日記

知的障害福祉研究の雑誌「さぽーと」に掲載

湘南あおぞら

遅れてのご報告になりますが、大変有りがたいことに、知的障害福祉研究の雑誌『さぽーと』(7月号)にて、湘南だいち時代の支援についての実践報告を掲載して頂くことになりました。

7月号の雑誌のテーマは「知的障害のある人の尊厳を守る」です。そこでは、言葉を発することが難しい利用者さんであっても、その「行動」を一定期間データとして収集し、それを一つの「声」として読み解いていけるということを述べています。

今年の4月に湘南あおぞらへ異動してきましたが、新しい環境でも丁寧に「行動」から「声」をくみ取っていく支援を積み重ねていきたいです!

(ちょっと余談)
少し雑誌の内容から脱線してしまいますが、私がずっと関心を持って勉強している分野として哲学や社会学があります。特に20世紀は、その中でも「言語」というものに注目が集まった時代でした。まず第一に言葉は、人間がコミュニケーションのために使う道具です。しかし同時に、言語(日本語、英語、中国語...等のように)とは、それを持っている人間の考え方や世界の見え方に強く影響を与えているとも言われています。
例1)日本語では、「蝶々(ちょうちょ)」と「蛾(が)」と分けて表現しますが、フランスでは一括りに「パピヨン」と言い表す。
例2)自身の性(ジェンダー)を表す際に、LGBTQ(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、クィア)というカテゴリーを用いる場合があるが、言葉が創造される前の時代では、「男」と「女」といった単純なカテゴリーでしか区別できなかった。見えていなかっただけで、実は性は多様であった。

さて、逆に障害福祉の分野で面白いのは、言葉を日常的に使わない方がいるということです。持っている言葉の数が限られている方もいます。つまり、言語活動にのみ依存する人とは、根本的に見えている世界が違うという可能性があるのです。

ハンナ・アーレントという哲学者は、私たちにとって世界はたった一つしかないのではなく、「世界の見え方が複数ある」のだと言いました。それは言い換えると、私たち一人ひとりが持っている世界の見え方の数だけ、世界は豊かであるということでもあるのです。

「この利用者さんはどんな世界を見聞きし、どのように世界を体験しているのだろう?」

実はこうした哲学的な問いが、『さぽーと』に掲載した文章の根底にある私自身の関心です。

さらに興味のある方は、2017年に出版された國分功一朗『中動態の世界 ~意志と責任の考古学~』医学書院が、福祉・医療分野にも関係していてお勧めです。

                       湘南あおぞら 鈴木真蒔

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