「サンドイッチ理論」(湘南セシリア・みらい社 伏見康一)

私の自己流理論「サンドイッチ理論」。

そのこころは「力を抜く方が上手くいくことがある」という考え方。

 

パンにレタス、キュウリ、スライスしたトマト、ハム、スライスチーズをのせて、パンをのせる。さて、三角に切ろうと包丁を入れる、切りにくいからと力を入れて包丁を押し引きしたらパンはボロボロ、具材もはみ出して無残な姿になってしまうだろう。サンドイッチを切る時。切りにくい時こそ力を抜いて包丁の重みだけでカットする。断面も美しくなるし、具材もおさまりがいい。学生時代アルバイト先で教わったコツだ。

 

転じて、私はうまくいかないことがある時、サンドイッチを切るときを思い浮かべる。

自分の余計な力が入っていないか?と振り返り、あとはなるべく事の流れと重みに託すのだ。かれこれ20年以上、自分の胸の内だけに留めていたたわいもない屁理屈だが、不思議と忘れる事なく残っていたので、思い切って大仰な「理論」としてみた。

 

苦い思い出がある。

まだ子どもが幼稚園に行っていた頃。園のお祭りで焼きそば係がいないから、と頼まれて係になったときのこと。焼きそば販売は盛況で無事お祭りも終了したのだが、直後に自発的に始まった片づけの輪に乗り遅れてしまった。しばらく遠巻きに片づけを傍観していたのだが「このままではいけない」と焦りを感じ、勇気を振り絞り、思い切って声をかけた。その時出てきた言葉が「手伝い、片づけます!」だった。

 

恥ずかしさと自己嫌悪で消えてなくなりたい気持ちを抑えて、一心不乱にテントの片づけをした思い出がある。あらためてここ一番に弱い己にほとほとあきれてしまった...そしてこんな思いはもうしたくない、と心底感じたのだった。きっと気づかぬうち、いらぬ力が入っていたのだろう。結果的には身の程を知る良い機会となった。

 

生きるヒントは意外なところに転がっているものなのだなあと、先日、自作のサンドイッチを食べながらふと思い巡らしたのだった。

 

伏見日記用写真(201704).jpg

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