伊豆高原にて (みらい社・植村  裕)

先日、高校時代の仲間と伊豆高原に恒例の一泊旅行に行ってきた。毎年、梅雨の時期なのは宿が取りやすいのと、飲んで、食べて、話して、温泉に入ることが我々の目的なので、観光にはこだわらないので、天気には無頓着なのである。メンバーは五人で東京、神奈川、静岡に住んでいるので、泊まる場所はいつも中間にある箱根、伊豆あたりに落ち着く。今回は親の介護の関係でIが急遽不参加となり、四人での旅となった。子供たちは独立して手のかからぬようになったが、親の高齢化に苦慮する年代となったようだ。いつも五人での旅行なので一人欠けるのは、やはりさみしい。そこで今年は皆、還暦を迎えるのでクラス会を開催し、幹事会ということで年内に一度集まろうということになった。

当日は案の定、雨だった。茅ヶ崎から東京組が乗っている熱海行きの列車に乗り込むと、すでに缶ビールが数本空になっていて、ごきげんなWTがいた。「ノンアルコールが無かったので、ハイボールを買っておいたよ。」と、私が酒を飲まないのを知っているのに、まじめな顔で缶ハイボールを差し出すので、とぼけた奴らだと笑ってしまった。

熱海で静岡から来たKと落ち合い、昼食を食べて、伊豆急で伊豆高原に向かった。宿につくと浴衣に着替え、何処にも寄ったわけでもないのに、ゴロゴロしてから、夕飯前に温泉に入った。少し熱めのお湯であったが、なかなか良い湯で「あーっ、生き返る。」などと月並みな言葉をつぶやいた。そして仲間について思いを巡らせてみた。出会ってから四十年以上も経つのだが、また、こうして一緒にいることが、とても不思議な感じがした。五十歳の時、同級生のAが亡くなり、葬式で久しぶりに皆と再会した。三十年ぶりに会う者もいた。次に会うのが誰かの葬式では、洒落にならないということで、この年に一回の旅行が始まった。周りから見れば酔っ払いのおやじ達が楽しくやっていると思われるかもしれない。しかし、私たちは口に出さないが、今までの人生でそれぞれが経験してきた喪失感や明日はどうなるかわからないという思いがあり、だから大切にしていきたいものを共通に感じているのだ。もう一つは先に逝った仲間への追悼であり、共に在るということだ。

翌日は打って変わり晴天となり、少しは観光と体に良いことをしよう、と城ケ崎海岸まで歩くことにした。伊豆高原から城ケ崎海岸までかなりの時間、別荘地を抜けて下るのだが、誰にも会うことはなかった。城ケ崎海岸につくと駐車場が車で一杯だったので驚き、みんな車で来るのだ、と妙に感心した。お決まりの灯台と吊り橋を渡り、バスで伊東に出ることにした。伊東に着くと昼食の時間で駅前の蕎麦屋に入った。蕎麦には日本酒と言うことで、皆飲み始めた。その日、私は所用があり長くなりそうなので、別れを告げ一足先に帰路についた。家に着き皆にメールをすると、「今、熱海で飲んでいる。いつ家に着くかわからない。」という、返信がきた。

 

城ケ崎海岸.jpg

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