街で暮らす、地域で生きる

少し遅れて湘南あおぞらに出勤する時、弥勒寺の坂を自転車で駅に向かう人が「おはようございます。行ってきまぁ~す!」と挨拶。信号待ちで"どこまで行くの?"と聞くと「湘南台!」。"湘南台!?結構、遠いな..."と思っているとさっそうと走り抜けた。雨の日にはカッパを着込んで歩く。それでも休むことなく作業に向かう姿は間違いなく"お仕事!"の自負がみなぎる。

 仕事帰りに市役所で用事を済ませ帰る道すがら「いしかわおさむさん!」と無機質な印象の声。振り向くと見覚えのある顔。また「いしかわおさむさん」。"どこかで会ったね"「ハンモック!」「そうだ!」と応えると「お仕事終わりました。お家帰ります!」。笑顔で去った。"若いな~、足が速いな~"と見送る。正直に言うとその人をよく知らないが確かに会っている。自分に関わる人だと気軽に声をかけてくれるのはうれしい。自閉的傾向のある人は対人関係が苦手だとどの本にも書いてあるが、それは一般論ですべての人と言うわけではない。また、相手によって十分使い分けている。さらには、努力によって人との関係を理解するようになり、得意ではないが嫌でもない...状態になった場合もある。"傾向がある..."ということを"決まっている!"と理解したがる傾向があるようだ。

 ピアノが好きなダウン症の青年が叩きつけるように音を出す。その時、満面の笑み。楽しそうで身体がリズムを打つ。だが、そこは喫茶広場。お客さんには静寂を求める人もいる。音楽なら選ぶことも出来るが、メロディーもハーモニーもリズムも...。本人はご満悦でも周囲は雑音。だから、お客さんのいる時は止めさせたいが状況の理解は難しい。だから、全部ダメ...となる。何故なら、"ダウン症の人は固執が強い!"から場面でやめさせるのは無理と...。だが、それでは街で暮らす、地域で生きるなど遠い、遠い夢。だから、指示に従ってピアノを弾いて良い時と悪い時がある...と判って欲しい。彼は人によって違うと理解したようだが、少しずつ指示で止められるように...。そうなれば大好きなピアノを取り上げなくても良い。居場所を確保し時に大好きなピアノを弾く。だけどピアノに鍵がかかっている時は弾けない。鍵が開いてれば弾いても良いとなれば指示を受けずに自分で分る。道具を使っても自分で出来ればいい。おつりの計算は無理でも電卓が使えればいい。"鍵を使う"のも道具を介しての支援。自閉的傾向のある人が社会で暮らす学習プロセスも"支援"。自転車通勤も、道具を使う学習も、これまでの蓄積が"街で暮らす、地域で生きる"ようになった表れ。街で暮らす、地域で生きるは、受け入れを待つだけでなく、様々なことが積み重なった結果。インクルージョン...とか、療育...などと言っている間に、いつのまにか地域で暮らす障害者がジワリジワリと増えている。(2018.12

ページトップへ