理事長日記三部作の2 ソーシャルデザインの場、サロンについて

日曜日は藤沢育成会と同じくらい、40年以上前からの長いお付き合いで今でも理事をしているNPO法人の事を心配してくださっている元国会議員のIさんとの相談事でした。

 

このNPOはまだ厚生省が「ごみ処理は燃やして埋めればいい」という指導をしていた昭和40年代から「廃棄物処理は資源化でごみ減量したい」という市町村の現場の考え方を応援したり、今では1,000カ所を超えるほどの人気となった道の駅を提案し、1990年から2年がかりで立ち上げたりという、時代のちょっと先の取り組みをしてきた組織で、もちろん40年前にはNPO方はなかったので任意団体として活動を始めました。

▼都市小屋 「集」 看板

都市小屋集看板.pngこの点では、知的障害についての法律や制度が確立していなかったころから様々な新しい取り組みをしてきた、かつての藤沢育成会に似たところがあります。このNPOは今でも全国の市町村長の交流会「全国首長連携・交流会」や、現場を持つ市町村の代表として、国や社会に問題提起したり提言し、可能なことは実践する「提言実践首長会」などの事務局をしたりしていますが、活動の裏付けとなる資金的余裕がなくなってきたため、並行して40年近く取り組んできた都市小屋「集」のサロン活動に終止符を打たざるを得なくなってしまいました。都市小屋は山に登山者をサポートする山小屋があるように、都市には都市の営みを支える都市小屋があっても良いのではという事から名づけられました。
実はこのサロンこそ、産官学野(野は企業、行政、大学などの学識者以外の、市民活動などの活動体のこと)の多様な人々が一堂に会し、立場に拘らない自由な話ができたことから、ごみ問題始めその時々の社会問題への取り組みのきっかけを作ってきた重要な仕掛けだったので、その価値を理解している方々からご心配頂いているという事です。

 

最近、社会が必要とする新しい事業を構想し、具現化することをソーシャルデザインと呼ぶ人もいますが、サロンは40年前にこういった発想で集まった人たちがいた証です。この都市小屋集については以前理事長日記で宮内庁長官を務められた羽毛田さんのご苦労さん会を取り上げたブログで触れたことがありますが、40周年を迎える今年は、今の時代にあったサロンのあり方から考え直す年になりそうです。

 

ページトップへ