オリンピックに想う (みらい社・植村  裕)
  今年はソチでオリンピックとパラリンピックが行われ、人々に多くの感動を与えている。私も開会式から時間の許すところで様々な競技を観戦した。フィギュアスケートの浅田真央選手はショートプログラムでは残念な結果であったが、フリープログラムでは自己最高といえる演技を見せ、大変感銘を受けた。最終順位は6位であったが、多くの人の心に残る演技であったと思う。

 オリンピックは世界の頂点であり、選手たちは日頃の血のにじむような努力の結果を発揮すべく試合に臨むのであるが、勝者と敗者の明暗は残酷なほどに分かれる。そしてメダルへの期待のプレッシャーは測りしれないものがあるだろう。

 オリンピックでいつも思い出すのはマラソンの円谷幸吉選手である。1964年の東京オリンピックのマラソンでゴールの国立競技場に2位で戻るのだが、トラックで英国の選手に追い抜かれ3位となり銅メダルを獲得した。東京五輪の陸上競技では日本で唯一のメダルとなった。その後、次期メキシコシティ五輪を目指すが、腰痛や様々な不運に見舞われ、1968年1月9日に自死された。27歳であった。遺書に「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」という言葉を残し、世間に衝撃を与えた。「父上様母上様3日とろろ美味しうございました」で始まる遺書は家族への感謝にあふれ、彼の実直な人柄を感じさせるものである。川端康成はこの遺書の文学性を絶賛し、三島由紀夫は関係者による無責任な発言を強く批判した。また、寺山修司、唐十郎、佐藤信の3人の劇作家は戯曲で取り上げている。私がこの遺書を知ったのは中学生の頃で、たまたま点けたテレビで朗読されていたのだ。聞き終わった後、遺書の中で繰り返される「美味しうございました」という言葉が頭に残り、しばらく呆然としていたのを覚えている。

 円谷選手の悲劇は日本スポーツ史に最大級の痛恨事と記されているという。そして彼の死が契機となり、オリンピック出場選手などに対するメンタルサポートやメンタルヘルスケアが実施されるようになった。

 最近のオリンピック選手のインタビューでは苛酷な闘いの中、「オリンピックを楽しむ」と言う言葉が聞かれるようになり、何かほっとした気持ちになるのである。

        

         ▼円谷幸吉選手

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