信州共働学舎を訪れて その2 (みらい社・植村  裕)

信州共働学舎を訪れてから3カ月が経った。お盆の時期であったが、もう今は冬支度をされている頃だろう。いろいろ思いを巡らせてみるのだが、2メートルを超える積雪があるという信州共働学舎の冬の生活は、雪とはほとんど縁のない私の生活からは想像がつかないのである。

前回は小谷村立屋での体験をお話ししたが、今回は真木についてご紹介したい。立屋に比べると真木はとても不便な場所で、車が通れないのでふもとに止め、徒歩で行きは約1時間半、帰りは約1時間かかる。峠を二つ越える山道である。今も生活物資や食料品は人力で運んでいる。女性は20キロ、男性は30~40キロの荷物を背負う、と伺った。日常的な体の鍛え方が違うのだ。運動不足の私にはとてもまねできる事ではない。商店も自動販売機もない。一時間以上歩かないと何も買えないのである。案内頂いた伊藤氏は真木から炭酸飲料を買ってきて欲しいとの連絡があり、数件店を回られお目当ての飲み物を購入された。頼まれた方の様子が目に浮かばれるのか、ニコニコとデイパックにしまわれていた姿が印象的であった。

さて、いよいよ出発となるが、時々熊に出会うそうで、クマ除けのベルを付けなければならない。あいにくの雨天で傘を差しながら登って行った。しだいに上り坂がきつくなっていく。30分もしないうちに息は切れ、雨で涼しいはずなのに、汗が止まらない。頭の毛穴からも汗が吹き出し、こんなに汗をかいたのは何年ぶりだろうか。伊藤氏は私の歩くペースに合わせて下さったので助かった。途中に馬頭観音の石仏があり、かつては馬を引いて行き来をしていたのだろう。その先に湧水があり雨で濁っていたが、口に含むととてもおいしかった。

二つ目の峠を越え下って行くと大雨で土砂が崩れ修復された場所があった。人力での補修はいかに大変だったことだろうか。そこを降りると橋があり、視界が開け、集落が見えてきたので、ほっとした。

真木の集落は過疎化で廃村となり、そこを活用し真木共働学舎が始まったのである。古い茅葺屋根の家にメンバーが住み、農業を中心とした自給自足の生活をされている。

到着して間もなく、昼食をメンバーの皆さんとご一緒させていただいた。大雨で橋が流されて、孤立した状態になり、ヘリコプターで避難された話や今村昌平監督の「楢山節考」のロケ地となったことなど興味深いお話しを伺った。和やかな雰囲気ではじめて訪れた私も皆さんと溶け込む事が出来た。昼食後、一人づつ午前中の仕事の報告と午後の仕事を自己申告で決められていた。自己申告にすると自分たちで仕事をどうやろうかと自主的に考えるチャンスを作ることになり、自分の言った事はやる、というふうにすると、当人たちのストレスは最小限になる、とのことである。

共働学舎が都会の便利さや華やかさからあえて離れて暮らす意味は何であろう。本当の豊かさとは、働くとは、助け合うとは、生きるとは、様々な問いを私たちに投げかけているように思った。

 

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