1年を振り返ると...

障害者問題をエリアに2016年を振り返ると、今年ほど注目を浴びた年も珍しい...と思う。中心は「相模原事件」と「リオ・パラリンピック」。両極端な2件を対比して考えてみた。

プラス因子で注目を浴びた"パラ"。多くの人が知らない競技だが、銀メダルで注目を集めたのが"ボッチャ"。マヒのある人たちのために考案された競技。前回のロンドンでは"ゴールボール"が話題に。視覚障害者のスポーツだが、競技中はアイマスクをつけるので条件は晴眼者も同じ。いや、日常的に見えない環境で暮らす人は音や風、空気を読んで暮しているから、視覚障害者の方が有利か...。車いすバスケ、車いすテニスなどは、車いすを使わないバスケやテニスが原型だが、ボッチャやゴールボールは障害者自身のスポーツ。このような競技は、障害者だけのスポーツではなく一般化する可能性を感じる。補助を使うと健常者と同様な条件になるボッチャは、普通に暮すために"障害"そのものへの支援の必要性が良く判る。一方、ゴールボールを体験するとホームからの転落事故が絶えない現実がリアルに見える。駅のエレベーターが、障害者の為だけではなく、荷物を持つ人、妊産婦、けが人などの役に立っていることと同じ。だからホームドアーが設置されれば高齢者やベビーカーの危険を避けることが出来ると判る。それは障害によるマイナスを補う方法があれば障害者は障害を意識する量が減少し、健常者は安全安心を得るということ。

一方、障害者を取り巻く環境がいまだに成熟していない現実を突きつけたのが相模原事件。障害者自身が当事者として"生きる権利主張""頑張っている宣言"をするのは当然。障害によって"生きづらさ"が異なるから全ては無理だとしても、出来るだけ理解して行動する必要がある。その時、どうすれば良いか判る為にも当事者の発言は重要。支援する人々は、その発言を支援する必要はあるが、それだけでは終れない。私たちは本質的な課題を見いだせているのか...、周辺環境はどうすればよいのか...、人々の考えや価値観はどう変化しているのか...など山のような視点から検証が必要だ。障害者への同情で終わらせるのではなく、本質の分析、評価等に着手しなければいけない。その時、精神疾患への対応は...、福祉施設の防犯対策は...、利用者名の開示は...、再整備の視点は...。まだまだ検討、研究し、この問題と向き合わなければならない。事件を忘れてはいけない...というが、人は忘れることで"心"を保っていることもまた事実。だから、事件を契機に障害者問題の新たな展開となるように、当事者、家族等関係者、専門家、職員、行政当局、そして地域の人々が一体となったソーシャルアクションに昇華させなければ苦痛のまま終焉してしまわないか。だからこそ、新たな社会運動が生れることを期待したい。いずれにしても、二つのことをつなぎ合わせると、障害者ご本人が感じている本当の意味での障害を、社会も、関係者も、地域の人々も理解しきれていない現実が見えた2016年であった。

 

今年も多くの皆さんによって支えられてきました。利用者、ご家族、職員、ボランティア、地域の皆様、ありがとうございました。良い年をお迎えください。(2016.12

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