かつて"在宅サービス"担当だったころ1人の少年が来た。最重度の障害があり、自傷行為で赤紫になってもほほを平手打ちし、その音は廊下を伝ってどこまでも響いた。家族は必死で少年の手を握り止めているが隙あれば繰り返した。家族の望みはその自傷行為が止まること。将来を考えた児童相談所や福祉事務所は、家族とは裏腹に長期入所を望んでいた。機関と家族の思いが乖離していたが、意外と簡単に答えが見えた。本人や家族の想いを大切にする方法を考え始めた時に少年が大きなヒントをくれたからだ。家族はいつ始まったのか判らない自傷行為を止めるために少年の行動を制限しようと必死だったが、少年は行動制限されていることに反発していたと考えられた。つまり、思春期に入った彼は第二次性徴期に入り、それまでよりもはるかに自己主張が強くなったが、言語化できないために自傷行為で自己主張したと理解出来た。気が付いたのは少年が家族と離れると自傷行為がほとんど見られないことからだ。少年は幼児のためし行動のように自傷行為をするが、意識的に無反応を通したスタッフの前で繰り返すことはなかった。
児童相談所や福祉事務所の希望とは裏腹にスタートした在宅サービス事業は、相談を繰り返す"継続指導"。時間はかかるがスタッフが覚悟し、場所と人間さえあれば出来る。加えて定期的に"短期入所"を実施。当時は措置時代だったが、3か月をめどに確実に自宅に帰ることを約束した。しかも週末は家で過ごす。この間も週1回の"継続指導"を続けるプログラムだった。それは親にとっては週3回も施設に来なければならないもので、在宅生活と変わらない負担感だったと思う。少年が施設内で過ごしている時、母親が顔を見せると自傷行為が始まる。しかし、姿を見せないで陰から少年を見る母親が自傷行為を見ることはなかった。家族がこの状態を理解するのに時間はかからなかった。親としての覚悟ができれば自傷行為に動じないようにすることは難しいことではなかった。一進一退をくり返すが、理解できた母親は家族と相談してこれまでの生活を一変させた。その頃、家族がそろって「施設入所はさせません!」と宣言した。
これが私の"地域福祉"のスタート。施設内で仕事をしているとその仕事に一生懸命なあまり、施設の立場からしか見えなくなることがある。それは施設職員の考え方なのに当事者が希望したと錯覚することを誘発する。そうなると簡単に制度に当てはめた考え方が正解になる。正解を一つにして当事者に押し付けてしまう。時代が変わり、サービス体系も変化した今もこのような現実を見ることがある。当事者が立場によって異なった答えを持っていることを承知した関わり方をしていない証拠である。"押し付け"は、しつけと虐待のはざまだと思っている。なぜなら"お"をつけることで自分の正解を"おしつけ"て、最悪の人間関係=支配と服従の関係になっていると考えるから。とりわけ、障害福祉の世界では、当事者の主体性を重んじるといいながら、自らの正解を押し付けている善人をよく見かける。しかも自らはその押し付けに気が付いていなことが最悪の人間関係を生む。
昨今はマニュアルばやりで、制度もマニュアルから逸脱することを拒む。本当は多様な当事者間の調整が仕事であるソーシャルワーカーだが、点数化したシステムで報酬が支払われるので、その枠からはみ出せない。少年の対応をした当時のチームは、自分の時間を少し割けば出来ると考えたが、多くのケースにこのような対応はできない。制度は、多くの件数の平均値で考えるのだから、長期的な展望に立った対応を考えにくい。ましてや、サービス料を決めるために障害程度を評価する面接は、それほど時間はかからないと考えられているようだ。しかし、当事者はそのようなこととは関係なく現実の問題に直面しているから、困り感を真っ向からぶつけてくる。時間制限があるソーシャルワーカーはそれに応じる時間を持ち合わせていない。そのためバーンアウトしかねない状態を招くが制度を作る側には見えにくい。善良な社会福祉法人は、それが社会的貢献の一つだと考えて行うが、制度から見れば委託料を受けて実施しているだけのようだ。
地域福祉の時代になったのに動かないのは、施設が丸抱えしているからだと考えていたが、相談のように地域で問題を解決しようとする制度が立ち遅れているので、なかなか地域生活が進まないのではと考えるようになった。元々、療育技法中心に学んだ人が、相談援助の専門職になるためにはそれなりの準備が必要。療育技法だけで地域生活は出来ない。地域社会でどう暮らすかを考える相談体制がどうしても必要。事業所独自の工夫が求められている。ソーシャルワーカーには①代弁者、②媒介者、③治療者の役割がある(『対人援助の福祉エートス』ミネルヴァ書房、木原活信著)という。多様な当事者の代弁をすることができているだろうか...。当事者間や関係機関の媒介者としての役割は出来ているだろうか...。TEACCHで言う構造化のように地域生活のための治療者としての役割とは何かと考えているか...。いよいよ、本当の意味での専門性が問われる時代が来た。(2015.6)
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