青い鳥を探して(27) (事務局・増田 達也)

施設に勤務し始めた時、職員が、人生経験豊かなご父兄や利用者から、「先生」呼びされることに抵抗がありました。

 

学校の教師等、専門技術・知識のある人が「先生」と呼ばれていますが、施設職員もプロとして「先生」という呼び名に恥じないように研鑽すべきだから、敢えて「先生」呼びを徹底している施設もありました。そういう意味では、私はプロ意識が欠如していたのかもしれません。でも「先生と呼ばれること」と「プロ意識を持つこと」は別問題だと思いますし、私だけかもしれませんが、「先生」と呼ばれることによって、「さりげなく、惜しみなく支える」という福祉従事者の本分を忘れ、天狗になってしまう危険性を感じるのです。

 

もう何十年も昔、今では考えられないことですが、利用者と職員が、あわや取っ組み合いの喧嘩になりそうなことがありました。利用者のお宅に電話でお詫びしたところ、すぐにお母さんが飛んでこられました。「うちの子は自分から喧嘩を仕掛けることはあり得ません。うちの子は悪くありません」と仰ったのですが、その通り、この利用者はいつも周りを気遣う方で、この時もこの利用者に非はありません。でもどうも話しが噛合わなく、どうやらお母さんは、利用者同士の喧嘩だと勘違いされていることが分かったので、「相手は職員です」と再度お伝えしたら、お母さんは何と!「じゃあ、悪いのはうちの子です」と仰ったのです。つまり、お母さんにとって、「喧嘩の原因は何か?」ではなく、「相手が誰か?」で事の正否を判断されていたのです。このお母さんは、私の尊敬するご父兄で、お母さんなりのお気遣いかもしれないとも思いましたが、職員は「一人前」、自分の子供は「半人前」、他の利用者は「さらに半人前」というのが前提で、これは職員を「先生」と呼ぶ大弊害だと思いました。「出来ること、出来ないことを数え上げたら、職員の方が出来ることが多いかもしれません。でも利用者は出来ないことが多いから一人前じゃない、なんてことは断じてありません。また、職員も利用者から教えられることもたくさんありますし、職員が常に正しいということも断じてありません。・・・先生と呼ぶのを止めてもらえませんか?」と膝を交えてじっくりお話ししたところ、数日後「やはり言い慣れませんけれど・・・」と仰りながら、初めて「増田さん」と呼んで頂けました。

 

私は、あまり物事へのこだわりはなくて、いい加減に生きていますし、自分の考えが正しい、等とも思ってはいませんが、「先生と呼ばれたくない」ということだけは、どうしても譲れないこだわりであることを何度もお伝えしてきて、このお母さんが「先生は、やはり先生です」と言い続けられた最後の砦の方だったので、「増田さん」と呼んで頂いた時は、大変嬉しく思いました。

 

ちなみに、「先生と呼ばれたくない」というほどではないですが、「役職名で呼ばれたくない」というこだわりもあります。役職者は、謙虚に職員の意見に耳を傾ける「力量」と「心」を要するし、より一層想像力を働かせて人の痛みに敏感であること、そのために、「実るほど頭を垂れる稲穂かな・・・」のように、頭を垂れることが出来るか否かが問われていると思います。「多数意見が正しいわけではない」とうそぶいたり、稚拙な説明で自分の意見を押し通したり、自分の意見が支持されないことを相手の理解不足のせいにしたり・・・、私の場合、役職名で呼ばれることによって、授かった「役職」を「特権」だと錯覚して、このような罠に陥る危険性が一層増すのではないか・・・と思うからです。基本的には、「役職名」で呼ばれるかどうかではなく、個人の心構えの問題であり、あくまでも私見ではありますが・・・。

 

でも「先生」とか「役職名」で呼ばれなくても、より良いサービスを提供し、役職に見合った仕事をするために日々研鑽しなければ、単なる言葉のこだわりに終わってしまう・・・と自戒しています。

 

      ▼烏帽子【えぼし】岩を望む、茅ヶ崎・湘南海岸です。

      8月は、特に「平和」について想いを馳せる月ですが、

      年度初めの忙しさが一段落し、梅雨明けした今頃の休日の夕暮れ時、

      海を眺めながら、「平和」「自分の在り方」について考えさせられています。

      今年の夏も、暑さが続きそうです。皆様、くれぐれもご自愛下さい。

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