障害者とスポーツ

 リオデジャネイロ・パラリンピックが閉幕した。「湘南あおぞら」のスタッフのお子さん伊藤槙紀さんが卓球で出場した。あおぞらでは出発前の忙しい時間を割いていただき利用者、職員で壮行会を開催した。その時、卓球台を前にデモンストレーションも行っていただいた。その影響か、利用者さんから"卓球やろう!"という声がかかる。楽しそうな笑顔はスタッフにも、利用者にもありがたい。

旧愛護にソフトボール大会があった頃、チームを作って出場した。ルールは理解できないがボールさばきがうまい人、まったく興味がないのに選手が足りず協力してもらった人など、とても大変。その中に楽しそうに参加するがルールは分らず、グローブもはめられない人がいた。お母さんから帰宅中に初めてはっきりとした言葉が出てうれしかったと報告を頂いた。だが、その言葉は"バカヤロー"。どうもエラーをした時に私が発した言葉らしい。破裂音は出やすいとは聞くが、穴があったら入りたくなるような話を楽しそうに伝えてくれた。彼は守備が苦手だが、上手に投げられるのでピッチャーだった。試合中、相手バッターが好打するとマウンドで拍手する。それも練習中の私の姿...。三塁から走る人、技術的にはとても難しいことだが守りやすい打球を打つ人...。失礼ながらマンガのようだったが、出ると負けのチームが勝った時、園全体で喜んだことを思い出す。その時の選手はみんな自慢顔だった。

事故等で障害が残った人は一様に自殺を考える事があると聞く。その時、障害者スポーツに出会い、精神的に恢復する人がいるそうだ。車いすバスケは障害程度を点数化し、既定内の合計点でチームを構成するので、障害が軽い人だけのチームは作れない。一方、銀メダルのボッチャは、障害程度によって道具使用が認められるなどの配慮がある。元々パラリンピックは英国ストークマンデビル病院で始まり、パラ=パラプレジア=マヒを意味し、車いすの使い方を練習するスラロームから始まった。時代と共に障害者への考え方が変化し、パラ=パラレル=平行な="もう一つのオリンピック"となった。知的障害者の競技がまだ日が浅いのは、ケネディ家の庭で生まれた"スペシャル・オリンピックス"があるからだろうか...。寂しそうにしていた知的障害がある妹を見て、ケネディ氏の姉が運動会を開催したのが始まり。ここには仲間が集って楽しく過す意味があるようだ。いずれにしても、競技が終わった後の達成感、充足感あふれる顔、自信に満ちた顔、仲間と共に喜びに満ちた顔...顔、顔。メダル以外の何かが満ち溢れている。それがパラ。伊藤さんのそんな顔が見えるようだ。そして障害当事者それぞれの暮らしに生き生きとした姿を生みだすスポーツにもっと親しんでいただきたい。(2016.10

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