雪道に人生の歩き方を学んだ(湘南セシリア副施設長・小林 博)

大雪に悩まされ、格闘したこの冬だった。二度目の大雪が降ったのは、たしか2月14日だった。朝から粉雪が舞っていたが、まだ道路には積もっていない。いつも通り自家用車で施設まで向かった。ゆっくりいつになく慎重に道を辿って運転した。対向車のスピードも普段の二倍も遅い。無事職場に着いたが、もう駐車場にはうっすらと雪が積もっている。


事務所の窓から見ると、外にはいかにも冷たそうな吹雪が舞い、施設の前の坂道は見る見る積雪の厚みを増していく。利用者の日中活動は最低限に縮小して、外の事業所への通所も中止にした。ニュースを見ていると公共交通機関が続々と運休になっていく気配である。夕方早めに職員も帰るようにした。一晩降り続ける様子なので、翌日の早番の勤務を、歩いて通勤可能な職員に交替するなどの段取りを組んで午後6時の退勤時間を迎えた。


ピンぼけ写真が雪道の苦闘を物語る

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車を駐車場に乗り捨てて、歩いて帰宅する覚悟はとっくに決めていた。長靴は履いて来ている。地元なので近道も知り尽くしている。でも、この雪だ。いつもは車で15分の道のりだが、小一時間は歩かねばなるまい。腹を決めて、外に出た。猛吹雪である。とても傘など差せない。厚手のコートを着て、マフラーも厳重に首元に巻いているが、肝腎の帽子がない。門扉まで歩く間に雪が容赦なく頭上に舞い降りてくる。これは堪らない。慌てて事務所に引き返し、ロッカーに吊してあるカーディガンを取り出した。それを頭から被り、袖の部分を襟元で十字に固め、帽子というか頭巾に仕立てた。何やらアラブゲリラみたいな出で立ちになったが、非常事態だ、誰も見咎める人などいないだろう。


完全防寒のつもりで雪道を歩き始めた。人の足跡や車の轍があるところは、その跡を辿って歩けばいい。ところが脇道に入ると、もうそこは、道と畑の区別もつかない、ただの雪野原である。おお、これから処女雪を踏む光栄に浴するのか、などと一瞬ロマンに浸ったが、現実はそんなに甘くなかった。長靴を履いているのだが、長さ25センチくらいの短めのものである。それで処女雪を踏み込むとずぶりと足を取られて、長靴ごと雪の中に沈み込む。長靴の履き口から雪が入り込んでしまう。長靴の中に入った雪は体温ですぐに溶けて、靴下がびしょびしょに濡れ始めた。足先が文字通り凍えるように冷たい。


勝手知ったる地元の道である。なるべく近道しようと細い林道に入り込んだ。5分ほど歩くとどうも風景が違う。道を間違えたようだ。雪景色が普段の土地勘を完全に狂わせてしまっている。元に引き返した。やはり地道が一番なのだ。人跡未踏の道をなんとか抜け出して、再び少し広い道に出た。有り難い、足跡がある。自分で道を作っていくのと足跡を辿って行くのとでは、歩行の負担がまるで違う。誰かは知らないが、先に道を作ってくれた人の苦労のおかげて、自分は随分楽をできる。


地道が一番。先人の作ってくれた道を辿って行く。雪道を歩くのは、人生そのものだなあと思い始めた頃には、家路の半分ほどまで歩き終えていた。それにしても、ずぶ濡れの足元はますます冷たい。自宅まで一本で続く広い道にやっと辿りついた。いつもは交通量の激しいこの道も、今はほとんど車の影はなく、とぼとぼ歩くのは自分一人だ。堂々と車道の轍を踏みしめて歩きながら、吹雪く目先を見やったが、まだまだ道は遠い。あと、30分は歩かねばなるまい。寒い、辛い、きつい。早く早くと先を見据えて、恨みがましい気持ちで歩を急いだら、つるりと滑って危うく転びそうになった。


▼自宅まであと少し、足元を見て、

一歩一歩着実に少しずつ

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いけない、いけない、足元を見て歩かねば。姿勢を正し気を取り直して、足元を一歩一歩確かめながら、ゆっくり歩き始める。靴底から伝わる冷たい感触が少し和らいでくる気がした。ざくざくと雪が軋む音も、耳に心地良く感じる。辛い雪道の歩行が少し楽しくなってきた。先行きを考えても、道のりが短くなるわけではない。足元を見て、一歩一歩着実に少しずつ。足元を見て、一歩一歩着実に少しずつ・・・。ふと顔を上げると、目前に自宅の外灯が見えた。もう着いたのか、知らぬ間に家の前まで来ていた。いつになく暖かく感じる外灯の光に迎えられて、ゆっくり玄関の扉を開けた。



地道に、先人の作ってくれた足跡を頼りに、一歩ずつ、足元を見据えて、歩く。

雪道が、人生の歩き方を教えてくれた。


▼やっと玄関に入り、雪まみれの姿を鏡に写して自撮り

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