味噌造りに歴史あり(湘南あおぞら・小林 博)
先週の日曜日に86歳になる母と一緒に味噌造りをした。30年ほど前から続けている我が家の伝統行事である。
毎年、一番寒い時期、2月の初旬ころには行うのだが、今年は大幅に遅れてしまった。味噌造りに欠かせない、肝腎の麹(こうじ)が手に入らなかったのである。どこの店に行っても麹が品切れになっている。不思議に思って聞いて見ると、「塩麹ブーム」なるものが起こって、麹が売れに売れているという。
塩麹は、麹と塩を混ぜた日本古来の漬け物床だが、昨秋あたりにテレビで紹介されて、塩麹による漬け物作りが主婦の間で爆発的なブームになっているというのだ。何度か店に足を運んだが、いつ入荷するか目途が立たないという連れない返事だった。仕方なく静観していたが、今更ながら、あ、そうだと思いつき、ネットで検索したらAmazonを通じて簡単に、麹を手に入れることができた。

こうして、いつもより2ヶ月遅れとなった味噌造りを無事行うことができた。この我が家の伝統行事にも随分紆余曲折があった。味噌作りの基本は、実にシンプルで、①大豆を煮込む、②その大豆を細かくつぶす、③つぶした大豆に塩と麹を混ぜる、④それを甕(かめ)に詰める、⑤一年間寝かせる、以上である。ところが、②の大豆をつぶす、という工程が家内制手工業の味噌造りには難物だった。
始めはすり鉢とすりこぎを使って、せっせとつぶした。一家の一年分だから、大豆の量も知れた物で3㎏くらいなのだが、それでも鍋で煮るとなると大鍋で3つにはなる。大鍋3つ分の大豆をすりこぎでつぶすのは、相当な重労働で、もっと効率の良いやり方はないかと考えた。5年目くらいにやっと思いつき、「足踏み方式」を採用した。
大豆を大きなたらいに入れる。それを足で踏みつぶすのである。もちろん素足ではない。素足では不潔だし、そもそも、煮上がったばかりの大豆は熱くて素足で踏むことなどできない。靴下を二重に履いて、さらにコンビニ袋を上からかぶせて、何とか踏めるような形にして、大豆を足で一生懸命つぶした。これでだいぶ効率が良くなり、時間ば半分くらいに短縮された。こうして我が家の味噌作りは、「味噌踏み」と呼ばれるようになった。

「味噌踏み」の時代はその後、15年ほど続くのだが、その間に何度かバージョンアップした。まず、足元は靴下を履いただけでは、やはりまだまだ熱い。休み休みやっていたのだが、思い切ってスリッパを履くことにした。こうすると素足よりはスリッパの底の方ががよほど固いので、すりつぶしの威力も上がった。こうして数年、スリッパ方式を続けたが、足元に巻いたコンビニ袋がずりさがってきてしまうという難点があった。一応、コンビニ袋をかぶせた足元は、輪ゴムを三重くらいにして固定しているのだが、何十回と踏んでいるうちにその袋が下に下がってきてしまう。何とかならぬかと一考を案じた。コンビニ袋の上部、足で言うと脛のあたりをまず紐でぐっと縛る。そして、その紐にさらに紐をつけ、上部に伸ばし、もう片方の足のコンビニ袋の上部に結び付ける。この紐を両手で持って支える。ずり下がりそうなコンビニ袋を両手に持った紐で引っ張り上げる形である。
両足にスリッパを履き、コンビニ袋を二重にかぶせる。その袋の上部を紐で巻き、その紐にさらに紐をくくりつけ、両手で引っ張り上げながら、ひたすら大豆を踏む。いかにも珍妙な格好なのだが、こうして「味噌踏み」のスタイルが確立したのだった。

味噌造りを始めてから20年目、「味噌踏み」スタイルを工夫を重ねつつ繰り返すようになって15年目に、大きな転機が訪れた。隣家から不要になった家庭用の餅つき機をもらったのである。初めは、ちょっと餅でもつければいいかな、と思っていたのだが、あ、もしかしたら、これは味噌造りに使えるのではないか、と閃いた。大当たりだった。この餅つき機に煮込んだ大豆を入れると、見事にすりつぶしてくれるのである。これは大革命だった。家内制手工業は、家内制機械工業に昇格したのだった。それ以来、10年、この餅つき機による味噌造りが続いている。

例年だと年末には、おいしい味噌が出来上がってくる。仕込みは少し遅めになってしまったが、味はどうだろうか。手造り味噌の味は、我が家の歴史の味でもある。

▼大豆を見事につぶす餅つき機
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