おこだでませんように(湘南ゆうき村・植村 裕)

 

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友人から読んでみてと、一冊の絵本を頂いた。絵本を読むのは何年ぶりだろうか。では、さっそくページを開いてみよう。

 

 

 

 

 

小学一年生の「ぼく」は家でも学校でもいつもおこられる。妹の面倒をみると、妹はわがままを言って泣く。それでぼくが妹を泣かしたと母親におこられる。学校で仲間はずれにされ、けんかして手を出したぼくが先生におこられる。おこられたとき、何か言うと、またおこられるから、ぼくはよこを向き、何も言わず、おこられる。本当は「ええ子やねえ」って言われたい。でも、母親も先生もぼくを見るときはおこった顔。

 

「どうしたらおこられへんのやろ」「どうしたらほめてもらえるのやろ」「ぼくはわるいこなんやろか」・・・7月7日、七夕の願いを短冊に、一番の願いを一生懸命考え、教えてもらったひらがなで「おこだでませんように」と書いたのだが、、、
 

こどもの頃よかれと思ってしたことが、一生懸命にしたことが、おとなの無理解でおこられ、その理不尽さにくやしい思いをしたことが誰にもあると思う。しかし、おとなになった私はどうなのか、「ぼく」の母親や学校の先生と変わらないかもしれない。こどもの心情を思うと胸が痛み、自分のいたらなさをつくづく感じてしまう。

 

この「ぼく」は誰かに似ている。そう、我が家の長男にそっくりなのだ。家でおこられ、学校でしかられる。気はやさしいのだが、お調子者で余計なことまでしてしまうのだ。どうしたらそんな余計なことを思いつくのか、腹が立つのを通り越して、感心してしまうほどだ。だが、今思えばもっと彼の目線で捉え、もっと彼の言い分に耳を傾けてあげればよかったと思う。そして、「ぼく」は特別なこどもではなく、どこにでもいるこどもなのだ。

 

そんな息子も昨年、就職して家を出た。まだまだ危なっかしいところはあるが、成長したと思う。がんばっているなあと思う。息子にこどもができたら、あの時、おとなに対してくやしい思いをしたときの自分、辛かったときの自分を忘れないで、こどもに接して欲しいと願う。

 

「おこだでませんように」は素敵な絵本です。是非、読んでいただければと思います。

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