人間関係の距離が分からない人が多くなったと言われる時代になった。"対人援助"を仕事とする私たちにとっては、とても難しい時代になったんだと思う。人との距離が分からない...ということは様々な場面で現れる。かつては駅構内で起きるいざこざは、酔っ払いがらみが多かったようだが、最近はどんな形で現れるかが分からない。"キレル"などと言う言葉が世間に流布するようになった頃からは、一層恐ろしさを感じてしまう。それはようやく1人で通うことが出来た利用者さんには"青天の霹靂"のようにやってくるんだろう...思います。このようなものは他人と他人の関係性の問題だが、他人ではない人たちの中にも恐ろしいことが起きているんだと思うことがある。
たとえば、自分の思い込みから相手の考えていることを取り違えておこなっても平気でいる...。気が付いていないんだから...仕方がない...と思うことが多くなったと思う。利用者さんは何を考えているかを良く考えもしないで、"いつもこうだったから!"とか、"ご家族に了解を得たから!"と言って自分を正当化していないだろうか...。そう考えると、対人関係の距離の問題もあるけれど、人の話を聞くことも出来ていないんじゃないか...と考え込んでしまう。対人援助を仕事としているのに"きく"という事が出来ていない...のはとても不安な事。プロだから聞くことは大丈夫...。先日2時間もかけて話したから大丈夫...の中に思い込みが潜んでいることを知っているのが対人援助のプロだと思う。
"きく"を"聞く""聴く""訊く"と3種類の漢字で表現するのが日本語。"聞く"は、日常的に"きく"を表現する時に使うが、話を"きく"時に"聴く"を使う人は非常に少ない。"訊く"は"たずねる"と言う意味があるから、先生に"訊く"、上司に"訊く"と言う使い方になるだろう。しかし、日常的に先生に"聞く"、上司に"聞く"となっていませんか?"聴く"には、身を入れて聞く...との説明があった。音楽を"訊く"とは書かずに"聴く"と書くのは、身を入れてきくからでしょうか...。私は"目"と"耳"と"心"が入っていることに着目したいのです。目や耳は"五感"の代表で、残った"十"は全部という意味に思えます。つまり五感を使って全部の"声"="声なき声"="心の声"を"聴く"という意味に思えます。それは音楽を聴くと穏やかになったり、高揚するなどと"心"が反応するということだと思います。つまり"身を入れて"は、心に感じるものを見つける聴き方だと考えられます。そうなると音楽を聴く時だけでなく、利用者さんの声を"聴く"...となっているかどうかが気がかりです。"聞く"であれば、"門"の中に"耳"を入れて構えて聞く。それでは聴こえてこないものがあるということ。
学生達と話している時に、「どうして質問しないの?」の問いに「だって、答えられなかったら可哀想じゃん!」と言う返事をもらったことを思い出す。そうだとすれば、利用者さんに問いかけるのは可哀想なのかもしれません。なぜなら、利用者さんの判断力、思考力は最大の努力を発揮したとしても及ばないことがあると認識しているから。それは障害ゆえいかんともしがたいものと考えているからです。しかし、だからと言って聞くのを辞めてしまうことが優しさではありません。優しさは、その人にふさわしい問いかけ方をするということ。それは対人援助のプロなら配慮してしかるべきことであって、それを実践できないのはプロになれていない人だと考えています。
ところが、先日そんな人に出会いました。本当にショックでした。なぜなら、職員同士でこの程度の発言なら利用者さんへの発言はもっと恐ろしいことになっていると予測できたから。ひとつのことを決定するために会議が行われます。大いに論議をして出来るだけ良い方向に向かわせるのが会議です。その時も行ったり来たりでまとまらない状態でした。1人の若手がそれをまとめるように整理した発言をしました。その時「ごめん!俺、頭が悪くて、お前の言っていること、判んないや!」と先輩職員が発言したのです。これはへりくだっているような発言ですが、瞬間的に若手をつぶす発言だと思いました。なぜなら、ここには"お前の話しは聞かない!"というメッセージが隠れているからです。プロ同士の発言です。"わかんない!"というのは恥ずかしいことです。判らない状態は自分の責任です。判ろうとしない人は人の話を聴く姿勢がありません。いや、判りたくないんだと思いました。判りたくないんだとしたら自分本位の方向性だけしか考えていないということです。そうならば会議の必要性は全くありません。"きく"とは相互性があることです。妥協するのではなく、お互いに生き生きするように配慮することです。それは、利用者さんへ支援する時の姿勢です。支援は"してあげる行為"ではなく、支援する側と支援される側に相互性が発生しています。だから、支援者が変わると今まで出来ていたことが出来なくなる時もあります。相互性がその時々の利用者さんの"力量"に多大な影響を与えているのです。それは、職員同士のチームワークの中にももちろんあります。仲間を増やすことは、私達の仕事には欠かせません。なぜなら自分だけで出来る仕事がほとんどないからです。人によって支援方法が違っていては利用者さんが混乱してしまい迷惑をかけるからです。そのためには"きく"姿勢がその時々によって違うことを、もっと、もっと認識しなければなりません。自分が上司に訊くときに、かまえて聞くのか、たずねるのかによって違うことを知っていますか?自分の話を聴いてもらえないという不満が多い人は、人の話を聴く姿勢が自分の中に少ないことを知っていますか?少なくとも、自分がへりくだっているように見せながら、後輩の話をさえぎってしまうような会話をする人は"対人援助"のド素人だと思います。利用者さんの"声"="声なき声"="心のうち"をきく努力はどの程度できていますか?自分自身を見つめ直したいものです。(2015.2)
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