が必要なのだと思います。

「心のだいち」にたくさんの芽が育まれるようにと、思いを寄せています。これからも共に歩み続けたいと思っています。

~俳句~(相談支援プラザ 課長 一戸 香織)

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先日、お孫さんが来所され「おじいちゃんから預かって来ました。俳句集を出したので読んで下さい」1冊の新しい本を手渡してくれました。

ご本人にお会いするといつも「俳句は限られた言葉で伝える、その難しさに引き込まれて数十年続けて来た。」俳句サークルで仲間と一緒に詠む楽しさを話して下さっていました。

「日々の出来事を直ぐには思い出せない事が多くなってきた。忘れない様にと思っていても中々思い出せない。いつも胸ポケットに小さなメモ帳を入れ、買い物や、病院の行き帰りなどの外出時に気になった事・その時の気持ち・見えた景色・感じたことを直ぐに書いて残している」と話されていました。

俳句には、五・七・五・の十七音の他に、句の中に季語をひとつ入れるという決まりがあります。掲載されている中で、どの句が好きかと伺うと、「本の最初に載せている句」との事でした。

『  野蕗摘む 峠越えれば 母の里  』

働きのため、家を出て、家に帰る路で思った気持ちを句にしたそうです。

最初にお会いした時に、藤沢から小田原まで「何時間も掛けて親の顔を見たさに、野を越えて歩いて行ってた頃が懐かしい、今は直ぐに電車や車で行けるが・・・。」故郷に思いを馳せながら、同郷の友人と心を弾ませ帰った事を話されていました。

この一句に込めた気持ちを思い、いくつになっても、何年経っても心寄せる故郷の場所があり、俳句に残したい思いがある事を知りました。

言葉に残す事は、感じた事を振り返り、考える時間を与えてくれると思います。言葉の持つ意味・音を大切にし、これからも様々な事に取り組んでいきたいと思います。

主夫業を通して(相談支援プラザ課長 梅田 忍)

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9月も中旬になリましたが残暑厳しい毎日ですが、日が落ちると秋らしい空気が感じられるようになりました。私が一番、好きな季節は夏ですがまもなく終わろうとしています。

 

梅雨入りした頃の少し前の話ですが、持病があった妻が入院することになりました。しばらくの間、私と高校3年生になる息子と二人での生活を初めて体験しました。

 まず、家事力は私自身、料理は好きでときどき台所に立つことはありましたが毎日、お弁当も含めると毎食になるので不安もありましたがやるしかない。また、息子も掃除、洗濯なども母親まかせで、できる事は食べたものの下膳くらいしかしていなかったのでどうなるかと思いながらも生活が始まりました。

 コロナ感染拡大防止もあるのと家計の支出も抑える為、外食は避け、出来るだけ自炊をすることを心掛けました。やって見ると食材を買いに行って献立を考え食事を作る、食材が全部使い切ることはないので、あまった食材に何を買い足して明日は何を作ることを考えることは大変でした。今まで当たり前のように家に帰ると出てきた食事を食べていましたが、自分がやることになってこの大変さと妻のありがたみをあらためて感じる日々でした。

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自分が作った食事の一例 おいしくいただきました。

 この期間、助かったのが入院前に教わっていたようで、息子が「洗濯は僕がやるからまかせて」と言って、洗濯機で洗い、干す、乾いたものを畳んでしまうことはすべてやってくれたことです。また、日用品など足りなくなっていたものを気づき買い足すなども息子がやってくれました。あらためて、何も出来ないと思っていたので自分の息子に対しての見立て違いを深く反省したことと、成長を感じられたことが嬉しかったです。 

妻も退院して回復しつつあり、変わらない日常に戻りつつありますがこれからも助け合いながら家族の絆もさらに深めて行きたいと思います。

また、仕事面においても、状況把握、考えて工夫し効率良く誠意を持ってご利用者に向き合えるように努力していきたいと思います。