日記
湘南ゆうき村の施設長・課長日記
夢の話 ( 湘南ゆうき村 / 課長・髙橋 羽苗 )
人の夢の話はつまらないと言われますが、夢の話をしたくなることがあります。
夢の中で驚いて思わず起き上がったり、目覚めて涙を流していたりと夢の中でもとても忙しい。とんでもない傑作!と思っても、画力も語彙力も乏しい私はうまくは伝えられず、結局忘れてしまいます。
夢はまだまだわからないことが多いようで、現在も様々な研究がされています。脳内の情報と記憶が結び付けられていると言われますが、どうしてそうなった?と驚くような設定の夢もしばしばで、「あぁ夢だな」と思いながら冷静にみているようなことも多々あります。
そんな傑作ばかりなのに、人の夢の話が楽しめないのはやっぱり「共有」ができないこと。人の夢の話は、「ま、夢だしなー」で終わってしまうのがほとんどです。夢の共有についても研究があるようですが、情報と記憶の差異や、伴う感情の違いでなかなか同じ夢は難しいよう。そもそも同じかどうかの答え合わせも難しい。
昔、ドラえもんの道具で夢を覗けるテレビがあり(調べてみたら「ユメテレビ」というそう)、これがあれば友達や家族にこの面白さがわかってもらえるのに...と思っていたのですが、今考えると知らないうちに覗けるタイプの道具で、つまりだだ漏れ。往々にして「自分に都合のいい夢」を見ている私にはちょっと活用は難しそうです。
「夏の記憶」 ( 湘南ゆうき村・湘南だいち / 施設長 妹尾 貢 )
子どものころの夏の記憶は、大人になって久しい現在でも、自分の季節感に影響している。
キャンプ、虫取り、魚釣り、自転車で遠出、親戚の家で食べるスイカ、ラジオ体操
特にテニスファンでもないのに、夜更かししてテレビで見る、ウィンブルドン(レンドル、マッケンロー、ナブラチロワ)。
小学校高学年から、中高校生の夏は、水泳一色だった。
現在の子どもたちにとっては、この夏はどんな風に思い出されるだろうか?
コロナ対応に限らずヒトは、そのときどきで成しえるベストを考え、対応してきただろうと思う。
が、そのことは、時間がたってみないと評価が定まらないこともたくさんある。
我々の仕事にしても、そのときにベストと思うことに取り組むが、はたしてそれが長期的にみてどのように作用するのか、分からないこともある。
例えば、通所施設では、良かれと思って「ドアトゥドア送迎」の体制を整えるよう努力しているが、そのことが利用者から、交通機関を利用する機会を奪い、地域の人との関りが減る方向に作用してしまう現実がある。
地域社会の崩壊が叫ばれて久しいが、そのことも、日本社会が何かと引き代えに、選び取ってきたことではなかったか。
そんな状況でも、人がともに生きていくための方法を模索したくて、この仕事を選んだのではなかったか。
「頭を冷やせ! 一方で、魂の炎を燃やし続けろ!」
社会福祉領域のみならず、さまざまな分野で語られる言葉である(冷静な頭と温かい心、のほうがポピュラーか)。
自分にとって、大切な言葉である。先の見通しが悪くても、前に進むためのエネルギーを大切にしたい。
(試合中のマッケンローにも、言ってあげたい言葉である)
空気の匂い ( 湘南ゆうき村 / 課長 高橋 羽苗 )
この時期になると、タケノコの皮をむく時のようなちょっとエグみのある匂いがふわーっといたるところでしてきます。いろいろな木や花の匂いだそうですが、私はあの匂いが嫌いではなく(多分、時々ふわーっとだから...ですが。)季節を感じる一つになっています。
匂いは記憶と深くつながっているといわれ、香りで記憶が蘇えることは「プルースト効果」として名前までついているそう。
先ほどの「タケノコの皮をむいたようなちょっとエグい匂い」も夏前の夜に友人とプラプラ散歩したことを思い出します。でもそんな「匂い」から記憶が呼び覚まされる感じがとても好き。街中で誰かの香水で学生時代の先生や、いつか行ったお店を思い浮かべたりして一人、にやっとしています。
ちなみに匂いは記憶だけではなく脳の構造上、感情ともつながっているそうで、アロマテラピーなどは、そんな働きを活かしているそうです。アロマテラピーでなくても朝の匂いで気持ちがしゃんとしたり、冬の匂いでちょっとわくわくしたり。空気の匂いを感じる時間がちょっと楽しい時間です。
写真は今年出てあっとゆう間に伸びた竹!
まだ産毛がありビロードのようなさわり心地です。
「知識を得て 心を開き 自転車に乗れ!」 ( 湘南ゆうき村・湘南だいち / 施設長 妹尾 貢 )
よし介工芸館・アートスペースわかくさから、湘南ゆうき村・湘南だいちに異動になりました。今年はコロナの影響で家族懇談会なども開催できなかったため、3月までお世話になった皆様には、直接ご挨拶することができない方も多く、この場を借りて、感謝申し上げます。
湘南だいちでの勤務は初めてですが、湘南ゆうき村は2回目です。自分が育成会職員2年目の年に1年間、デイサービスの職員として勤務しました。以前所属した事業所にもう一回戻ってくるのは、実は初めてです。簡単にまとめると、
あおぞら→ゆうき村(ぱる兼務)→ぱる→セシリア→よし介・わかくさ→だいち・ゆうき村
です。24年間勤務している割には、異動が少ないほうかもしれません。
この一つ前の日記で、石田課長が好きな言葉について書いていたので、私も考えてみました。それが、今回のタイトルになっている
「知識を得て 心を開き 自転車に乗れ!」
です。
ニューエストモデルというバンドの曲名なのですが、単純に曲が好きなのと、
生きていくうえで、大切な要素のつまった言葉だと感じ、時々かみしめています。
よく似た言葉に
「書を捨てよ、町へ出よう」寺山修司(歌人・劇作家)
とか、
「書を持って街へ出よう」佐藤郁哉(社会学者)
がありますが、
どちらも、本ばかり読んでいても、頭でっかちになってしまうので、自分の足で行動して、世界について感じ、理解しよう、という意味だと感じていました。
作詞作曲者 中川敬は、それにくわえて「心を開き」と言っています。
「心を開く」とはどういうことか?
きっとそれは、さまざま人や出来事に出会い、さまざまな生活や価値観に触れ、共感したり反発したりしながら、自分の限られた経験から来る価値基準・ものの見方を更新し、限界を超えていくことだと考えています。
いままで、たくさんの人に出会ってきました。新しい職場で、また新しい人たちに出会います。以前お世話になった方々とも、新しい関係性で再び出会います。
自分の心がどう開かれていくのか?
その心で、自転車に乗って(行動して)行く先にどんな世界があるのか?
とても楽しみです。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
「開設から半年を迎えて」 ( 湘南ゆうき村・湘南だいち・湘南ジョイフル / 施設長 三嶌 悟 )
10月に湘南ジョイフルが開設して、早や半年が経過しようとしています。
「野菜・運動・健康」をテーマに、「多様な人生のうれしい・たのしいが生まれる場所でありますように」と、思いを込めて「湘南ジョイフル」はスタートしました。
開設当初は数人でのオープンから、徐々に利用者さんも増えています。活動に関しても、備品が並ぶオフィスだったのが、今では壁面や玄関にも、季節に応じた装飾を施して華やかになっています。農作業でも、最初はどこに行けばよいのやらから、今では作業内容を聞くだけでその場所に赴き、収穫や土壌整備等の数種類の作業工程が確立しています。2022年1月からは、毎週水曜日に「あゔにーる」のパン販売の開始や、4月以降には待望の「野菜自販機」を導入して、収穫から販売まで実施していきます。開設準備から携わり、ここまでやってきた実感と愛着が深まっています。
これからますます、「うれしさやたのしさ」が増していく湘南ジョイフルです。
見学も随時可能ですので、お気軽にお立ち寄り下さい。
富士山 ( 湘南ゆうき村 / 課長 高橋 羽苗 )
日本人は富士山が好きと言われますが、漏れず私も富士山でテンションが上がる一人。振り返ってみると「施設長・課長日記」にもたびたび写真が使われています。
数年前、東海道新幹線で「見慣れたわたしたちでもみたことがないほどきれいに富士山が見えています、ぜひご覧ください」という内容でアナウンスが流れました。
朝の早い時間の新幹線でアナウンスされるほどの富士山は本当にとってもきれいに見えたのを覚えています。
富士山が世界文化遺産に登録されたのは「信仰の対象と芸術の源泉」として、万葉集の時代から大切にされてきたことが認められたとされています。昔は噴火から恐れられていた富士山が、信仰心や芸術の象徴として大切にされているのは、信仰や芸術の理解が乏しい私でも「やっぱり富士山だもんな」と単純に納得する一方で、富士山をみてテンションが上がったり、ほっと感じる気持ちが、時代や価値観が変わっても共通していることが不思議で魅力的だなと感じています。
この冬はご利用者様から、「今日は富士山がきれいだよ」とよく声がかかります。
すぐに一緒に見られないことも多いのですが、何気なく富士山をみると確かにきれいで、一緒に見ようと誘っていただいた「おすそ分け」の気持ちもとても温かく感じます。
先日、小さな「富士見坂」の看板を見つけました。
富士見坂は各地にありますが、現在はビルやマンションで見えないところも多いそうです。
住宅街の急な坂から、遠くに小さく見える富士山でしたが、やっぱり「日本一」を感じさせてくれました。