2015年03月01日
社会福祉と文化・風土
1961年「娘と私」から始まって91作目の朝ドラが『マッサン』。「娘と私」は小説をドラマ化したので"テレビ小説"と呼ばれた。朝ドラが人気者になったのは「おはなはん」。そこに映しだされる"家族"は、明治時代を反映し"男は仕事、女は家事"が原点。朝ドラは日本女性の生き方、時代と共に変化する家族の姿を映しだし続けた。「雲のじゅうたん」で女性初のパイロット、「はね駒」で女性初の新聞記者など日本女性の活躍の幅を広げた人の物語。大人気だった「おしん」は苦労を重ねたおしんのサクセスストーリーだが、明治・大正・昭和の日本家族の変遷を著わし、おばあちゃんになったおしんが子どもとの葛藤に悩む姿があった。「青春家族」は別居した夫婦の物語。それまでの朝ドラでは取り上げないテーマだったが社会の変化が押し上げた。時代を映しだすテーマが選ばれ、家族像を映しだしていた。今回の『マッサン』は91回目にして初の外国人ヒロインとなった。54年たった今、グローバル社会がかつての先駆けを朝ドラのテーマに押し上げたと思う。
『マッサン(「ヒゲのウヰスキー誕生す(新潮文庫・川又一英著)」』の主人公・竹鶴政孝はニッカの創業者で初めて国産ウヰスキーを作った人。奥さんは修業中のスコットランドで出会ったリタ(劇中エリー)。マッサンの母親が、どんなに日本語をしゃべっても箸を使っても外国人は嫁と認めないと言い続けるのがその時代の日本社会を著わす。大阪の会社(現サントリー『美酒一代(新潮文庫・杉森久秀)』)で作ったウヰスキーは"いぶり臭くて飲めない"と不評のまま在庫の山となった話も大変興味深い。外国文化がまだ多くの人に受け入れられていない時代、酒と言えば日本酒。ワインは"葡萄酒"と言われて滋養強壮に良いと謳われた。昭和30年代に入るとウヰスキーの大衆化が進み始め、ショットグラスにチェイサーを置いてぐいっと飲み干すストレートが流行りだす。その頃にショットバーがあったことを記憶の隅に残している。そこからウヰスキーの飲み方が多様になってさらに日本社会に定着することになっていった。マッサンが日本でウヰスキー作りを始めてから30年程の時間が必要だった。
味覚は"文化"だという。味覚は"風土"と共にあるとも言う。突然、異文化が導入されたとしても、舌が受け付けないのは当然。異文化はそれなりの時間をかけないと、地域の"文化"や"風土"にふさわしくなっていかない。時間をかけてウヰスキーのように熟成させないと受け入れられない。朝ドラの初期にこの話を持って来てもきっと外国人ヒロインが受け入れられなかっただろう。戦後の動乱期に"混血児"と蔑視された時代から"ハーフ"がもてはやされる時代になり、初めての外国人ヒロインの誕生となった。ここでも70年の時間が必要だった。
『マッサン』では、夫婦がしっかりと話し合う姿が見受けられる。"黙って俺についてこい!"ではない。家族内人間関係が日本社会とは少し時間がずれて、現代に近いと感じる。当時、日本の家族内人間関係は、どちらかというと上意下達。女は男に従い、子どもは親に従い、兄弟は長男に従う社会だった。外国文化が移入されて西欧化が進むと次第に日本的家族制度が揺らぎ、時代と共に現代社会の家族内人間関係が当り前になった。明治初期から考えると100年以上の時間がその流れを作ったことになる。"文化"とか"風土"は、氷河の流れのように見えないがしっかり、ゆっくり歩んでいるようだ。
藤沢北部から大和にかけた地域は、比較的外国人が多く住んでいる。ベトナム戦争当時、難民として来日した人々の定住センターがあったことも、大企業の下請け工場が多くあることも影響したようだ。住み始めの頃は違和感を覚えたが、次第にこの地域の"文化"や"風土"を受け入れるような感情が芽生えてくる。同じように朝ドラに初めての外国人ヒロインが出演しても当たり前のように受け入れている。一方で『マッサン』のヒロイン・エリー役のシャーロット・ケイト・フォックスさんが次第に日本語の発音が良くなり、日本の"文化"や"風土"になじんできている様子が大変興味深い。地域社会になじむとはこのようなことなのかもしれないと思う。
日本の社会福祉は、戦後初めて法制度が整った。当時は、施設を作ることで精一杯だった。施設外の当事者を考える余裕もなかった。だが、次第に地域社会で社会福祉サービスを受けることが出来るようになった。「施設福祉」の時代から「在宅福祉」を経て、ようやく当たり前の暮しを求める「地域福祉」の時代に入ったばかり。社会福祉は時代と共にしっかり、ゆっくり歩んでいると実感する。"福祉は文化だ!"と言う。人間の暮し向きを支える取組みである社会福祉には"文化"も"風土"も多大な影響を与えている。もうそろそろ福祉先進国からの制度移入ではなく、地域に根差した取組みを主流とした社会福祉を見出す時期が来たと思いたい。元スウェーデン大使の藤井威は『スウェーデン・スペシャル(新評論)』を著わした。全3巻の著作はスウェーデンの文化や風土に止まらない社会全体を著わし1巻に福祉国家の姿を示している。全体像から見た社会福祉の姿を著わしている。湯河原町に住む元フィンランド人で元参議院議員のツルネン・マルティ(弦念丸呈)はフィンランド人へのインタビューで『フィンランド人が語るリアルライフ(新評論)』を著わし、フィンランドの社会福祉文化を市井の人々を通して見ている。そして私たちの法人をここまでにして頂いた大先輩・西條節子は『福祉の食卓(瑞木書房)』で、旅日記のように各国の社会福祉施設訪問の様子を著わしている。食や職、暮らしのスタイルを織り交ぜることでこれまでと違った社会福祉制度・文化の紹介となっている。また、私たちの法人は知的障害がある人々の親達が作り出した法人。それは地域社会に新たな"文化"や"風土"を創りだす作業だったと言える。人々は社会福祉制度で暮している訳ではない。その地域の"文化"や"風土"が暮しの基本を生み出す中で社会福祉制度やサービス実践がある。そうでなければ、どれだけ親切に施しを受けても当事者は充足感を持つことはないと判る。そろそろ日本の、藤沢の"社会福祉文化"を見つける探検が始まらなければならない。(2015.3)
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