合理的配慮?
4月1日に『障害者差別解消法』が施行された。これに先立ち差別解消を義務付けられた行政が検証を重ねた。新聞記事に藤沢市障がい福祉課のコメントがあった。「合理的配慮の具体例は、1人ひとり見解が異なる。当事者と対話を重ねながら妥協点を見つけていくことになる」である。国連の障害者権利条約以来、言葉としての"合理的配慮"は一般的にも耳にするようになったが、それが何を意味しているかが良く判らない。ある程度判ったとしても、なんだかもやもやした不透明感が漂う言葉として世間を独り歩きしているようだ。
"合理的配慮"を検索すると"障害者が日常生活や社会生活を送るうえで妨げとなる社会的障壁を取り除くために行われる配慮<コトバンク>"とあり、具体例に"筆談、車いす介助、公共施設のバリアフリー"等があげられている。筆談は聴覚障害、車いすは肢体不自由、バリアフリーは一般的に肢体不自由を中心とした人への配慮。いずれも身体障害者への配慮であって、知的障害や精神障害の人たちへの具体的な合理的配慮とはどんな事なのか判らない。
"社会的障壁を取り除く..."とあるが、社会的障壁とは何だろうと考えると、文字が読めない人たちにとっての障壁は、情報が受け止められないこと。たとえばルビがふってあって、たとえ読めたとしても意味が判らなければ情報が受け止められないという事実は変わらないのだから、合理的配慮が出来ているとは思いにくい。
基本的に障害がある人は、障害の程度が異なるだけでなく、障害特性や性格や育ってきた環境など、それぞれの"人"によって大きく異なった"社会的障壁"を目の当たりにして暮らしている。また、その生活を支えるために、家族を中心とした多くの方たちによって支えられている。それらすべてが障害福祉サービスを担う私たちの考える基盤。しかし、私たちにもできる事と出来ない事がある。一方で、時代はそのできる事と出来ない事を少しずつ改善して変化している。だから毎日仕事をする視点を見直し、1人ひとりと対話を重ねながら"社会的障壁"を取り除く努力を積み重ねなければならない。(2016.5)
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