副題に"「個性化」が変える福祉社会"とあった。帯には"「個性化」によって渦が生れる。渦が広がり、社会が変わる。"とあった。著者は竹端寛氏。山梨学院大学の政治行政学准教授。専門は福祉社会学とあった。章立てが①渦を産み出す、②「反―対話」的関係を超える、③渦が広がる、④どうしたら枠組みを外せるか、⑤「個性化」と「社会改革」となっている。一般的に社会福祉関係の書籍は、領域を縦に割り障害や高齢、児童と言った分類が多くみられるが、このジャンルにはまったく関わりがなく、社会福祉領域に関する課題が明示されている。どう考えても対象者=利用者=当事者を超えた領域で社会福祉の課題が明確化されていると思い新鮮な印象があった。
"小さいころから、「しゃあない」という言葉が嫌いだった。"で始まる「はじめに」に"「枠組み外し」とは何か。私たちが「当たり前の前提」としている、「変えられない」と思い込んでいる「常識」「暗黙の前提」そのものを疑う事である。これは、極めて個人的な、時として「反社会的」な営みである。だが、その枠組み外しを続ける中で、穴が開く瞬間がある。絶対に変わらないと思っていた強固な常識に固い岩盤が崩落し、その下に、別の新たな可能性を見つけ出す瞬間が訪れる。この「個別化」を果たす中で、実はあなたや僕自身が、より大きな社会の中で開かれていき、そこから社会が少しずつ変わり始める。(P17)"とあった。当たり前と思っていることに疑問を持つ。在宅担当だった頃、"渦"が出てくることを体験した。"どうして...""ちょっと角度を変えて見たら..."と思うと、今まで当たり前だったことが違って見えた。
また、"他人に何かを押し付けられたり、強制されたりするだけで「魂は植民地化」されない。(P50)""入所施設や精神科病院の中では、善なる意思を持って、より良い支援を提供したいと思っておられる方々も、少なからずおられる。ただ、「植民地化」されたシステムの維持のために、結果的にそこで働く労働者の「魂の植民地化」も進んできた。(P51)"とある。施設にはこのような特徴があり、施設内人間関係ではこの環境的特徴が人々を追いやってしまうことがある。『自発的隷従論(ちくま学芸文庫、エテエィエンヌ・ラ・ボエシ著)』では、自らが隷従しないという強い意志を持てば隷従することはない。しかし、現状に追従するする姿勢が"自発的な隷従"を生み出していると指摘している。哲学者池田晶子は"ただ真実を知ることのみを希うのなら、さらに疑え(『幸福に死ぬための哲学(講談社、P117)』"と言った。人間は自らの生きる姿勢が従属的ではないとしても、その場に慣れ親しんだ時、その場から逃れ何かに立ち向かおうとするエネルギーを持ち続けることがどれほど難しいかを示している。
先月の日記にも示した"全制的施設"について"「個人の自己が無力化される過程」とは、先の章で触れた向谷地<生良。(福)ベテルの家理事、PSW、北海道医療大学教授>の言葉を用いるなら、個人が自由を奪われ「沈黙の民」になっていく過程、であると言える。(P104)"としている。人間はそれぞれに1人では生きていけないために、それぞれに多様な社会生活を営んでいる。そこには人間の数以上の"人間関係"が存在している。その人間関係には、立場や利害、しがらみなどから固着した人間関係が存在している。全制的施設では、その固着した人間関係が"支配と服従の関係"になっていると書いた。しかし、"支配と服従の人間関係"は、施設内に潜んでいるだけではない。『自発的隷従論』では、国民と政治家の関係を指して説明している。中根千枝(社会人類学者)は日本社会を"タテ社会の人間関係"だとした。また日本の子育てでは「子どもは黙って親の言うことを聞けば良い!」という風潮が強いとも言われている。実際、指示に従っている子どもを"良い子"と印象つける社会的価値がないとは言いきれない。
これらのことから考えてみると、子どもと親の関係のみならず、上位にあるものと下位にあるものの中に"隷従的な人間関係"がないとは言い切れない。そして全制的施設という特徴を持つ職場内での風潮として強化される傾向があると認識しなければならない。どこで出会ったか忘れてしまったが"既知からの問い!"と言う言葉が記憶から離れない。既に当たり前になっていることに疑問を持つのは、自分をしっかりと持っていなければ出来ないこと。これを枠組み外しの旅では"「箱の外」に出る「勇気」が必要だ。(P186)"と投げかけている。"未完成と言われようが、僕の「私小説」と言われようが、僕自身の変容過程もさらけ出すエクリチュールでないと、この「箱の外に出る勇気」という動的プロセスそのものを記述することは出来ない。(P186)"としている。
社会福祉領域の特徴は"答えが一つではない!"ということ。人の生き方は、精査すればするほど一つにはなりえない。その人にとって...と考えたとしても、時代性や周辺の人々との関係の中で多様に変化してしまう。それゆえに専門性が希薄であるように考えられるが、その多様性ゆえに専門性をより高く持たなければやり切れなくなるのが本当の特徴。それゆえ多くの人たちの多様な発言があって初めて事業所の価値が高まるのだと理解している。国際家族年の標語を思い出すと"家族から始まる小さなデモクラシー"だった。"家族"を"事業所"と置き換えてみるとどうだろう。自らに"既知からの問い!"を科し、"箱の外に出る勇気"を持ちつづけたいものだ。(2015.8)
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